第3章6話 生きているからこそ……
──やってきたのは、墓地だった。
もってきた花々や野菜を、イリーダは墓石に供えて祈りを捧げた。
木立の間から午後の柔らかい日差しが射し込んで、ある種の
メルも店で買ったエッグタルトを墓石に
「……イリーダ様の、大切なひとって……」
「そうよ、このお墓の下。もう何十年も前のことだけど」
穏やかな微笑みがつかの間、陰に沈んだように見えた。
遠い日に想いを
「彼ね、町の守備隊にいたの。それで、亡者から子どもを逃がしてそのまま……。私たちは結婚を約束していて、ちょうどその日は彼のご両親にあいさつに行く日だったの」
「そう、だったんですか……」
──メルさんが一番食べたいものでいいわ。
──どれでもいいのよ。
──大切なのは気持ちだから……。
死者に供えるものだったと知って、メルの胸が痛んだ。
恋人を待っていた花嫁は、彼の死を知ってどんなに悲しんだろう?
描いていた未来が
大切なひとを喪う気持ちは、メルも痛いほどわかる。
「──イリーダ様は、亡者を恨んでますか?」
亡者に大切なひとを殺されて。
だから、謡い手になったんだろうか?
そう思ったメルに、イリーダはゆるくかぶりを振った。
「かわいそうだとは、思うわ」
「……かわいそう……?」
「還る場所があるのに還れない……それは、とてもさびしいことだと思うの」
だから謡い手をやっているのだと、イリーダは言った。
葬儀があるたびに足を運び、さまよえる魂を彼岸に還した。
亡者とは、そんな救われない魂が行き場もなく舞い戻ってしまったものなのだから。
「戦場で剣士たちと組んで魂送りをするのがすべてじゃないわ。生と死は、いつも隣り合わせなんだもの。こうやって穏やかに何気なく過ぎていく町の生活を守ることが、私の『戦い』。……あのひとの愛したこの町を見守ることが」
生者も……──死者も。
イリーダにとっては、どちらもかけがえのないものなのだろうと思った。
死者の愛した町で、死者をとむらい、死者を葬送る──そんな聖堂長の生き様が見えるようで。
「……イリーダ様に葬送られる魂は、幸せですね……」
ぽつりと言った。
イリーダがかすかに目をみはって、それから微笑んだ。
「メルさんに葬送ってもらう魂も同じことを思うんじゃないかしらね」
「……でも、アスターは……」
「『魂送りは必要ない』って言われた?」
「……っ」
「──それで。メルさんはどうしたいの?」
「…………私……」
イリーダに問われて、息が詰まった。
自分がどうしたいのか……心の
手持ち無沙汰な時間をどう過ごせばいいのかわからない。お菓子ひとつでさえ、自分で決められない。
ただ役に立つことだけを強要されて。生きる意味だと教え込まれて生きてきた。それ以外の生き方なんか知らない。
残ったのは、
「…………どうしたらいいか、わからない、です。私、ルリアさんのことまで持ち出して。アスターのこと何も知らないのに、傷付けてばっかり…………」
「…………」
静かに泣き出した少女を見ながら、イリーダは、昨日のアスターとの会話を思い出していた。
『彼女、悲しむでしょうね。あなたにずいぶん、なついてるようだったから……──でも、』
『……?』
『──彼女の生き方をあなたが決めることはできないわ』
イリーダの言葉を受けて、アスターは視線をふいと逸らした。いつもの癖……というのではなく、窓の外で子どもたちの笑い声がしたからだった。
子どもたちは学校帰りの寄り道なのか、スコーンを買い食いして幸せそうに歩いている。メルと同じぐらい年頃だった。亡者と接することもなく、家に帰れば親や兄弟が待っているのだろう。
それを見やって、言った。
『魂送りなんて、あいつが自分で選んだんじゃない。それしか生き方を選べなかっただけだ……あいつはまだ子どもだ。亡者なんかに関わるべきじゃない』
『確かに、彼女の立場では選ぶ余地はなかったでしょう。奴隷という立場で、主人に何もかも決められていては、ね。これまでは、そうだったのでしょう。でも、これからは彼女次第。いつまでも守られているばかりとは限らないわ。……子どもは、いつか大人になる』
イリーダは
メルがこの聖堂に来たとき、一目で危うい子だと思った。
自分の判断を外側に任せている子ども。自分で何も決めず、決められず、そのことに何の疑問をもたない。自分で動いているように見えても、本当は意思をもたないお人形……そう思った。
でも、若い謡い手たちは違った。
聖堂で数日、メルと一緒に過ごしていたレタとエイニャが、あるとき、イリーダに笑いながら言ったのだ。
──イリーダ様、あの子おもしろいですね!
