【KAC20233】彩恋アーティスト
めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定
キミと先輩
ボクはデッサンが好きだった。
現実をそのまま紙に描写する。
白い紙に世界を切り取っていく。
その過程がなによりもボクを夢中にさせた。誰かに見せて絵が上手いねと褒められるのも嬉しかった。水彩絵の具で着色するとより現実に近づいていく。多くの人から褒められる。
けれど、いつからだろう?
他人に自分が描いた絵を見せるのが怖くなった。
『写真みたいだね』
その言葉が呪いのようにボクの中に蓄積していた。
どれだけ上手く現実を描いても、写真に近づくだけだと言われた気がして。
それでも絵を描くことは好きだから美術部に入った。
「キミの絵は線がとても綺麗だけど、やっぱりつまらないね」
「……またですか。放っておいてください。あと部外者は立ち入り禁止です」
「私は現役の美術部員でキミの先輩なんだが!」
「先輩って芸術に興味ありましたか?」
「ない!」
先輩は美しく断言した。
相変わらず変人っぷりだ。
綺麗な顔立ちに長い黒髪。黙っていればお人形みたいと言われるだろう。だが学校随一の変わり者だった。
絵は描かない。彫刻もしない。造形もしない。そもそも芸術に興味がない。
ボクが入部したときには先輩はすでに美術部にいた。というか先輩しかいなかった。今も部員は二人だけだ。絵を描く部員はボク一人。
この学校の美術部は伝統的にサボり部らしい。
たまにマンガやイラストを描くために入部する人がいて、部費で教材を購入して残していく。美術関連の本も多いが教材名目のマンガも多い。それ目当てに毎年一人は変人が入部する。
なぜそんな部が存続できるかと言えば文化祭だけは頑張るからだ。
去年は本当に先輩一人きりだった。進学の下見に訪れたボクは先輩の作品を見たことがある。
タイムラプス動画を利用した作品群。
落下する水滴。床に落ちて割れる生卵。絵の具を混ぜた水風船。様々なモノを落として割って、その光景をつなぎ合わせていく。
現代アートに近い作風だ。ボクはその作風に魅了された。
現実の切り取り。
ボクの作品よりも躍動感があった。こんな瞬間を描きたいと思ってしまった。ちょうど自分の作風に疑問を持っていた時期だったので目が曇っていたのだ。
現実の先輩は芸術に興味のない変人だった。
タイムラプス作品も制作期間一日。文化祭直前に撮った苦し紛れの作品だったらしい。ボクの憧れを返せと言いたい。
「キミはマンガとかイラストとか描かないのか?」
「興味ないです。先輩が芸術に興味ないのと同じで」
「そうか。ならば先輩命令だ。私を超美麗なアニメヒロインチックに描け。私は二次元ヒロインになってみたい。今なら制服が乱れたセクシーショットでモデルをするぞ」
「自撮りでもすればいかがですか?」
ボクがつれなく返すと先輩はいきなりスマホを操作し始めた。
まさか本当にここで自撮りを開始するつもりだろうか。
不安がっているとブーブーとボクのスマホが震えた。
嫌な予感がしてちらりと先輩の顔を見る。とても素敵な笑顔とサムズアップだ。自分のスマホを確認する日が来るなんて思いもしなかった。
恐る恐る指紋認証を通し、スマホの着信内容を確認すると。
「ぶっ! なにを送り付けているんですか!?」
「私の珠玉セクシーショット制服着衣チラリズムコレクション」
「すでに撮影済みとかあり得ないんですけど!」
「ちなみにこんなのもある。足上げ入浴シーンとパスタオルを巻いただけコレクション」
「だから送ってくるな!」
「私を美少女イラスト化するための資料にしてくれたまえ」
「やらないって言っているでしょ!」
「そんなに嫌か?」
「ええ!」
先輩は少し考え込むような仕草をしたあと、スタスタとボクの後ろに回り込んだ。
目の前には真っ白なキャンパス。背後に変人。危険な状況だ。
そのまま先輩はボクにしなだれかかるよう抱き着いてきた。
スレンダーな身体つきだがやっぱり柔らかい。
