第1章4話 面影を重ねて
宿の裏手の洗い場で服を脱ぐと、すごい臭気を放っていた。
亡者たちの腐肉やら髪の毛やらが飛んだのだから、当たり前だ。
亡者たちに引き裂かれて、ところどころ穴あきになっている。
この格好でアスターの前にいたのかと思うと落ち込んだ。
……服を恵んでくれたのも、黙ってありがたく受け取ることにした。
真新しいブラウスとスカートに着替え、髪を手ぐしで整えると、姿見の中に見たこともない少女が現れた。
……これが私? 変なの。まるで普通の女の子みたい。
先っぽの跳ねたセミロングの髪まで、なんだかよそ行きに見える。
「……『メル』」
もらった名前を舌の上で転がしてみる。
「『メル』『メル』……『メル』。女神様の名前だって。ふふっ、変なの」
鏡の前でくるりと回ると、足の鎖がじゃらりとなった。俺を忘れるなよというように。
もちろん忘れるわけがない。いつも足にくっついてる。
両足をつなぐ鎖は長くて、踊ったり走ったりするときに、ちょっと邪魔。でも、ついてくるのはしかたない。影法師みたいものだ。誰だって、自分の影をちょん切ることはできない。
宿の清算を済ませると、アスターはメルを連れて表通りに出た。
どこに行くのかと思ったら、煙突からもくもくと煙が出ている一軒にたどり着いた。看板に揺れる文字は「武器屋」。メルは首をかしげた。
(こんなに立派な剣、もってるのに……?)
店内には、壁という壁に、剣や弓や槍、楯や甲冑などが所せましと飾られている。
顔が映るほど磨き込まれた婦人用の短剣。赤や黄色の美しい羽根飾りのついた矢。亡者対策のおまじないなのか、銀製の十字架やお札などもある。
「適当に見てていいぞ。俺は奥にいる」
そう言ったアスターは、店の者と二言三言交わすと行ってしまった。
メルは言われたとおり、待った。
一通り、商品を眺めても、アスターはまだ戻ってこない。
(遅いな……)
店の奥からは、金属を打ち付ける音が途切れ途切れに響いている。
店の正面に比べると粗末で小さな扉が、少しだけ開いている。
メルはそろりと中に入った。
工房の中は薄暗くて、目が慣れるまでに少し時間がかかった。
時折、辺りが雷に打たれたように明るくなり、火花がバチバチと散る。ジー……という低い音が断続的にして、金属の溶ける独特の臭いと混ざり合っていた。
「これ、もしかして……魂送りの杖ですか?」
「えっ? あぁ、そうだけど……」
「すごーいっ。こうやって作ってるんだ。初めて見た!」
「お嬢ちゃん、魂送りを知ってるのか?」
「うん、小さい頃からずっと習ってたもん」
若い職人たちに交じって作業していた壮齢の男が、面食らったようになった。
「え? まさかお嬢ちゃんが謡い手? 亡者を
「おい、ギグ。その子……」
「…………あ」
メルの足枷に気付いた職人仲間がこっそり耳打ちした。
きちんと聖堂に所属している謡い手に、そんなものがついているわけがない。
「……かわいそうに」
ぽつりと漏れたつぶやきは、窯の炎の音に掻き消された。──ついでに、当の本人にも。
「こんなに細かい模様どうやって入れるの?」
「え? あぁ。ここは彫り入れてるんだよ。ほら、こうやって見本を見ながら……」
「えーっ。手作業なんだ? これ全部⁉」
「あったりめぇよ! こんなの朝飯前だって」
「こっちの金色になってるヤツは?」
「金属の粉を練り入れてるんだ。こう見えて匠の技なんだぜ」
「うわぁ、きれーい!」
「だろ? そう思うだろ? ちょっと待ってろ。今とっておきの技見せてやるからな!」
「えっ、いいの!?」
滅多にない若い女の子の歓声に気をよくして、職人たちが盛り上がる。メルの境遇に同情していた年かさの職人はあっけにとられ──……苦笑した。かわいそうだ、なんてとんでもない。自分の
工房の奥で、怒鳴り声がした。
「できねーもんはできねぇって言ってんだろぉ‼」
工房の奥でアスターが工房の親方と話していた。
怒鳴られた当の本人は平然としている。
「……なぜだ。剣を鍛えるより簡単だろ?」
「奴隷の足枷を壊すなんて頭沸いてんのか? そりゃ、
「逃げたんじゃないって、何度説明したらわかるんだ。前の主人が手放したんだから、あいつはもう自由なはずだ」
「だから、そういう問題じゃねーよ。第一、奴隷本人が言ったことなんか信用できるかっ」
親方はふと、目の前の青年をしげしげと眺めた。使い慣れた旅装束。剣に使われた見慣れない意匠……。
「……あんた、グリモアの人間じゃねーだろ。今時、亡者どもに国を追われたヤツなんざめずらしくもない、が」
──親方のその言葉で。アスターがさっと青ざめた。
メルも弾かれたように顔を上げた。
……亡者どもに国を追われた……?
親方はイライラと葉巻を吹かしてふぅっと吐き出した。アスターに向かって。目の前の相手がゲホゲホむせるのもかまわずに。
「──いいか、兄ちゃん。土地には土地のルールってもんがあるんだよ。あんたがどこの人間かは知らねーが手前勝手な正義を押し付けんじゃねぇ……青くせぇクソガキのすることだ」
──うつむいたアスターの表情は、逆光でよく見えない。
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