第1章8話 たくされた祈り
そもそも少年たちを止めたのは、職人のギグが投げつけたペンチだったらしい。
年季の入った作業着を着て、首元にタオルを提げた男を見て、メルは目を丸くした。
昼間、武器屋の工房で会った職人だった。なんでこんなところに……。
「あれからどうも気になってな。ずっとお嬢ちゃんのこと、探してたんだ」
アスターに視線を転じれば、くわしいことは聞かされていないらしく、黙って首をすくめた。
ギグに連れられて向かった夜の武器工房は、昼間と打って変わって静寂に包まれていた。
ついている窯はひとつだけ。その前で、火の番をしていた若い職人があくびを噛み殺していた。
「悪いな、思ったより遅くなっちまって」
「いいッスよ、他ならぬギグさんの頼みなら。代わりに今度、一杯おごってくださいよ。……じゃ、親方にバレないように気を付けて」
若い職人はメルに──アスターにではなく──ひらひらと手を振って工房を出ていった。
「あの、いったい……?」
「お嬢ちゃんはそこに座ってな。暑くて悪いけど、すぐ済むから」
なんとなくアスターの方を見ると、黙ってうなずいてくれた。
メルは窯の前におずおずと座った。足枷から伸びる鎖の根本に、ギグが何かの器具を取り付ける。何かの呪句が作用しているらしく、足首がひんやりと冷えた。
ギグの優しい細面の面立ちが、窯の炎の前で厳しく引き締まるのにぞくりとする。
「……じゃあ、始めるぞ」
ギグは、メルの足枷についている鎖を炎の中に差し入れた。炎の高温に焼かれて、だんだんと赤みを帯びてくる。
金属の焼かれる、むっとした臭い。
むせ返るような熱気がメルの肌を
暗闇の中で躍る炎の美しさに目を奪われた。
鎖が十分に熱されて赤くなると、ギグは窯から取り出してハンマーで勢いよく打ち始めた。
ひとつ、ふたつと打つたびに、頑丈なはずの鎖が刃こぼれするように砕けていく。
パキン! と最後の欠片が散って、鎖は真っ二つに断ち切られた。
「うわぁ……!」
「こんなもんだろ。余った鎖を脚に巻き付けときゃ、少しは動きやすくなるはずだ」
「ありがとうございます……!」
「……いいのか?」
「さすがに足枷を取るのはまずくても、鎖ならと思ってな。何か言われても、兄ちゃんが『動きにくくて使いづらかったから』って言えば済む」
言外に、アスターがメルを連れていくのを前提とした物言いだった。
だが、アスターはごまかされなかった。
「……そうじゃなくて。いいのか、こんなことして。親方にバレたらまずいんだろ」
アスターの指摘に、浮かれていたメルもしゅんとなった。
自分の鎖を切ったことで、この優しい職人がとがめられるかもしれない。
なのに、ギグはきっぱり言った。
「俺は自分が正しいと思ったことをやるまでだ。誰に後ろ指さされるいわれもない」
「……でも……」
「待ってろ。もうひとつ、渡すものがあるんだ」
一度、工房の奥に引っ込んで、ギグがもってきたのは──木彫りの杖だった。
ちょうどメルが片手で手軽に扱えるぐらいの長さと軽さ。簡素な造りに見えて、女神の守りと加護の紋様が丁寧に彫り込まれている。
受け取ると、しっとりと肌に吸い付いてなじんだ。
「……魂送りの杖? おじさん、これ……!」
「本当は
「でも、こんなこと、してもらう理由が……」
「なに、かまいやしない。これは俺のワガママなんだ。……俺の
窯の炎に照らされて、玉の汗が浮いた横顔に沈痛な影が落ちた……気がした。
それでも、切とした願いをこめた眼差しは、確かな熱を帯びて。
「約束してくれ。もしどこかで俺の娘が亡者になってたら、魂送りしてやってくれな。きれいなところに
手の中にある杖の、重み。
ぐらついていた心の天秤が、メルの中で、確かに釣り合った。
「……うん!」
想いをたくし、たくされて。
まっすぐに見上げた男は、目尻にしわを寄せながら、照れ隠しにやわらかく
☆☆
火の後始末をするというギグを工房に残して、メルとアスターは外に出た。
昼間の熱を失った外気は急激に冷え込み、夜の気配が濃くなっている。どこかの草むらから虫の鳴き声が響いていた。
さすがにアスターもくたびれたようで、外に出ると伸びをした。
「すっかり暗くなったな」
「そうですね……」
長かった一日が終わろうとしている。
けれど、まだ一番肝心なことが残っていた。
これから、どうしよう。
こればっかりは、もう後回しにできない。
でも、帰る場所、なんて……。
「——メル」
「は、はいっ」
思わず背筋を伸ばして、気が付いた。
(な、名前。初めて呼ばれた……!)
あたふたしているメルに、アスターがけげんそうな顔をした。
でも、生まれて初めて名前を呼ばれた……!
アスターがつけてくれた、女神様の名前。
自分だけの名前。
たったひとつの……。
「もう一回、宿探すか」
メルは、ぱちりと目をしばたたかせた。
それって、つまり……──
「……うん!」
アスターのどこか憮然とした顔に、あるかなきかの笑みが浮かんだのは気のせいだろうか。
明日のことはわからない。
でも、今はこうして一緒にいられる。
ふたりで仰いだ夜空には、降り注ぐような満天の星が浮かんでいた。
(1章・了)
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