「せっ、せんぱい! なにしているんですかっ!?」
「キミが悪いんだ。私の言うことを聞かないから」
「そんなおうぼうにゃぁぁーーーーー!」
カプリっと右の首筋を甘噛みされた。
暖かくぬめりとした先輩の舌の感触が這いまわる。痛くはない。甘くてむずがゆい痺れが首筋から背骨の神経を通じて全身に行き渡る。
しばらくすると先輩はちゅぱっと音を立ててボクから離れた。
「ごちそうさま」
「な……なにを」
「描け。描かなければ会うたびに同じことをする」
「どんな脅しですか!?」
「こうやっておけば私に損がないし。むしろキミが描かなくてもいい気がしてきた。描かないということはキミの中の秘められた欲望が解放されたという――」
「――描きます! 先輩のアニメチックな美麗イラストを描きますからもうやめてください!」
「本当か! 首筋にかみついた甲斐があった。真面目過ぎるキミのために私を感染させてみたんだ! キミが従順になってくれてよかったよ!」
「先輩は吸血鬼かなにかですか!?」
それからボクは何日もかけてアニメチックなイラストに挑戦した。
幸いなことに美術室にはその系統の資料が豊富だった。恥ずかしかったが先輩から送られた画像も参考にした。身体の線がわかるからであってやましい気持ちはない。
先輩は楽しみにしていると言って、完成まで美術室には来なかった。
初めての挑戦。
現実のモノ以外を描いたことがなかった。
写実的ではダメだ。
モデルはあるけれど幻想的に。現実の先輩をアニメチックにするだけではいけない。ボクがイメージする先輩を描かないと満足してくれないだろう。
初めての挑戦に線がぐちゃぐちゃになる。
何度も何度も描き直した。
髪の毛一本にまでこだわって描き直した。
髪色も黒ではない。様々な色を試してはやり直した。
色彩もぐちゃぐちゃ。こんな配色は現実ではありえない。でもそれが先輩らしいと感じた。
ボクの心もぐちゃぐちゃだ。自由に描いたことがなかったから。
ただ一つわかるのはボクは先輩の絵を描くのが好きみたいだ。
そして一枚のイラストアートが完成した。
先輩も美術室に駆けつけてくる。
「できたのか!?」
「はい。描きましたよ。気に入っていただけるかわかりませんけど」
「気に入った! まだ見てないけど!」
「はあ……相変わらずですね。では見てください」
「これは……キミは殻を破ったんだな!」
描いたのは夕暮れの紅に包まれた美術室。
床には靴跡のついた何枚もの画用紙がぐちゃぐちゃにばらまかれている。その画用紙には文化祭のタイムラプス動画の画像が描かれていた。
その中央にいるのは先輩だ。
炎のような深紅の髪をなびかせて、笑みを浮かべているのに目が笑っていない。真っ赤な瞳は現実への怒りを映し出されていた。
手には折られた筆を持っている。
去年の文化祭で見た先輩の姿だ。自分で作ったタイムラプス作品を壊していた。その姿が美しかった。
本当はボクよりも絵が上手い。先輩はコンクールの受賞歴もある奨学生だ。それなのに絵が描けなり筆を折ってしまった。そんな先輩の姿に憧れたのだ。
世界に対する怒り。
自分に対する怒り。
ボクにとって先輩は炎だった。
芸術に対する情熱は今も燃え盛っている。
「気に入っていただけましたか?」
「ああ……キミには私がこう見えていたのか」
「また絵を描いてくれますか?」
「そうだな。久しぶりに描きたくなった」
「いい加減ボクの名前をちゃんと呼んでくれますか?」
「キミはキミだろ」
「希望の希に美しいと書いて
「そうだったか?」
「ちゃんとのぞみって呼んでください」
「そうだな。……この質問に答えてくれたらのぞみと呼んであげてもいい」
「なんです?」
「このイラストの中の私はずいぶんと胸が大きい。キミには私がそう見えていると思っていいのだな?」
「…………にこ」
「笑ってごまかさずに答えたまえ!」
「先輩って……ボクより胸が小さいですよね」
「そんな素敵な笑顔で私を憐れむなっ!」
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