──レタったら、もう。メルちゃんはオモチャじゃないのよー。
──でも、エイニャ。メルさん、すごくないですか? アスター殿を助けるために、あの亡者どもにひとりで突っ込んでったらしいですよ!
──あはは。ほんと、なかなかできないよねー。
──それだけじゃないんですよ。アスター殿が崖から落ちたときも、周りが止めるのも聞かずに、ひとりで捜しにいっちゃったんですって。……それで。
──ぷっ……! あはは。亡者に遭っても、た、魂送りしないでぶん殴っちゃったんだよね。
──そうなんです。ふふ。笑っちゃいました。
──ほんとにねー。あー、お腹痛い!
彼女たちの話を聞いて、イリーダはメルにもっていた印象を改めることにした。……意思のないお人形、ではなかった。全然。
ただ彼女自身が気付いていないだけだ。
心の奥底にある本当の声は、小さくか細い。
耳を傾けなければ、雑音にたやすく掻き消されてしまう。けれど、本当は、いつだってそこにある。
それを、他人であるイリーダたちが決めることはできない。
『あなたと出会って彼女もいろいろなことを知っていくでしょう。結局、私たちにできるのは、様々な選択肢を見せて、見守ってあげることだけ。この聖堂に残るかどうかも──選ぶのは本人よ』
少しだけ時間をあげましょう、とイリーダはにっこり笑った。
『彼女には聖女アウグスタ様の試練を受けてもらうわ。生者と死者を分かつ忘却の河の境界の守護者──伝説の聖女アウグスタ様にご加護を願い、謡い手になるに値する聖性の強さを見定める、巫女たちの通過儀礼……彼女に本当に魂送りをするだけの力が備わっているのか、その結果を見てからでも、遅くはないでしょう?』
アスターは憮然としている。でも、彼にだって傷を癒す時間は必要なのだ。
『……イリーダ様が、言うなら。少しだけ。……あいつの手がかりもなかったし』
『クロード王子のことなら、何かわかれば、各地の聖堂を通してすぐあなたに知らせるわ』
『……お願いします』
そのときだけは、あきらめと期待、そして奥底にある恐怖──真実と向き合うことへの──が蒼氷の瞳にちらついたのを、イリーダは見た。
執務室の窓に目をやると、子どもたちの姿は、もうどこにもなかった。
(……)
イリーダは泣いているメルの肩にそっと手を置いた。
少女の肩がびくりと跳ね上がる。予期せず誰かに触れられることを恐れる仕草。……彼女が奴隷だったということを、つかの間、忘れた。
けれど、いつまでも奴隷のままでいることはない。
子どもは、いつか、大人になるのだから。
温かい手のひらのぬくもりに、メルの口から、言葉がこぼれた。
「……私、アスターの役に立ちたい。でも、アスターはいらないって言うんです。どうしたらいいんだろう……」
イリーダは微笑んだ。
「言ったでしょ? 大事なのはメルさんの気持ち。自分の中の羅針盤を感じてごらんなさい」
「……羅針盤……?」
「そう。それさえあればどこにでも行けるの」
メルは静かに
魂送りをしない自分に、生きている価値はないと思った。それだけが
それを取り上げられたら、どうしたらいいんだろう?
──でも、イリーダの考えは違うらしい。
カルドラの町を見守ってきた聖堂長は、遠い目をして想いを馳せた。
時は有限なのだと、大切なひとを喪った誰もが知っている。
それでも、生者には時が流れている──生きている。死者にはない、限られてはいるけれども輝かしい宝物が。
「ゆっくり感じてごらんなさい。生きている私たちには、まだまだたくさんの時間があるんだから……」
そよ風がメルの髪をさらっていった。
墓地の片隅にひっそりと咲く赤い曼珠沙華がさらさらと揺れている。温かな陽射しと、少しの肌寒さ。……生きているからこそ感じることのできるきらめき。
その美しさを瞳に収めて、イリーダはお墓の前にしゃがみこんだ。
「──さぁて。いっぱい歩いてお腹すいたわね。メルさんが選んでくれたタルト、おいしそう。聖堂のみんなに見つかる前に、ここで食べてっちゃいましょう」
「え? だって、これ、お墓にお供えしたものじゃ……」
「どうせここに置いてってもカラスに荒らされるだけよ。──はい、メルさんの分。心配しなくても、ビーツもお芋も、あとで聖堂の食堂でちゃーんと夕飯に出してもらいますからね」
にわかに慌てるメルの隣で、イリーダはかまわずエッグタルトの包みを開けている。生きてる者の特権よ、と幸せそうにタルトを頬張る聖堂長を見て、メルも苦笑した。
香ばしく焼き上がったタルトの甘みが、口いっぱいに広がった。
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