第3章4話 仕事──やくめ
「聖女アウグスタ様の試練?」
耳慣れない言葉に、メルはきょとんとした。
巫女たちのための食堂で、エイニャやレタと夕食をとっているところだった。
当初は「巫女様たちと一緒のテーブルなんて……」と恐縮していたメルだったが、「えー? 傭兵さんたちと食べるのと、何が違うの?」「エイニャ、わかってないですね。メルさんはアスター殿とふたりきりで食べたいと暗に言っているのです」「あらあらぁ。お姉さん、気が利かなくてごめんねー?」「ち、違っ。誤解です……!」という微笑ましい(?)やりとりを経て、今では三人で食事をとるようになっている。
「そうよぉ。忘却の河の守護者──アウグスタ様のご加護を願うの。聖性の強さを確かめるための試練なのよ」
「謡い手になるための通過儀礼みたいなものですね。新米の巫女なら一度は受けるものです」
本来は、魂送りの修行の入り口とも位置づけられているものなのだが、正規のルートで魂送りを学んだことのないメルにとっては初耳である。
「──受けたいですか?」
「はいっ。もちろん」
勢い込んで言ったメルに、先輩の謡い手ふたりは顔を見合わせて微笑んだ……のもつかの間だった。
「『愛するアスターのために、メル、がんばっちゃう!』。あぁ、ほんと乙女だわー。メルちゃん、がんばってね」
「ちょっと、エイニャさん。何言ってるんですか⁉」
「アスター殿のハートをゲットするまたとないチャンスです。私たちも実力行使で応援しますからね」
「レタさんまでいったい何を……その包帯、何に使うつもりですか?」
──夕食を終えて、メルは疲れたように宿舎に戻った。
あてがわれた寝室に向かう前に、アスターの部屋に向かった。
メル自身は個室を使うのに抵抗感があったのだが、男女の規律が厳格な聖堂で、さすがにアスターと同じ部屋というわけにはいかなかったのだ。
部屋には、イリーダ聖堂長との話を終えたアスターがいた。
「……どうした」
「包帯、替えにきたの」
「……あぁ、頼む」
もはや日課になった手当てをする。
最初は痛々しい傷口を直視できなかったメルだが、徐々に見慣れて、今では傷の治り具合を確かめられるようになった。
「よかった。傷、ふさがってきてる。でも、あんまり動いちゃダメですよ。治るものも治らないんだから」
「……」
アスターの背中から、うんざりした気配が伝わってくる。大分、彼の沈黙を読み解けるようになってきた。
……が、それは向こうも同じらしい。
「何か言いたいことがあって来たんじゃないのか?」
「え……なんでわかったの?」
「……髪。さっきから触ってる」
言われて、メルはぎょっとした。
いつの間にか、自分のセミロングの毛先をもてあそんでいる……全然、気付いてなかった。
「や、やだ。アスター、どこ見てんですか!」
「別に。変なとこ見てるわけじゃない」
憮然として、アスターが言った。
それは、まぁ、そうだけど……。
なぜか着替えを見られるのと同じぐらいの
シャツも脱いで、裸……。
(な、何考えてるの、メル……!)
