第1章5話 希望の果てに

 かしゃん……かしゃん。

 赤土だらけのさびれた通りに、鎖の音が響く。


 武器屋のあった目抜き通りを抜けて郊外に出ると、小さな町の人通りがめっきり減って、今、通りにいるのは旅の青年と足枷付きの少女だけ。


 ひとしきり鎖の音を響かせて、通りに座り込んだアスターが悪態をついた。



「……っ。くっそ……!」


「ねぇ、アスター。もうあきらめよう? 剣なんかじゃムリだよー」



 空き屋らしい民家の軒先にちょこんと座って、メルが言う。


 足枷を壊すのはムリでも、せめて鎖だけでも……そう思ったアスターがメルの足の鎖に剣を当てるのだが、ビクともしない。剣が刃こぼれするのではないかと、見ているメルの方が気が気ではない。



「……こうなったら奥の手を使う」


「奥の手?」


「そこに立ってろ。……動くなよ」



 言われたとおりに立ち上がって通りに出たメルは、次の瞬間、凍り付いた。


 アスターの詠唱とともに、剣が刀身におぼろな光をまとっていく。

 構えの形に残像が三日月形の弧をゆっくりと描いて──



「残光……蒼月斬!」


「きゃーっ!?」



 全力で逃げたメルの真横を、すさまじい剣風が吹き抜けていった。

 当たってもいないのに、セミロングの髪が二、三本、乾いた街路に散っていった。



「おい、逃げるな」


「だってこれ亡者たちを蹴散らしたときの技でしょ!?」


「安心しろ。……外しはしない」


「外れたら死ぬから! ちょっ……目がマジになってるのやめて!?」



──アスターとメルの不毛な鬼ごっこは、しばらく続いた。



「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」



 全力疾走してへたりこんだメルの横に、アスターが座った。剣は鞘に収めている。……助かった。


 あんなに走ったのに、アスターは少し頬が上気しているぐらいだ。そういえば、昨日はメルを抱いて荒野を駆け抜けてくれた。やっぱり体力が違うなぁ。ちょっとうらやましくなった。


 昨日から思っていたことが、ぽつりと、口に出た。



「……ねぇ、私のご主人様になってよ」



 蒼氷の瞳が、意外そうに、ひとつまたたく。


 けれど、メルはずっと思っていたのだった。──。そう思うぐらいには、この無愛想な青年のことが好きになっていた。



「アスターは旅してるんでしょ。亡者たちをいっぱい斬るんでしょ。そしたら私、魂送りするよ。今はまだあんまりうまくないけど……でも、きっとできるようになるから。アスターの足を引っ張らないように、私……!」


「──断る」



 アスターが言った。

 剣で斬り付けるような、冷たい声音で。



「謡い手は、いらない。俺ひとりで十分だ」



 メルは──

 知らず知らずのうちに、期待していた自分自身に打ちのめされた。



(私、バカだ……)



 足手まといでしかないのに。

 昨日も今も、迷惑しかかけていない。


 泣くかと思った。自分が。でも、涙は一滴も流れない。


 知ってたじゃないか。涙なんか枯れ果てたんだって。

 自分は

 期待して裏切られるのなんか、なんてことない。

 大丈夫、慣れてる。……大丈夫。



「……。そう、だよね……。ごめんなさい。ワガママ言って……」



 アスターの前で、うまく笑えていればいい。

 気の遠くなるような沈黙の果てに、ふいと目を逸らしたのは青年の方だった。



「行こう。ぐずぐずしてたら日が暮れる」


「……うん」



 赤土だらけの街並みを歩いた。

 ふたりとも、何も言わない。出会う前よりも他人同士みたい。


 十字路に差し掛かると、屋根越しの逆光に目がくらんだ。

 急に、隣にいる青年が見知らぬひとに見えた。


 冴え渡るような金髪に、くたびれた旅装束のマント。冷めた湖水の蒼い瞳に、凍えるような悲しみを秘めて。

 ……たったそれだけ。それしか知らない。

 でも、そんなことは、道端の草だってわかる。メルじゃなくても。


 そうして煉瓦造りの古ぼけた建物の前にたどり着いた頃には、影法師が大分長くなっていた。ふたり分。建物から女のひとが出てきて、三人になる。


 二段ベッドが所せましと並ぶ大部屋から好奇心旺盛な子どもたちがちらちらと視線を寄越す廊下を通って、メルとアスターはこぢんまりとした応接室に通された。


 事務室と兼用しているのか、机の上には書きかけの書類と羽根ペンが散らばっている。インク壷も蓋が開いたまま。


 院長だと名乗った女のひとは、メルの足にくっついた足枷について何も言わなかった。ちょっと視線をやったぐらいで、また笑顔になった。



「亡者に殺されかけたんですって? でも、助かってよかった。うちの孤児院に来たからにはもう安心ですよ。うちはね、亡者どもに親を殺された子も多いの。いろんな子たちがいるけど、大丈夫。すぐになじむと思うわ……さぁ、いらっしゃい」


「……え……」



 メルは、ちらりとアスターを見た。


 温厚そうな院長はにこにこしている。メルに向かって。

 まるでアスターなどいないかのような振る舞いに、うなじの辺りでチリチリとした違和感を覚えた。何だろう……。


 アスターが、メルの背中をぽんと押した。



「じゃあ、俺はこれで」



 落っこちてきた言葉に、メルは差し出しかけた弱気な手を引っ込めた。


 ──他人なんだ。そう思った。


 全然関係ないのに助けてくれた。危険をかえりみずに。

 優しいひとだ。

 差し出された手を、つい取ってしまうひと。

 だから、これ以上、甘えちゃいけない。



「……ありがとうございます。亡者たちから助けてくれたのも」


「元気でな」


「うん。アスターも元気で。……さよなら」



 金髪の青年が去って、応接室の扉がぱたりと閉まった。拍子抜けするほどあっけなく。……振り返りもしない。


 ほんの少し、胸が痛んだ。

 この町に来てから別れてばかりだ。そう思った。

 元のご主人様ともアスターとも……。


 うなだれたメルの肩に院長が手をのせた。にっこりと。



「さぁさぁ、あなたの持ち場に案内するわ」


「……持ち場……?」


「ええ。こっちよ」



 心臓がドクドクと脈を打った。

 どうしてこんな不吉な予感がするのかも、わからずに。

 唾を飲み下した喉がひりついて痛い。


 院長の後をついていったメルは、汚れた食器がシンクに山と積まれた台所に通された。


 いつから放ってあるのか、小バエが飛んでいる。油汚れにまみれた床の隅に、犬の寝床のようにみすぼらしい毛布のかたまりがあった──人間大の。



「あの、これ……?」


「もちろん、あなたの新しい寝床よ。本当に助かったわ。前の子が逃げちゃって、子どもたちの世話をする子がいなくなって困ってたの」



 メルは目をみはってたちすくんだ。足がえるのを必死にこらえた。


 アスターは何て言っていた?

 何も…………──何も。

 放り出すのは後味が悪い?

 拾った自分の責任?

 でも、これじゃ……──


 絞り出した声は、ひどくかすれていて、自分のものじゃないみたい。



「アスターが、私のことを売ったの……?」


「いいえ? お金のやりとりなんかしてないわよ。でも、奴隷なんて、どこもこんなものでしょ。それともなぁに? まさかあなた──」



 院長が信じられないというふうに、口に手を当てた。

 メルのことを。ウジ虫でも見るように。

 汚らわしいものを見る目で。



「──奴隷の分際で、人間ヒトみたいに暮らせるとでも思ったの?」

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