1−6 人が増えると空気も壊れるもの



新たな人物の登場により、張り詰めた空気はヒュルヒュルと空気の抜けた風船のようにしぼんでいった。二人はその人物に気づいていたらしく、急に現れたように覆った弥勒だけは、怪しい格好の人物とその小脇に抱えられた珍妙なオブジェになんとも言えない気持ちになった。


弥勒は、今めちゃくちゃ大事な話の途中じゃなかったっけ?と、なかなか順調に状況把握が進まない現状に虚しくなる。


「よお、お使いご苦労さん」

「お安い御用ですよ、普段のこき使いと比べるまでもなくね」


片手を上げて朗らかに声を掛けた政宗。労りの言葉を投げながらも、その実労ってなどいないことがまるわかりな態度に、掛けられた当人は淡々としていた。

ガタン、とオブジェーーもとい、駄菓子屋のトイレのドアを部屋の中央で横たえる彼、黒尽くめで顔もよく見えない男を、弥勒は注視した。


まるで黒子のようだ、と弥勒は思う。はっきり露出しているのは耳のみ。顔全体を覆う黒字に白いく縁取られた顔布で、その容貌は分からない。体格と声音で男だとわかるものの、それだけであった。おそらく、弥勒より少し身長が高いと思う。


「ああ、アンタがお客人ですね。お気の毒です。」

「えええ…?」


憐れまれながらそう声を掛けられて困惑する弥勒。なにげに失礼な人という印象だ。

煽ったわけではないだろうが、ダルそうな声音や態度は人によっては顰蹙を買いそうだ。弥勒は、つい数時間前駄菓子屋のベンチでダレていた自分を思い出した。


「彼は降野弥勒殿ですよ、アン。言わずとも知っていますでしょうが、今彼と状況について話していたところです。」


苦笑交じりの小十郎の紹介を受け、二人はお互いに小さく会釈を交わした。


「んで、こいつは草の安、安らぐとかいて”あん”だ。」

「くさのあん?」

「草ですよ。植物の草。まー、所属組織…つーか、職業かな。その別称みたいなもんです。」


政宗の紹介に疑問を浮かべる弥勒。

あんま気にしなくていいですよ、と男、安は言う。態度や雰囲気とは異なる気遣いの姿勢は純粋に好ましいだろう。こういう男は影でめちゃくちゃモテるタイプであると、弥勒は友人の一人を連想して思った。


どうやら安は政宗に珍妙なオブジェと化したドアの発見、及び運搬を命じられたらしい。どうやら、高野山の外れにある小さな廃神社で見つけ、持ってきたとのことだ。


「は?高野山の外れの廃神社?どこそれ」

「へえ、なるほど」


自分が出たときは立派な社と鳥居が存在していたはずだし、伊達政宗の墓までせいぜい十数分だ。外れの方にあるわけがない。薄気味悪さを感じる弥勒は、平然な顔で安の報告を聞く政宗と小十郎の心臓は鋼か何かでは無いだろうかと疑った。何がなるほどなのか1から10まで教えてほしい。


安の登場によって脱線してしまった話題を戻すことにした一同。2対2の向き合うような位置に座り直し、再び本題へと入った。カコン、鹿威しの音が外から聞こえてくる。


「んで、弥勒よ。手前は今が2023年だと言ったな」

「まあ、そうですね…?」


分かりきったことに念を押すように強調して確認する政宗。弥勒は、怪訝な表情を隠すこともなく疑問符を付けながら答えた。


「それは、西暦だな?」

「西暦ですけど?むしろどう答えろと…年号ですか?」

「年号、久しぶりに聞く単語だな。懐かしくてたまらねえ。そういうやあったな、そんなもん」

「私も今思い出しました。いやはや懐かしい!」

「いや年号を久しぶりに聞くって何…?」


弥勒は宇宙を垣間見た。日本に住んでいて年号を聞かない日なんかあるのだろうか。カレンダーには必ず表記されているし、日常の至るところで見聞きするだろう。スマホなんかの予測変換だって、一文字打てば出てくるレベルである。

なつかしい、なつかしいと遠い過去を思い出すような表情をした政宗と小十郎の二人に、弥勒は疑心を隠さない。

隣の安は、顔が見えないから論外だし、弥勒は自分だけが異なる常識の世界から来たと錯覚しそうだった。振り回す側の自分が、人から振り回されるなど、トイレに入る前までは思いもしなかったというのに。