「? ……どうした」
「な、なんでもないっ」
「痛っ……。おい。ちょっと、強すぎないか」
「……っ。アスターのせいですっ」
「…………はぁ?」
包帯をギュウギュウ巻かれて、アスターが不審げに振り向いた。
メルは、それどころではない。耳まで顔が火照るのがわかった。『メルさんはアスター殿とふたりきりで食べたいと暗に言っているのです』というレタの言葉が、脳裏によみがえっていた。
なんとか包帯を巻き終わった頃には、心労でぐったりしていた。
「──で。結局、用って?」
「……え? あ、うん……。あのね、」
年長の謡い手たちから聞いた修行のことを、メルは手短に語った。
聖女アウグスタ様の試練があること──それを受けると謡い手としての素質があるかわかるのだということ。
「──それでね、その修行を受けてもいいかなって思って、アスターに訊きに……」
「なんで俺に訊く」
「……え……」
「おまえが受けたいなら、受ければいい」
当然のことであるかのように、アスターが言う。
けれど、メルはなぜか突き放されたように感じた。
自分が何にショックを受けたのかも、わからずに。
「アスターの役に立つなら、私……」
「別に。俺はおまえが魂送りできなくてもかまわない」
──ドクリ。心臓が握りつぶされたように痛んだ。
「で、でも。そんなわけないじゃない。この前だって、私がちゃんとしてれば……!」
アスターが、けげんそうにメルを見る。
その視線を受けて、メルは……言葉に詰まった。
──私が魂送りできていれば、アスターはムチャしなかったかもしれない。
きちんと役に立っていれば、怪我ももっと軽くて済んだかもしれない。
魂送りさえ、できていれば。
アスターのそばにいられる……役に立てる。
そうじゃなかったら、私は……──
(…………『私は』…………?)
心の中に浮かんできた可能性に、メルは総毛立った。
全身から血の気が引いて、喉がカラカラに渇いていった。
「──前にも言った。俺ひとりで十分だ。……おまえの助けはいらない」
「……っ。でも、私、ルリアさんの代わりに……!」
──言って、後悔した。
亡者との戦いの最中のような深い悲しみの気配に、メルは、……何も言えなくなった。
誰から聞いた、ともアスターは言わない。
ただ血のにじむような声で言った。
「あいつの代わりはいらない。……誰も、あいつの代わりになんかならない」
絞り出した声は、凍てつく刃のようで。
絶対零度の──拒絶。
出会ったときにも言われた。
出会ったばかりだからだと思っていた。
魂送りをしなくていいと言われるのは。
でも……──
「私、がんばるから。絶対、魂送りができるようになるから。だから……!」
「……っ。必要ないって何度言ったらわか──」
「だって、それが私の
「いい加減にしろよ。おまえはもう奴隷じゃない! そんな
「だって、それを取り上げられたら、私たち何も残らない!!」
つんざくような悲痛な叫びに、アスターが声を失った。
そう、私じゃない──私たち。
ずっと魂送りをするために生かされてきた、仲間たち。
それが
亡者たちの前に放り出されて、魂送りをしろと命じられて。
その力があるから、ご主人様はその
そうじゃないなら、ただの非力な子どもとして亡者のエサにされるだけだったとしたら──
リゼルは、何のために死んだ?
ただの無駄死にじゃないのか?
そして、自分は何のために……──
問うた声は震えていて。
暗闇にともった小さなろうそくの炎みたいに頼りない。
ろうそくの火は消える。
……誰かが吹けば、あっけなく。
叫んだ声は、だから、断末魔にも似て──
「──……私が生きてる意味って何なんだよぉ……!」
物心ついたときには、似たような子どもたちが何人もいた。
年も肌の色もバラバラだったけど、
年上の子たちが口ずさむ歌や踊りを覚えた──ただそのためだけに、生かされていた。
月日が経つにつれて、子どもの数は減っていった。
主人の隊商が亡者から逃げ遅れるたび、ひとり、ふたりと減っていった。
そうやって子どもがいなくなるたび、主人は酒を浴びるように飲んで、残った子どもたちを
『いいか。どうせ亡者どもの楯になるしか能のないおまえたちを生かしてやってるんだ──ありがたく思え』
魂送りができなければ──
だから、必死に歌を口ずさんで、踊りを覚えた。
──ご主人様。私、まだ生きててもいいですか?
いつからか、そう言うのが癖になった。
物理的に死ぬことより、もっとずっと怖いのは、生きる意味を喪うことだった。
存在価値を見失うことだった。
……でも、なぜだろう。
そうやって魂送りを学ぶたび、心のどこかがひび割れて「自分」が死んでいくようだった。
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