第1章6話 亡者よりも……
台所の柱にメルの足枷の鎖をつないで、院長は鼻歌交じりに立ち去った。
動けるのはせまい台所の中だけ。用を足すための瓶だけ、渡されて。
凍り付いた。前の主人のところでも、ここまでひどい扱いだったことはない。
周りの子どもたちが魂送りで次々に死んでいったとしても……。
いや、だからこそ、それまで死なせないために最低限の保証はされていたのかもしれない。歌と踊りを仕込んだ子どもたちが、その
メルはふらふらと毛布に座り込んだ。
ゴワゴワの布地。使い古されて薄っぺらの。
衝撃を全然吸収してくれなくて、お尻が痛くて冷たい。
膝に頭をうずめた。
「……っ。……泣くな。泣くな、メル。…………泣くな」
泣いたって何も変わらない。
……そうだ、亡者に食われるよりマシじゃないか。
生きてるだけマシだ。死んだ仲間は戻らない。
亡者どもを魂送りしようとして、逆に引きずり込まれて。
あの子たちはどこに逝ったんだろう?
どこかきれいで安らかな場所に逝ったの?
それとも、さまよえる魂として地上に舞い戻ったのだろうか。
腐ってもなお動き続ける亡者となって……。
(……。でも、どっちの方がマシなんだろう)
自我もなくなって。生きているがゆえの苦しみも痛みもなくなったとしたら。
もしかしたら、そっちの方がよっぽどマシなんじゃないだろうか。
だから、みんなそっちに逃げて……。
「…………ふぇっ。…………うぅっ」
──……考えすぎだ。いくらなんでも。
みんな生きたかったはずなのに。
生きてる私が、こんなこと考えるなんて……。
「…………ごめん……ね…………リゼ……ル」
脳みそが
泣き顔を、誰も見ていないことだけが救い。
泣いて。泣いて。泣き疲れて。
メルはいつしか、膝を抱えたまま眠りに落ちていった。
☆☆
「……」
「…………」
「……──寝てる?」
「…………しーっ。静かに…………」
「…………ンス……ここで…………」
「ここは……ずい……。場所を…………て」
何人かがひそひそと話す声で、目を覚ました。
見知らぬ少年たちに囲まれている──三人。
メルよりも少し年上だろうか。身なりは継ぎ接ぎで、着古しているのがわかる。
この孤児院の子どもだろうか。でも、こんな
「あ、あの……? えっと……食事の用意、まだ……」
「しっ……! 静かに。今、鍵外してやっから」
「……え……」
見ると、柱にくくりつけられた足枷の鎖──そこにつけられた南京錠を、そばかす顔の少年が外そうとしているところだった。
鍵は院長がもっていたはず。なのに、今は少年の手の中。
「なぁなぁ。本当にこの鍵合ってんの? 先生からくすねるときに間違えたんじゃねーの?」
「うわっ、ダセー」
「うるせぇ、黙っとけよ。
カチン、と小気味よい音がして、メルは台所の柱から解き放たれた。
少年の仲間が勝手口を開けている。そこから玄関の方に回れるらしかった。
「こっちだ、こっち。この時間は先生たちが会議でいないんだ。見つからないうちに早く」
「は、はい……っ」
少年たちに手を引かれて、メルは何が何だかわからないまま孤児院の敷地を転がり出た。赤土だらけの街路に、四人分の影が長く伸びている。
少年たちはメルを連れて路地裏の方に入っていった。その暮れなずむ残光からも逃れるように、陰へ陰へ。
「バレてないか?」
「——完璧。クソ院長、ざまーみろ」
「あ、あの。助けてくれてありがとう」
「へへっ、いいってことよ。なぁ?」
「おぅ! 女の子をあんなとこに放っとけないもんな。それに、前にも……」
「あっ、バカ。言うなって」
「……? もしかして、私の前にいた子も、あなたたちが逃がしてくれたんですか?」
「あ? あぁ、まぁな……」
メルはほっと胸を撫で下ろした。
孤児院の台所に鎖でつながれたときは、どうなることかと思ったけど……。
(よかった。私の前にいた子も、この子たちが助けてくれてたんだ……)
目頭が熱くなった。
助けてもらってばかりだ。この子たちにも、……アスターにも。
ズキリ、と胸が痛んだ。
謡い手はいらない、と言ったアスター。
……彼のところには、戻れない。
「私の前にいた子は、今どうしてるんですか? どこにいるの?」
メルの手を引いて走っていた三人の少年たちは顔を見合わせた。
「さぁ……あれから見てないもんな。でも、今頃、もう──」
「だから、バカ。やめろって」
「?」
なんだろう。前にいた子のことを話すとき、三人とも目が泳ぐ。何か後ろめたいことでもあるかのような……。
『前の子が逃げちゃって、子どもたちの世話をする子がいなくなって困ってたの』
ひとけのない方に行くのが気になった。確かに、逃げ出すのなら、孤児院の者から見つからない方がいいけれど……。
打ち捨てられた生ゴミのすえた臭いが鼻をついた。路地を入るたびに、どんどん辺りが暗くなっていく。
「……あの、どこまで行くんですか? さっきからけっこう走ってるけど……」
「……そうだな。もうそろそろいいだろ」
どこかにたどり着いたというわけでもない、ただ家と家の壁があるばかりの、暗がり。保護してくれる場所もなければ、逃げ出すための馬車があるわけでもない──そんな場所で。
そばかす顔の少年が薄暗く笑って、メルの方に向き直る。つかまれた手首に痛みが走った。
——振りほどけない。
「!? ……な、何を……」
地面に押し倒された。泥の臭い。跳ねて、目に入って痛い。
めちゃくちゃにもがくメルを、少年たちが押さえ込んだ。
「おい、おまえ。そっち押さえろよ」
「口ふさげ。騒がれると面倒だ」
「ナイフ当てとけ、ナイフ」
「痛てっ。こいつ、蹴ってきた」
亡者どもの手が伸びてくる。違う。人間の手。生きてる、ひとの。──あぁ、でも。
「へへっ、先生にナイショで売り飛ばしてやろうぜ」
「バーカ、そういうのはじっくり
頬を指でなでさすられて、メルはビクリと身を強張らせた。
抵抗して蹴り上げようとした脚が、鎖に阻まれる。足枷についている鋼鉄の鎖。踊ったり走ったりするときに邪魔なそれが、今は鉛のように重くて。
「でもさー、そんなことやってるから、こいつの前の女逃がしちゃったんじゃん」
「あれはあいつが悪りーよ。せっかく鎖を解いてやったのに逃げ出すんだもん」
……腐臭が、した。
心の根っこが腐った臭い。ドロドロに撹拌されて。
亡者どもの動きは機械的だった。怖かったけど、そこに欲望とかは感じなかった。
このひとたちは、亡者たちより弱い。数も少ない。……でも。
「でも、荒野は亡者どもの巣窟だぜ? 死体もあがらないんじゃ今頃──……」
──……忘れてた。
「──亡者どもの腹の中だろうけどな」
そばかす顔の少年の手が伸びて、ブラウスのボタンを引きちぎろうとしたそのとき、不意に、かたわらの少年が声をあげた。
「……痛てっ!」
「なんだよ、いいところなのに」
「いや、背中に何か当たって……何だこれ?」
拾い上げた少年の手元が鈍く光った。暗がりでかすかに見える、銀色の光。
そして──
光の差さない路地裏に届いた、幻のような声。
「──…………残光蒼月斬」
少年たちの背後から放たれた剣撃が空気を切り裂いて、彼らの真横を走り抜けた。
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