1−3 素直は時として仇となる
再び、沈黙が場を支配する。
重苦しさを感じないのは、沈黙の発生源が弥勒であるからか。ただ無言の空間ができあがっただけである。弥勒は、男ーー政宗としよう。男の自己紹介以降、ごっそりと表情が抜け落ち、口を真一文字に結んでいた。
しかし、その目だけはジロジロと不躾なまでに政宗を観察している。つま先から頭の天辺まで何度も往復させながら。弥勒は政宗の言葉に動揺していた。え?こいつが伊達政宗であの墓の持ち主の伊達政宗?つまりどういうことですの?なんて弥勒がお嬢様化してしまう程に。
そこでふと閃いた。あ、もしかして伊達家の子孫なのでは?と。先祖から名前を取ることなんてザラだし、海外じゃミドルネームに祖父母の名前入ってたりするもんな、と。弥勒は久々に自分の頭が冴えていることを実感した。だとしたらこの政宗は相当な言葉足らずになってしまうが、弥勒は自分にとって都合の良い解釈が正しいと信じている。むしろ信じていたいらしい。
「もしかして伊達政宗の子孫とか?」
「いいや?俺が正真正銘の独眼竜だが」
しかし、弥勒の希望に満ちた問いかけは無惨に散った。レスポンスが早く、本人が至極当然とばかりに答えるため弥勒はどうすりゃいいんだ、と頭を抱えたくなる。
おいおい、こりゃあ俺の手に負えねーわ、なんて語尾に(笑)が付きそうな内心をひた隠しにしつつ、弥勒は真剣な表情で政宗を見つめた。友人たちはこう言うだろう、「こういう時のこいつはろくなこと考えちゃいねえ」と。
「つまり御本人と」
「最初からそう言ってるぜ」
「じゃあなぜ生きてるんで?」
「転生したからだな」
三度目の沈黙。弥勒の目に住まうハイライトは家出したのか、死んだ目をしている。
そうして、どれほど経ったのか。おそらく数十秒ほどしか経っていないだろうが、弥勒は躊躇いながら、信じられないと言いたげな声音でもって、こう言った。
「あ、えと、あの…もしかして厨二びょーー」
しかし、その言葉が続くことはなかった。
弥勒が口を開くのと同時に、弥勒の言わんとすることがわかったのか、はたまた元々短気な質なのだろうか、政宗が動き出したからだ。
「とりあえず寝とけ」
「ンゴブフォッ!?」
腹痛が治まったばかりの腹へ、意識を刈り取る威力を持った拳が叩き込まれた。
弥勒は、聞いたことのないとても不細工な声を上げてガックリと脱力する。おそらく気絶したのだろう。
政宗は、手慣れた様子でひょいと弥勒を担ぎ上げる。これまた、腹部に方肩が食い込むので、弥勒は後でまた腹痛に悩まされることは想像に容易かった。
素直なのが仇となった瞬間である。
「は…?ふりが行方不明?」
一方その頃、お馬鹿な方の友人、コウは素っ頓狂な声を上げた。
コウの家の玄関先には、駄菓子屋の店主八千代と、汗だくで息を切らしている友人、クウが居る。時刻は既に午後六時を過ぎ、コウが弥勒を駄菓子屋に置いて行って数時間が経過していた。
八千代は、弥勒の身を案じているのだろう。不安そうな表情で口を開いた。
「おトイレに行ってからなかなか戻ってこなかったのよ。だから様子見に行ったのだけど…」
「何故かドアが消えてるし、中に弥勒が居らんかった。」
「は?ドアが消えて中に弥勒が居ない…?」
コウは訳が分からなかった。そもそもドアがなければトイレ入れなくね?こいつ何いってんだ?とクウを見つめた。走ってきたのだろう、未だ荒い息をするクウは、コウの視線を受けてもう一度説明し直した。
「あー…ドアが消えて、中が丸見えになっちょったんよ。」
「…なんでドアが消えるん?」
「知らんわ。」
ただクウの言葉が足りなかっただけらしい。
聞けば、コウの家に来る前に弥勒の自宅へ伺ったが、帰宅していないとのことだ。トイレには換気扇は着いていても窓は設置されていない。というか、仮に窓があったとしてもドアは通るはずもない。つまり、弥勒は忽然と消えたのだろう。トイレのドアと共に。いや本当に意味が分からない。トイレのドアと消えるって何。
心配より先に困惑が友人二人を襲った。
「え、警察には行ったん?」
「いや、まだ行ってない。つか、どう説明するん?トイレのドアと一緒に行方不明になりましたって?」
「いやもう正直に言うしか無いやろ…」