「あのー、結局何を確認したいんです?日付とか確認する意味あるんですか」

「大いにある」



弥勒の言葉尻を遮るような勢いで断言した政宗。その気迫の籠もった一言によって、口から出ていこうとした言葉たちはたちまち引っ込んでいった。



「…お二人共、簡潔にお話したらどうです?回りくどいし寄り道ばかりで一向に話が進みません。さっさと結論を言ってやってくださいよ」



弥勒は思わず安を拝んだ。常識人のありがたみが骨身に染みるばかりである。

迷惑そうにしつつも、文句を言わない辺りこちらを気遣っているのが察せられた。自分から苦労背負い込みそうなタイプだ。




「結論から言えば、ここは”再歴3698年”」

「さいれき?」



西暦ではなく?と弥勒が首をひねる。


ーー政宗は、そんな弥勒を哀れだと思った。思うだけ、だった。

弥勒の運命は既に知れている。自分はそれを妨げることも、サポートしてやることもできないということだって知っていた。それを告げるには、まだまだ時間が足りないし本人が受け入れられないだろう。自分だって、かつて奥州を治めていたこの伊達政宗とて受け入れがたい事実。


なんとなく話すのが嫌で脱線し、なかなか本題に入ることもなかったが。それでも忠臣のん一人、安は政宗が逃げに入ることを許しはしない。視界の端で小十郎が哀しげな顔をしてるのが見えた。


ああ、本当に



「そうだ。ーー人類が滅び、再び誕生した未来だよ」



哀れなりや。

そんな感情は、決して表に出しはしないけれど。


告げられたその言葉を、弥勒は理解することができなかった。

呆気にとられて、少しだけ揺れた政宗の目にも気づかず。


その時。

ーーシャン、シャン

弥勒は薄らと、鈴の音が何処かで聞こえた気がした。




「は…?人類が、滅んだ……?」


情けない声が喉を震わせた。冗談だろ、そんなことあるわけなくね?そう口に出そうとしたのに、出たのはオウム返しのような確認。限界まで見開いた目は、震える口元は、かすれ、途切れる言葉は、弥勒の衝撃を如実に表していた。


「ここが未来で、人類が滅んでまた誕生した?話が突飛すぎてついていけんのよ…!」


吐き捨てるようにそういった弥勒の肩を安は撫でていた。


「疑問も、受け入れがたい気持ちも察するにあまりありますが…今はどうか、政宗様のお話をお聞きください」

「できるわけ…!」

「ーー降野弥勒殿」

「!」

「お聞き、ください」


ゆっくりと、そう繰り返した小十郎。お願いの形であるはずなのに、弥勒は、それが絶対遵守すべき命令のように聞こえた。政宗の話をさえぎってくれるな、と。


「いい、小十郎。…俺とてこいつの立場じゃ動揺するだろうよ。」

「御意に。」


政宗の制止を受けた小十郎。

弥勒は、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「仮に…仮にここが未来だとしても、なんで人類が滅んだんですか」

「ーー地球温暖化」

「!」

「この一言で、大体わかるんじゃねえか?」


震える口を叱咤して絞り出した問いへの答えは、聞き馴染みのある言葉で返ってきた。


地球温暖化。それは、現在とても大きな問題となっている現象。人間の科学力の発達に伴い、自然エネルギーや資源の酷使、その他様々な事が要因となって起き始めた問題。近年の異常気象、災害はこれが大きく影響していた。…数多の命が、災害という防げない自然現象に殺された。

ーー人間の、後先考えない発展が引き起こした、弥勒は思っている。


弥勒は地球温暖化に危機感を持つ人間の一人であった。幼少期とは比べ物にならない気温の上昇は、もはや凶器に他ならない。飼い犬が昼間散歩に行けないほど熱い地面、直ぐに蒸発する水分、高齢者の真夏の死亡率の高さ。…弥勒が今日、ベンチで動けずにダラけていたのも高すぎる気温の影響が大きかったのだ。


弥勒は何度も見ていた。

田舎だから、山があるから、野生の動物なんかたくさん見る。

例えば、地面でカエルが干からびていたとか。

例えば、捨てられて箱の中で大雨にさらされる子犬だとか。

例えば、水を求めて灼熱の路上を焼けただれた足で歩く猫とか。

例えば、水温が上がって死んでしまった魚だとか。

ーー例えば、日向ぼっこしていた近所の犬が、二度と動かなくなっていたとか。


猫と犬は保護し、今や我が家の一員だが、他は弥勒では到底解決できるはずもなかった出来事だ。人間でさえ耐えきれない現象に、動物が耐えきれるわけがない。


「ーーんだよ、それ」


弥勒は、力なく床に崩れ落ちる。そっと支えてくれた安にお礼さえ言えなかった。

どうしよう無い罪悪感で胸を締め付けられていたから。


んだよ、なんだよそれ。人間が無責任に発展していった結果が人類の滅亡とか。弥勒は、涙を出さずに泣き笑いの表情を浮かべる。流せる涙など、無かった。薄々、分かっていたのかも知れない。


唯でさえ理解できない状況に加えて、衝撃的な話だ。未来に来たとしても、まさか人類が滅び、再誕したとは思いもしない。タイムスリップ自体、現実で起こるとも考えたことなど無いのだから。


畳の上で横たわるドアを、じっと睨みつけることでしか、この荒れ狂う激情をこらえる術は無かった。


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