1−4 現状把握の滞り
「それで…ここって何処なんすか?なんで俺を連れて来たんで?」
弥勒は、気になっていたことを問うた。包丁の前にそれを聞くべきだろ、と正論を言うものはこの場に居ない。弥勒としては、混乱してる時ってどうでもいいこと気にするよね、との言い分である。通常運転でもしそうではあるが。
ししおどしの音だろうか、微かな水音と竹が傾く音が耳を掠めた。外は見えないが、内装にとても良く似合うBGMである。先程は取り乱してしまったが、心を凪いでくれるのがわかる。
弥勒の問いに、小十郎は持っていた包丁を懐に仕舞って居住まいを正した。ピンと伸びた背筋は見ている側として、とても心象に良い。釣られるように、弥勒も姿勢を正した。
「弥勒殿がここへ連れて来られたのは、政宗様のご意思です。我々は…私は事情を知りません。政宗様がいらっしゃり次第、事の本意はお話になれるかと思われます。」
「そっすか…」
あと、ここは伊達の本丸です。付け加えるように言った小十郎。
弥勒はなるほど、と神妙な表情で頷いた。しかし内心は大荒れである。本丸?本丸って言ったよこのおっさん。え、本丸なの?凪いだ心は勘違いだったらしい、一瞬で崩れ去った。さながら、4歳の時に大好きだった着ぐるみの中身が、無精髭の生えたおっさんだったと知った俺の夢のように。いや、言い過ぎか。
フウウウウ、落ち着くように深呼吸をする弥勒に、小十郎はおずぞずと口を開いた。
「その、政宗様が弥勒殿の腹を殴ったと伺ったのですが…調子は如何ですか…?」
「…え、あーハイ!出すもんは全部出した後だったんでどうも無いっすね。ズキズキするけど」
「ハハハ、いや、申し訳ない…」
力なく謝罪する小十郎に弥勒はイヤイヤ、と顔の前で手を振った。どことなく疲れを滲ませているような気がする。苦労性なのかな、この人、と弥勒は思わず憐憫の眼差しを送る。本当に申し訳無さそうな雰囲気を醸し出しているため、逆にこっちも申し訳なくなった。
「そういや、今何時ですか?」
「ふむ…ちょうど19時を回ったところですね。」
弥勒は気づかなかったが、枕のそばに時計が置かれていたらしい。シンプルながらもおしゃれな物で、小十郎はその時計を見てそう答えた。
「え、19時!?ウッソだろもう夜になってるわけ!?」
「かれこれ数時間ほど眠ってましたからなぁ」
「えええええ…」
今日だけで驚くことが多い。明日円形脱毛症を見つけてもおかしくないだろう。絶望するどころか、ハハハですよねー!と流す気すらする。弥勒は精神的な疲労が積み重なっているのを感じた。かといってなっていいとは誰も思っていないけれども。
「ーーところで、肝心の政宗サマはどこに居るんですか?」
ぎこちなく敬称をつけた弥勒に小十郎は苦笑した。未だ疑心と警戒をにじませる弥勒にさもありなん、と言いたげだ。きっと、小十郎が弥勒の立場であればここまで大人しくすることは無いだろう。先程は大層取り乱していたが、起きぬけに見知らぬ男が居たらそれは驚くのは当然だ。しかし、状況的には誘拐されたと言っていい。むしろ誘拐以外に無いのだが、彼が小十郎に襲いかかったり、錯乱して暴れたりしないのはその強い精神か、能天気とでも言う思考からか。
「そろそろいらっしゃるかと思います。探しものがあると仰っていましたが、20時にはお戻りになるとのことでしたので。ああ見えて真面目な性分をお持ちだ、きっと15分前には必ずこちらへ戻られますぞ。」
「ほんほん…」
これは聞いてるのだろうか、と小十郎は頬を掻いた。
そこで、ぐうう、と切ない音が木霊する。小十郎が目を丸くして弥勒を見やれば、お腹が空いたのだろう。腹に手を当ててポケっとする弥勒がいた。
「成長期の若者にはつらい時間帯です…」
「政宗様が戻られれば夕餉となるんですが…弥勒殿は先にされたほうがよろしかったですね」
「母さんの飯…風呂上がりのアイス…背徳の深夜ラーメン…」
弥勒は完全に思考を飛ばしていた。ラーメンの下りではよだれでも垂らしてそうな顔だ。正直、小十郎も共感できてしまうため食欲メーターが刺激される。
「つか、俺帰んないと…せめて電話させてほしい」
「あーー…」