弥勒と同じく能天気馬鹿なコウが頭を抱える様子に、クウも同じ衝動に駆られた。
これには八千代も苦笑するしか無い。トイレに行ってドアごと人が行方不明になるなんて、何十年と生きてきた彼女も予想だにしなかった。一体、弥勒はどこへ行ったのだろう。
「お家の方々はね、弥勒だから滅多なことは無いだろうけれど、一晩経っても返ってこなかったら警察に行くって。ただねえ、状況が状況だから…。」
「いやもう、ホント。心配すればいいのか困惑すればいいのかわからんわ。」
クウは死んだ目でそう言った。
人為的なものでは無いだろうと思うが、人為的なもので無かったとしたら一体何が弥勒とトイレのドアを消したのか。弥勒に限って怪我などはしないだろうが、それでも心配なのだ。しかし、その心配をトイレのドアが消してくる。クウの頭の中で、トイレのドアのゲシュタルト崩壊が始まっていた。本当に理解できない。
「ん?ドアってことは、ドア枠も無かったん?」
「……いや、ドア枠ごと消えてる。」
「ほーん」
そして、そこに着眼点を向ける友人の思考回路も、クウにとっては理解できないものであったのだった。
爽やかな草の匂い、遠くから聞こえる鳥のさえずり。
弥勒はハッとして目を開いた。
視界には木製の天井があり、どうやら寝かされていたようだ。ご丁寧に、自分のベッドより寝心地の良い布団を使われていた。起きたばかりの鈍い頭で、寝る前に起きたことを思い出す。真っ先に思い出したのが珍妙なオブジェなのは弥勒らしいだろう。
そして気づく。
伊達政宗と名乗る人物に殴られた後の記憶がない。
「いっっっってぇ…」
その記憶に至った瞬間、グワンッとバネのように体を起こした弥勒は、腹部の激痛に身悶える。そういやここ殴られたんだったと、漫画のような意識の刈り取り方をした政宗を思い出した。
ズキズキと痛みの走る腹部に手を当てて、痛みを和らげようとした。
「目覚められましたか、弥勒殿」
「どわアァアアッ!?」
視界に飛び込んだのは、強面の男の顔だった。弥勒は、寝起き早々叫び声を上げながら、転がるように後ろへ下がる。その拍子に腹部に再びズキンッと痛みが走るが、気にしてられなかった。掛けられていた布団は男の頭を覆うように吹き飛び、モガモガともがいていた。
え、誰!?ここどこ!?とブンブン首を振って周囲を見回す。草の匂いはこれだったのか、畳がいっぱいに敷き詰められた和室だ。しかし、あまりに広い。例えるなら宴会場だろうか、数十人は余裕で入りそうな広さだ。四方は障子で覆われているため、外の様子は伺えなかった。まるで時代劇に出てくる日本屋敷の一室のようで、落ち着かない。
「ブハッ!いや申し訳ない!とても驚かせてしまったようで…」
強面の男は、布団から顔を出して豪快に笑いかけてきた。大柄で、和装からでも伺える鍛えられた体。しかし、顔に似合わない人懐っこい笑みを浮かべていて、弥勒は拍子抜けした。正直、あまりに顔が極まっていたため、ヤバい筋のヤバい奴だと思った。
「ど、どちら様でございますこと?」
思わず口調が乱れ、お嬢様が露出した弥勒。
しかし小十郎は気にした様子がなく、丁寧に答えた。
「私は片倉小十郎。弥勒殿のことは政宗様から伺っております。」
「はぇ、政宗…?」
目を白黒させている弥勒を、小十郎は微笑ましいと言いたげな表情で見ている。弥勒にとって微笑ましいかは言わずと知れたことだろう。
というか一つツッコませてほしい。
「なんで、包丁?」
そう、包丁だ。弥勒は、なぜ自分がここにいるのか、ここはどこで、どういった目的があるのかといった疑問を無視して問いかける。とても気になったし、聞かないことには話が頭に入らない可能性があったので。
「一刀両断」と太く力強い文字が刻まれている。よく見ると名前が記されており、それが小十郎の私物であることは一目瞭然だった。
「む、これは私の愛用包丁でして、専属の刀工に頼み鍛えられた一品なのです。これ一本でどんな硬さのものでも一刀両断!とても便利で助かっております。」
「へー」
道理でギラギラしてるわけだよその包丁、と弥勒は現実逃避をした。
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