第四幕
あれからすぐに夏休みに突入した。彼女の住んでいる地域とは異なるため、ほとんど出くわすこともないだろうと思ってた。
夏休み中に彼女を忘れる努力をしよう。そう決意していたのに、街中で黒髪の女性を見かけるたびに、彼女を思い出してしまう。胸にチクリと走る痛みを伴うように、決まって蘇るのはあの言葉。
『もう二度と私の前で姿を現さないで』
その後ろ姿から逃げるように迂回したり、遠回りしたりすることを数えきれないほど繰り返した。そんなことをしているうちに、あっという間に夏休みが終わり、二学期が始まってから一週間が過ぎた。
文芸部に行ってないのが不審に思われたのか、クラスメイトから心配された。無論、正直に話すわけにもいかないので『先輩は今日も部活する気がないらしいんだ』と誤魔化した。けれど僕の予想とは裏腹に、二人は顔を見合わせる。
「え。ちょっ、まさかお前、知らなかったのか?」
「? 何を?」
「うわ、マジか」とか「やっぱ変人様が何を考えてるんだか分かるもんじゃないな」とか言い始めた。
「ちょっと。あんまり先輩を悪く言わないで。そりゃあまぁ、確かにちょっとおかしなところもあったけど、基本的にいい人だよ」
そう反論すると何故か「可哀想」まで言われる始末。二人の間に視線を行き来させると、一人がバツの悪そうな顔をした。
「すんげぇ悪いとは思うけど……真鍋先輩、もう亡くなったぞ?」
「へぁ? い、いつっ」
「いつって……。まさか葬式に行かなかったのか? 夏休みの間に」
「呼ばれ……なかった、ので……」
二つの『マジか』をどうやって受け止めたらいいのか、思考がまとまらずに顔を俯いた。今しがた彼女が亡くなったことを知り、授業内容を聞く余裕なんてあるわけがない。
――どうして僕だけ、全く知らされてないんだ……。
まっさらなノートをぼんやりと眺め、自責の念が渦巻く。時間が過ぎるのも忘れ、あっという間に放課後になってしまった。いつの間にか、残っていたのは僕だけとなった。
けれど帰る気にもなれず、校内をぶらぶらすることに。気が付けば、僕の足は部室に向かっていた。僕は無意識のうちに、彼女の面影を探してしまっていた、ということか。
「……こんなことしても、意味ないのにな」
自嘲の声は、ドアの表面に落ちて消える。大袈裟なため息を吐き出し、ドアノブを回してみる。
「あれ、鍵がかかってない……」
まさか誰かが中にいるのか。けれど、部長である彼女が亡くなった今、部室の管理は顧問の先生に任されているはず。じゃあ、今中にいるのは一体誰なんだ……。
不安な気持ちを誤魔化すように扉を押し開ける。すると、中にいるのは文芸部の顧問の先生だった。
「来たね」
先生は僕を見るなり立ち上がった。後ろに束ねられた長い茶髪を揺らしながらこっちに向かってくる。
「来なかったらどうしようかと思ってたけど、彼女の予想通り、だね」
色々質問したいのに、どうしてか尋ねる気にもなれない。
そんな僕の様子に困ったような笑顔を浮かべて、先生はあるものを差し出した。何の変哲もない、真っ白な封筒。その表側には『後輩B君へ』と書いてあった。
言葉に詰まる僕に先生はこう語り続ける。
「鍵はここに置いておくから、気の向くままに残るといいよ」
先生が机の上に鍵束を置いて、部室を出て行った。改めて封筒に目を落とす。生前の彼女に拒絶された相手に、今更何を伝えたいのか。どうせ、あの日の悪口の続きとかそういうやつなんだろう。
葛藤しながらも、僕は封筒を開ける決意をした。葬式に呼ばれなかったにせよ、彼女の最後の言葉を受け止めるのはせめての礼儀だ。手が震えながら封を切り、便箋に書かれた彼女の字を目で追いかけ始める――。
「
いつか本名を呼んでもらいたかったけど、まさかこんな形で初めて実現されるとは思わず、ぎゅっと唇を結んだ。
「もし君がこの手紙を読んでいるだとしたら、きっと私が死んでから大分経った頃だと思うわ。君に一切事情を話さなかったのは理由があった。その理由を今、君に話すわ。
私、癌なの。」
飾り気もないその一言に、心が打ちのめされた。
「発見した時は末期ですって言われて、余命まで宣告された。
まあ、前々から消えたいと思っていたから、これを神様が与えてくれたチャンスだと思って、治療を断った。その代わり、症状を緩和する薬を飲むようにしてたわ。
君が自分を責める前に言っとくけど、私が消えたいと思ったのは決して君が原因なんかじゃないから安心して。」
そこで、安堵のため息を漏らす。
「ほら、私って他人に束縛されるのが大嫌いでしょ? 家の者がね、敷かれたレールの上を歩かせようとして、それが嫌で嫌で仕方がなかった。大人になっても行方をくらましても、きっと私のことを見つけるんだぁと思うと、なんか生きるのがどうでもよくなっちゃって。それで、行動を起こした。
