1−7 時間を置けばどうにでもなるのが人間の性
「…今日はこの辺にしておくか」
弥勒の様子をじっと見つめ、そう言った政宗の言葉で解散となり、弥勒は客室で居を構えることとなった。結局、弥勒は何も理解できずに本丸へ滞在する羽目になったのだ。
「別世界って言われたほうが、まだよかったなー…」
普段どおりとは程遠い、か細く震える声。夢のような現実が、弥勒を蝕んでいる。
ボウ、と燭台の蝋燭の火が、風で揺れる様に寝転びならが視線を向ける。オレンジのような、黄色のような明かりが部屋を優しく色づけるのを、どこか夢をみているような感覚で眺めていた。蝋燭、と言っても限りなく蝋燭に似た照明だ。火が揺れる様は本物と錯覚しそうなほどよく似ている。材質は検討もつかないが、二酸化炭素を出さないのはエコだな、という感想だった。
センサー感知機能で自動開閉する襖や障子は、ここが未来だということを閉めしているのだろうか。自動ドアは馴染みがあるため、その亜種であると思えばなんとも思わない。いまいち実感に欠けるというのが、弥勒の感想である。
「まじで滅んだんか人類。地球温暖化で?隕石とかじゃなくて?嘘だろ…?」
地球温暖化で人類が滅亡。人類だけじゃない、きっと他にもたくさんの生き物が死んだはずだ。
どのように滅んだのだろうか。熱中症?日射病?それとも地球を覆う膜が無くなったことで灼熱に晒されたのか。海は干上がった?植物は枯れた?
本当のことなのかは分からないが、本当なのだとしたらどうすればいいんだ。ここが未来で、人類は一度滅んで、また生まれた。この状況はドッキリか何かじゃないのか。つか伊達政宗本人とか、そこらへん全く触れてねえ。明日また聞かないと。ほんと意味わかんねーわ。
何も確かめられない、分からないーーほとんど何も聞けていない。
弥勒は内側で暴れまわる不安や焦燥感を感じてギュッと丸くなった。胎児のような姿勢で横になった彼の表情はこわばっている。能天気だなんだと言われても、それは14歳にしては話なのだ。政宗たちに対してもマイペースでいたのは、ひとえに無意識の防衛本能なのだろう。心を乱さないための。
こうして一人、見知らぬ場所にいると、弥勒は途端に年相応の子供となるのだ。
今日アイス食うんじゃなかったな、腹下すのなんか分かりきってたのに。八千代ばーさん困ってるだろうなぁ。友人二人は困惑してそうだ。
ほんとうに。
「冗談キツイってぇ…」
あっははは!
じんわりと熱を覚える眼球と鼻を、弥勒は無視して笑った。
「ーー弥勒くんが行方不明ぃ?」
宵も深くなった頃、弥勒が神社だと思っている、田舎でありながら大きな寺院でこんな声が上がった。居住区にある一室で、最近だと縁遠い黒電話の受話器を片手に、主である男は顔に怪訝の色をのせていた。
彼の名前は、酒木(さかき)大(ひろ)。弥勒にねっとりとした教訓を植え付けた人物である。現在は偽坊主を脱ぎ去り、主張が激しい虹色のトサカ頭であった。
電話の相手は弥勒の家族。降野一家であった。電話越しに聞こえてくる犬と猫の大合唱に、受話器を少し遠ざけながら、酒木は話を聞く。
は?トイレのドアと行方不明?どういうことやねん。
弥勒の友人二人と同じ心境に陥りながら頭を抱えたが、説明している降野一家とて混乱していた。それはそう。
「警察には今から?…ほんほん、へぇー」
時刻は午前0時過ぎ。弥勒はああ見えて律儀だから、無断外泊なんてしないだろうし、妥当な判断だろう。自分があれくらいの年頃のときは無断外泊、無断欠席のオンパレードだった。たった一日で捜索願を届け出るのは大げさな気もするが、これが普通であるのは既に知っている。
「…ボク、弥勒くんの無事を祈っとりますね。本職なんで、ちっとは効果あるかもしらんし」
そう言って電話を切った酒木。
暫し天を仰いだ後、棚の上に直していた偽坊主のかつらを取り出し、乱暴に被さった。はみ出ている主張の強い髪や、ボコボコと歪んだ頭部を気にすることなく、足早に部屋を出る。
行き先は本殿の祈祷所だ。
