1−5 腹を満たさねば頭が回らない





政宗も来たことだし、さっそく説明を受ける。と言いたいところだが、その前に腹ごしらえだ。


小十郎が言った通り、政宗が帰還して直ぐ、お手伝いさんだろうか、中居のような格好をした女性3人が部屋へやってきた。一人だけ弥勒より年下だろう女の子がいる。見習いだろうか、すこし緊張しながらも、膳を持っていた。

3人の手には、弥勒たちの膳がある。ほかほかとした湯気が立っていることから、できたてであることが伺えるだろう。


弥勒は、腹の音が鳴るのを止めることができなかった。

女性陣は音を立てずにスススと膳を置いて、政宗に頭を下げた後、同じく音を立てずに退出していった。遅れて、女の子も弥勒の前に膳を置いて、微かな音を立てながら去っていく。


「あんがと!」


運んでくれたお礼を言う弥勒。その際に目が合い、女の子は少し恥ずかしそうに笑みを向けてくれた。うむ、かわいい。


女の子が退出した後、弥勒は、自分の前に置かれた膳へ視線を向けた。


「ひょおお……!!すっげー…!」


ドドン、と置かれた料理に、弥勒は思わず感嘆の声を漏らす。キラキラとした刺身類、ぐつぐつと煮え立つ鍋、とろとろと崩れる角煮、そして土鍋でほかほかと存在を主張する白米。どれもこれもキラキラと光っているように見える。そして驚くべきは、それらが各自の膳に用意されていることだった。


「急ごしらえで申し訳ありませんが」

「これが急ごしらえ!?急ごしらえの粋じゃなくない!?ごちそうじゃん!!」

「元気だな、手前」


こんな物ですみませんと言いたげな小十郎の発言に弥勒は度肝を抜かれた。これがごちそうでなくて何て言うんだ、全国の一般家庭へ土下座必須でしょと。本当に、これがご馳走でないのなら各家庭の料理を担当する母親、もしくは父親は浮かばれない、だろう。弥勒はグルメ番組でしか見たことのない高級感漂う品々に戦慄した。

政宗は運ばれてきた酒を飲んでいた。


「これが急ごしらえって…普段どんなの食ってんだ。3大珍味毎食出るんか、A5ランクステーキいっぱい出るんか?」

「んなわけねーだろ。俺は一般料理のほうが好みなんだよ。普段は俺も厨に立つことが多いしな」

「むしろそっちのほうが驚き…」


政宗が言うには、小十郎の冗談らしい。嘘だろ信じちゃったよ…、弥勒が顔を向ければ小十郎は笑みを浮かべていた。初対面の人間に冗談かませるなんてメンタル強いな。


「また腹下さねえようにゆっくり味わいな」

「腹は下しません!多分!あれはアイスで腹が冷えたから!」


完全に面白がっている政宗にそう噛みつけば、はいはいとあしらわれた。


「ささ、お召し上がりください。」

「い、いただきまっっす!」


パン、と拍手をひとつ、緊張しながら食事を開始した。




「ーーそんで、俺がここに連れてこられた理由はなんですか」


ごくん、最後のひとくちを終えて早速弥勒は切り出した。膳の中身はキレイに食べ尽くされており、米一粒とて残されていない。米一粒にも神様が宿っていると幼い頃から言い聞かせていた賜物だろうか。弥勒は、案外礼儀作法をきっちりとするのだ。どれもこれも神社の坊主がねっとりと言い聞かせたものだが。

弥勒は少し遠い目をした。


「理由ねぇ…」

「俺早く帰って駄菓子屋のばーちゃんにトイレのドア弁償しないといけないんですよ。俺のせいじゃねーけど。また珍妙なオブジェにならないように、きちんとしたヤツ付けないと迂闊にトイレ行けねえし、怖すぎるんで。」

「自分のせいじゃねーのに弁償か、律儀なことで」

「俺のせいじゃ無いけど、自分で弁償して取り付けたほ方が今後使う時に安心だと思ったんで。」


だから早く話せ、そして早く帰せ。隠しもしない感情を全力で表情筋に乗せながら弥勒は早口でそう言った。

ああ友人たちよ、俺を駄菓子屋に置いていった薄情な友人たちよ。この状況から逃れられるのなら君たちに熱いキスをすることも吝かではない。弥勒は帰りたいあまりに狂ったことを考え始めた。


