第2章 さまよえる亡霊のごとく

第2章1話 命知らずな男

 なぜ戦う?

 守るべき者たちは、もう誰もいないのに。

 家族も友達も、愛する者たちも。みんなどこかに逝ってしまった。


 戦って。戦って。戦って。戦ッテ。亡者ヲ斬って。殺シテ。なぶっテ。壊シテ。あやメて。なんのためナノか。理由モ擦り切レテ。亡者どモニ囲まれte自分が生キテルのか死んderuのかモわかラなくなった頃──



「   」



 ──…………声が、聞こえた。



  ☆☆



 亡者がどこから来たのか、正確なことは誰も知らない。


 わかっているのは、奴らがどこからともなく現れ、生きている人間を襲って食らうこと。そして、普通の武器では倒せず、すぐに再生してしまうこと。


 彼らの魂をあの世に送り届ける唯一の手段──魂送たまおくり。


 うたい手と呼ばれる彼女たちの歌と踊りは、救われない魂をも浄化するといわれて、もてはやされた。


 けれど、光あるところには、影もある。

 神殿や聖堂を通さない闇ルートで、歌や踊りを仕込まれた子どもたちが売買されることがある。


 謡い手になるのに見合う聖性の強さがあるかどうかにかかわらず、ただ亡者除けの「道具」として歌と踊りをおざなりに仕込まれ、ろくな修行も受けられないまま亡者の前に立たされる者たち。


 そんな子どもたちは、何の庇護ひごも得られないまま、奴隷として亡者どもの楯にされて短い生を終えていく。


 旅の青年アスターに拾われた少女──メルも、そうやって不運のうちに生を終えるはず……だった。



「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」



 亡者どもから逃げて、メルは荒野をひた走っていた。

 手には、職人ギグにもらった木彫りの短杖ステッキ。スカートから伸びる子鹿のようにしなやかな両脚には、足枷あしかせの名残である鎖が巻き付けてある。


 メルに追いすがろうとした亡者のひとりが横合いからの剣撃に襲われて、メルの背後でもんどり打った。他にもいた二体の亡者がそれぞれ斧やら槍やらにたたきのめされたすきに、メルは亡者どもから距離をとる。


 ──げきが飛んだ。



「嬢ちゃん、今だ。魂送りを……!」


「は、はい……っ」



 メルは手の中の短杖に意識を集中させた。


 亡者どもの魂を葬送おく鎮魂歌レクイエム──その波動を杖の力で増幅させるのだ。歌と踊りの奏でる安らかな静謐せいひつを、祈りにこめて。


 幼い頃から何度もたたきこまれてきた。彼女の生きるすべは、それしかなかった。


 ……なのに、いざ踊ろうとすると、脚が動かない。


 地面に縫い付けられたようだった。両脚をつないでいた鎖は断ち切られている。鎖の問題ではなかった。メル自身の弱さと、もろさ。


 歯の根が、ガチガチと鳴った。

 真っ白になる頭が、警鐘を鳴らしてドクドクと痛む。

 底なしに冷えていく心臓の音がうるさい。

 外の音が聞こえない。


 メルの様子を見てとった男の声に焦りがにじんだ。



「嬢ちゃん、早く! 亡者どもが復活しちまう!」


「あ……う……」



 ──動けない。


 復活した亡者どもに、男たちが次々と力負けしていくのを見て、メルの喉がひゅうひゅう鳴った。

 そのメルに向かって、防衛を突破した亡者の手が伸びてくる。

 人間離れした怪力を宿す手。腐って肉のそげ落ちた手のひらがメルの眼前に迫って──



「…………残光蒼月斬」



 彼方から飛んできた剣の衝撃波に弾け飛んだ。


 メルは瞠目どうもくしながら、駆けつけてきた金髪の青年を見た。アスターだった。別の陣営に迫っていた亡者どもを蹴散らした後らしく、亡者どもの肉片があちこちについていて、壮絶な戦いの跡を思わせる。


 荒野のさなかに、馬のいななきが響いた。


 そちらに目をやれば、乗ってきた隊商の馬車が戻ってきていた。先ほどからメルに指示してくれていたスキンヘッドの男が、負傷した仲間たちを馬車に乗せている。



「兄ちゃんたちも乗れ。今のうちに逃げるぞ!」


「……いや、あの数だ。この距離で逃げてもどうせ追いつかれる。こいつを頼む。俺は時間を稼ぐ」


「あ……おい!」



 アスターは亡者どもに単身、突っ込んでいく。

 スキンヘッドの男の手で馬車に引っ張り上げられたメルは、男がうなるようにぼやくのを聞いた。



「あの野郎、死にてぇのか……!」


「ガレッツォ、どうする? あいつ、ひとりで亡者どもに……」


「くそっ。馬車を出せ! ひとまず亡者どもを振り切るのが先だ!」


「待ってください。アスターを見殺しにする気!?」


「俺だってそんなつもりはねぇよ。あとで必ず回収してやる! 今は逃げるんだ」


「でも……!」



 暴れかねないメルを押さえつけて、スキンヘッドの男は馬車を出した。

 メルがアスターを呼んだ。悲鳴のように。

 遠ざかっていく景色の中で、金髪の青年に数体の亡者どもが躍りかかるのが見えた。


 そうして、血をこぼしたような太陽が最後の残光をきらめかせて地平線に沈んだ頃──

 アスターは、隊商の馬車と合流を果たした。


 隊商が亡者から逃げ延びた野営地から、ガレッツォが馬を出してくれたおかげである。誰もがアスターの生存を疑う中、大きな怪我もなく生還して、メルを心の底から安堵あんどさせた。


 刷り込みのヒナみたいに離れないメルに憮然とした顔をしながら、アスターがたき火のそばで干し肉とパンにかぶりついているところへ、ガレッツォがやってきてドカリと座った。


 三十代半ばほどではあるが、身体中に無数の切り傷が走り、歴戦の傭兵だと知れた。ガタイもよければ気もいい男──今は笑っていない。



「あんたのおかげで無事、亡者どもから逃げられた。傭兵仲間のことも、ずいぶん助けてくれたって聞いた。……けどよ。なんだ、あのムチャクチャな戦いっぷりは! 死にてぇのか!」



 アスターの隣でうたた寝しかけていたメルは、ガレッツォの怒鳴り声にびくりと身をすくませた。アスターはそっけない。



「生きてるんだから、いいだろ」


「亡者相手に独りで戦うなんざ、正気の沙汰じゃねぇ。あんた、そのうち死ぬぞ!」


「……死んだらそれまでってことだ」



 アスターとガレッツォのやりとりを、メルはハラハラしながら見守った。



(なんでまた喧嘩してるの。せっかく乗せてくれる隊商に会えたのに……)



 でも、自分が悪いような気もしていた。

 そもそもメルが魂送りできていれば、昼間、アスターを亡者どもの中に置き去りにすることもなかったのだ。

 そう思うと情けないやら悔しいやらで、しゅんと落ち込んだ。

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