自分だけの居場所を作るために、私は文芸部を復活させることにした。何年か前で人員不足で廃部になった部活だ。今更入りたがる生徒なんていないはずだと思っていた。けれど、私もそんな人柄がいいわけでもないから、部員を集まるだけで難航したわ。
なんとか4名を捕まえて名前を借りることができても、あと一人が足りない。そんな時に、君が現れた。
あの頃は色んな男子に言い寄られてちょっとウンザリしてたから、まぁ多少荒れてたと思うけれど」
あれで“荒れた”のか。てっきり本性かと思ってた。
昔のことを思い出して、少しばかり苦笑を零す。
「最初の頃は君を受け入れるつもりなんてなかった。けれど、君が『ゲイ』だなんて言って必死になるのを見て、ああかわいいなぁと思っちゃった。だから、君を手元に置いた。
実際、君と出会ってから私は二か月も生き延びた。お医者さんから「すごい奇跡だ」って言われたぐらいよ。君と過ごした時間のどれもが、私にとってかけがえのないものだわ。私が言うのだから間違いなし。
でも、私は『これから死んじゃう人間』なんだから、深く生者と関わるべき存在ではないと思ってる。だから、ずっと君を『後輩B君』で呼んでたのも君が告白しようとして断ったのも、それ。
本当に申し訳ないと思ってるけど、これは私なりのケジメだから許してちょうだい。
楽に三途の川を渡れるように、この世に未練を残さないために、この世に私という存在を消すために、ね。」
では、彼女との未来を望んでから、それこそ初めて会った時から、彼女はずっと死に向かっていた、ということか。
そんなの、あんまりだ。
「さて、君が今『告白してないのに何故バレたのだ』と思ったでしょ。答えは簡単だわ。そう、君の小説。読んだらきっと今時の小学生だって分かっちゃうんじゃないかぐらい、分かりやすかったんだわ。
それと、私に対する好きという気持ちが強すぎて溢れていたから、嫌でも君の好意が分かっちゃった。ごめんね。』
「あはは、そうか」と漏らした。
後ろ向きな内容の割にはポジティブな一行だったからなのか、思わず口元が緩んだ。
「最初の頃は君を受け入れるつもりなんてなかった。けれど、君が『ゲイ』だなんて言って必死になるのを見て、ああかわいいなぁと思っちゃった。だから君を手元に置きたかった。
まぁ下心は多少なりともあったけれど。私のために必死になってくれて、私のために従順なフリをしてくれて、私と仲良くしてくれて本当にありがとう。
そろそろ書くのが辛くなってきた。ほら、見て。字がふるえてきっちゃった。だから、わたしが本当にかきたいことをかくわ。今までのは、全ぶまえおきです。ここから先がほんだいです。
君をふっておいて、こんなことを言うしかくなんてないけれど、それでも言わせてもらうわ。
今までほんとにありがとう。だいすき。
どうか、しあわせになって。
真鍋 桔梗」
手紙の最後に記された、彼女の署名。
その4文字は、どうしてかインクが滲んでいた。そこだけではない。他の箇所も、次々と文字がぼやけていく。時間が経つにつれて、その場所は増えていった。
「あ、れ……?」
手紙から視線を上げる。部屋の全てが、何故か霞んでいた。零れまいと下を向くと、机の上に涙の粒がぽたぽた落ちて初めて自分が泣いていることに気付いた。
喉は勝手に嗚咽を生み出し始めていた。情けなく漏れては、どこかへ消えていく。
「……まなべ、せんぱい……」
大好きな人の名前もまた、嗚咽に紛れ、溶けた。逃すまいと何度も声にしようとする。けれど、口にできたのは最初の一度きり。後は全てうめきのような、形すらをなさない声になり落下していった。
いつしか、彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。
『ほら、もし一人で飲んでマズかったら、ただムカつくだけじゃない。だから君を道連れにします』
『うわ何コレマズいって、一緒に笑えるんじゃない』
「……今まで散々道連れにしたくせに……。どうして今回だけ道連れしてくれないですか、先輩……」
時間を忘れて楽しい思い出を重ねたこの場所で、僕は時間も忘れて君のために泣いている。君が遺した手紙を強く握りしめながら。
あとがき
本作を読んでくださり、ありがとうございます。
この話は実話を織り交ぜて作ったフィクションです。今でも思い返すと泣き出してしまいそうですが、なんとか涙を呑み込んで最後まで書ききれました。
元々本作をカクヨム文芸部さんの公式企画に出す予定なんですが。もしこれ以上文字を削ったら作品の雰囲気を壊しかねないと思って、結局参加しませんでした。それと、なんとなくこれは『沼らせ』ではないなぁと思いまして。まぁ、今となっては言い訳でしかなりませんがね。アハハ。
では、またいつかどこかで、会いましょう。
後輩B君へ 才式レイ @Saishiki_rei
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