「気に入っちまったから、じゃ駄目か?」

「むしろその回答でいいと思う?」


弥勒は淡々とした声でツッコんだ。なんなら顔が死んでいる。小十郎が二人のやり取りに肩を震わせているが気にしない。というか絶対笑ってんだろ、弥勒は若干キレていた。

イケメンだから許される言葉を、正しくイケメンに言われようとも弥勒の心には1ミリたりとて届かない。むしろ心の距離は一気にかけ離れたことだろう。

弥勒は思う。こ、こいつ俺をおちょくってやがる…!と。心の声は迫真に迫っていたが、一切表に出ない。顔は死んだままだ。


「真面目に答える気が無いならさっさと帰してくれませんかねー?」

「真面目に答えたつもりだが」

「気に入っただけで腹部殴打で意識刈り取って誘拐すんの?世紀末か?」

「そういうとこだよ」


政宗はサラリとそう宣い、口を噤んだ弥勒をじっと見やった。小十郎も、先程の肩の震えは何処へ行ったのか、ただただ静かにそこに座している。弥勒は、空気がザワッと一瞬のうちに変わったことを肌身に感じた。


「弥勒、手前を気に入ったっつーのは本当だ。…だが、それだけじゃねえ。」


これは俺の勘だがな。そう前置きした政宗は、鋭い光を孕んだ瞳で、弥勒を捉える。弥勒はこの時、自分の意識が政宗以外を排除したことに気づかなかった。先程までの苛立ちも、いつも通りうるさい内心の呟きも、今や弥勒の中にはない。異様な程の集中を、政宗に向け、紡がれる言葉を耳にする。


4拍程の無言、そして


「ーー56億7千万年、永遠とも言える長い年月が、ようやく意味を成す時が来た」


低く、深刻さを帯びた声音が、弥勒の鼓膜を震わせた。


静まり返った室内に、各々の息遣いだけが響く。弥勒は、政宗の言葉が何度も脳内をぐるぐると巡る感覚を覚えていた。


「ーーいや、意味わからん」


腹の奥底から絞り出したような声で、弥勒はきっぱりとそう言った。

ご丁寧に眉間に皺を寄せ、畳をじっと睨みつけながらだ。発言と表情の温度差が酷い。気温にこうも温度差があれば、すぐさま風邪を引くレベルである。

そんな弥勒の内心は、56億7千年?地球誕生してから46億年ですよ、何なら人類は誕生してまだ2億6千万年ですけど等と論破の構えをとっていた。脳の隅の方で眠っていた知識が息を吹き返した瞬間だ。……いや、むしろ知能指数が上がった気さえする。


弥勒は、先程まで保っていた真剣な顔を、普段通りの脳天気な面に変えた。真面目に聞くだけ無駄だと判断したのかも知れない。


そんな弥勒を見ながらも、政宗の表情は未だ真剣だった。眼光も鋭かった。え?これ真面目に聞かないといけないの?と、弥勒は困惑した。弥勒は通常運転に戻ったが、場の雰囲気は一貫して政宗が支配している。静けさが漂う空間に変わりは無いのだ。


「だろうな」

「いや、だろうなじゃなくて!途方もない年月をいきなり提示されても困るっていうか、こっちは頭を空っぽにすることしかできんのですけど?」

「もとから空っぽじゃねーのか?」

「えっ?なんで唐突に貶されないといけねーの?」


暴言にも似た発言に弥勒は呆気にとられるしか無かった。呆れたようにため息を吐く政宗に、溜息つくのはお前じゃなくね?なんて思いながら。

小十郎は、弥勒の遠慮のない物言いに拍手を送りたくなった。この空気でマイペース貫けるのはすごい、と。


「手前にとっちゃ…いや、手前等が理解できるとは思わねえよ。これに関して、時期が来たら改めて話してやる。今はそれよか、手前の置かれた状況ってもんを明らかにしてやるべきだしな。」


黙って聞きな。そう釘を刺した政宗の言葉に、とりあえずは言うことを聞いておこうと素直に口を結んだ弥勒。その様子を満足気に見ながら、政宗は話を続けた。


「手前、今日が西暦何年の何月何日かわかるか」

「……馬鹿にしてますか?」

「いいから答えろ」


質問の意図が全く分からない弥勒は、思わず喧嘩腰で返してしまうが、政宗は強い声音で回答を促すのみだ。弥勒は、政宗の目にからかいなどの色が無いことを確認し、渋々口を開いた。


「2023年、7月17日…ですけど」


それがどうかしたのかと問いかける弥勒。二人の様子を見守っていた小十郎は、いつの間にか存在する気配に苦笑した。政宗を見れば、浅く頷いている。


2023年7月17日。この日付には何の意味も無いはずだ。この問いかけの真意を測りかねていた弥勒は、二人の様子に気づかずに、ただただ疑問を頭に浮かべるしか無かった。


数瞬の沈黙。


「ーーへぇ、これはまた不思議ですねぇ」


それを破ったのは、政宗でも小十郎でも、はたまた弥勒でもない。

いつの間にか開いていた襖。そこへ、ゆらりと現れた黒い人影から発せられたものだった。


ーーその小脇に、見覚えのありすぎる珍妙なオブジェを抱えて。

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