家での食事に思いを馳せていたからか、とうとうと言っていいのか、ようやくと言うべきか。普通は一番に聞くべきことだろうその質問。
これはどうしたものか、と頭を抱える小十郎は答える術を持っていなかった。
まず、政宗の独断で連れてきたとはいえ、一応誘拐の括りに入るのだ。当然家へ返すことは今のところできない。帰してやりたいけれど、それは先のことになるだろう。
次に、家族へ連絡が取れるかという問に関する答えは「いいえ」である。しかし、なぜ連絡を取れないのだと聞かれたら口をつぐむしか無い。その回答は、政宗がここに来て諸々を話してからになる。小十郎個人としては話してもいいのだが、混乱させたまま政宗の話を聞かせるのは不味い気がした。いや、不味いというよりは面倒なことになる、だ。
「んー…その、政宗様にお聞きください…」
眉を下げた小十郎の返答は、か細く頼りないものとなった。
その時の弥勒は、ほんとに何も知らねーのなと言いたげな眼差しであった。
何だ、この人ほんとに何も知らねーじゃん。弥勒はそう思った。
小十郎は見張りも兼ねているのだろう。弥勒と絶妙な距離を取って座っているし、いつでも立ち上がれるような足の位置をしている、と思う。前にテレビの雑学特集で見たから間違ってはいないはずだ。和装だから何処かになにか隠し持っててもおかしくないし、というか包丁…にしては鋭利すぎる刃物持ってるし。
弥勒はため息を吐いた。
「お力になれず申し訳ない」
「え、あぁ、大丈夫っす」
確かにいい人なんだろうが、何処か観察してるような目を向ける小十郎。きっと無意識だろうけれど、そんな目をするなら帰してほしいと弥勒は内心呟いた。まあ、会話の節々から察するに小十郎は政宗サマに使える立場なのだろう。職業病みたいなものか。政宗が本物の伊達政宗か否かは考えない。どうせ後で全部話されるはずだ、後からわかることに頭を悩ませるのは時間のムダでしか無い。
そんなことを思っているが、その実、腹減りすぎて考えることでカロリーを消費したくないのが弥勒の本音だった。
よくよく思い返せば、弥勒は昼食を取っていなかった。今日は一学期の終業式で11半には終わったし、駄菓子屋でアイス食って腹下しただけ。下した結果トイレのドアがオブジェになって、高野山の奥之院に来てしまった。アドレナリンかなにかは知らないが、いきなり見知らぬ場所に来て空腹なんか覚えられるほどの精神的余裕はなかった。現在は一旦寝てリセットされたからか、空腹が今更のようにやって来ているが。どうせなら寝て今日のはじめからやり直したいところである。絶対にトイレ行かねーから。
すると、何処からか近づいてくる足音が聞こえ始めた。どうやら、待ち人がやっと御出になるらしい。小十郎はスススとふすまへ寄る。
「ーー待ちくたびれましたよ、政宗サマ」
「ああ、待たせたなーー弥勒殿?」
スパンッと開け放たれた障子、入り込む月光。
苛烈なまでの視線が弥勒を貫こうとした。それを無視しながら、少しの苛立ちを視線の持ち主へ向ける。
「おかえりなさいませ、政宗様」
「ああ、遅くなって悪い。…大人しくしてたようで何よりだな。手前にはできるだけ手荒いことはしたく無いんでね」
「まーそりゃ、目覚めてそうそう厳つい男が刃物持ってりゃあ、びっくりして暴れることなんかできませんよ。…腹も痛かったし!腹も痛かったし!!」
腹が痛かったことをあえて二度言った弥勒。腹を殴られたことを根に持っているようだった。しかしそんな遠回しの訴えを、政宗はスルーして小十郎に視線を向ける。
「へー…小十郎」
「弥勒殿は大変驚いた後、掛け布団を投げて飛び退きました。いやはや、あの反応速度には感服しますよ」
「ほう、たしかに暴れて無いみてーだな」
なんやこの以心伝心、熟年夫婦?ごく当たり前のようにかわされた意思疎通に弥勒は戦慄する。一瞬小十郎が良妻に見えた。
面白そうな色をにじませながらニヤリと笑う政宗に、イケメンってやっぱりずるくね?と思いながら、弥勒は同じような笑みを向けた。
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