酒木は職業柄非科学的な事象に多少免疫があった。弥勒の件は、聞いたところによると人為的なものとは思えない。いやまず誘拐するにしてもこんな辺鄙な田舎の小さな駄菓子屋のトイレって無いだろう。おまけにトイレのドアまで。物音も立てずに一人の少年とトイレのドアを持っていくなんて、できるとは思えない。
神隠しが妥当かね。
酒木はそうひとりごちた。神隠しにしても意味の分からないタイミングだが。
ぎしぎしと床板の軋む音を聞きながら、酒木は足を進める。途中、お神酒なども調達して両手は塞がった。途中途中の襖や障子は、行儀が悪いだろうが足でそっと開けさせてもらう。すんません、急いでるんです。
「いつかはとは思ってたけど、突然過ぎやで」
あの能天気でマイペースな子は、何処で何をしてるのか。案外繊細なところもあるから、危ない目にあってないといいけれど。
酒木は、自分の弟と言っていいほど可愛がっている弥勒の顔を思い浮かべながら、無事を祈っていた。
「…朝や」
障子から差し込まれる淡い光を合図に、弥勒はうっすらと目を開いた。蝋燭も消えており、磨りガラスから見える外の景色は空一色だ。昨夜は気づかなかったが、高層階に位置しているらしい。
しょぼしょぼとする目を押さえ、よっこらせと起き上がる。掛け時計は8時を指していた。
しっかりと睡眠を取ったからか、気分はどことなく清々しい。昨日は強制的な睡眠であったため、睡眠欲に従ったままとるのは格別なのだと思った。
未だ混乱している頭を叩きながら、ぐぐっと伸びをする。きっと、今日話しを聞いても取り乱したりはしないはずだ。
すると、近づいてくる足音。
「弥勒様、おはようございます。朝餉の時刻となりましたので、ご案内いたします。」
「あ、ども…」
お手伝いさん、基女中であろう女性がそう言って微笑んだ。昨日の少女ではなく少し残念だが、仕方ない。足音はしたし、障子を開ける際もスパンと勢いよく開けてきた。お陰でお目々はパッチパチだ。
あの三人より少しばかり派手なメイクをしているのか、朝から御苦労なことだなと思いながら、弥勒は案内に従った。
案内された先は、障子や襖が一切無い開放感のある一室、いや空間だった。人気はなく、道中すれ違っていた女中や男性陣はいない。しかし、やはりというべきか、政宗と小十郎、そして安が揃っていた。
三人はこちらの足音で気づいたのか、顔を上げる。ひらひらと手を振る政宗は、弥勒と案内人である女性を見て、少し眉を顰めた。小十郎は困ったように首を傾げ、安はわかりやすく顔を顰めている。
なになにどしたん?嫌なもん見たみたいな反応やんか。
弥勒は不思議に思いながら、近寄ってきた安に目で問いかけた。
「おはようございます、弥勒殿。よく眠れたようで何より」
「腹も痛くないんで目覚めもサイコーですわ」
「調子も戻ったようですね」
未だ政宗の所業を根に持っている弥勒の言葉に、安は白々しくそう答えた。そして、弥勒の隣で頬を染めて笑んでいる女性へ目を移す。心なしか、その目線は冷たい。ビームが出るなら人を氷漬けにするだろうと思わせる温度だ。
「もう結構です。持ち場にもどりなさい。」
「……はい。それでは弥勒様、失礼いたします。」
「うっす。ありがとーございました」
ぺっこりと一礼した弥勒に、小さく手を振った女性。え、めっちゃフレンドリー。
そのまま機嫌良さそうに立ち去る後ろ姿を見送った後、三人に目を向ける。どうやら、あの女性はあまり好かれてないようだと弥勒は思った。
「あいつに案内頼んだのか?」
「まさか。私も驚いていますよ。彼女の持ち場は全く違うはずなのですが…」
コソコソと話す政宗と小十郎を無視し、安は弥勒の分の膳を置いた。
そうして、安に席につかされ、弥勒は昨日と同じ位置で向き合う。
日を跨いだからか、再び信じられないようなことを聞かされても平常運転で臨める気がした。
まあ、あの女性についても聞いてみたいところだが。
三人が変な反応をする理由はなんだろうか、と弥勒は疑問に思った。
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