10
気がつけば、ヤーノシュはベッドの上に寝かせられていた。どうやら意識を失っていたようだ。
そしてすぐに、周囲に漂う悪臭に気づいた。このねっとりと絡みつくような悪臭には覚えがある。まさかと思って顔を上げると、ベッドの向こうにジョン・バートンがいた。
「おまえっ――ひぐぅ!」
ヤーノシュは怒りにまかせて襲いかかろうとしたが、激痛で起き上がれなかった。身体じゅうが包帯だらけだ。イロナの血のせいで焼けただれたせいだろうが、なぜか手当てされている。そして、右腕が手枷でベッドの柵につながれていた。ちなみに、変身の際に服が破けてしまったので全裸だ。
「目覚めたか」バートンは安堵した様子で胸を撫で下ろした。「肝が冷えたよ。その程度で拘束できるかは賭けだった」
「体調が万全なら、こんな枷くらい」うっかりそう口にしてしまい、ヤーノシュは心のなかで毒づいた。何も親切に教えてやることはない。
どうも調子が狂う。ふだんならこんなヘマはしない。それだけ精神をかき乱されているということか。
「……イロナは?」
「死んだよ」
「おまえが殺したんじゃないかッ!」ヤーノシュは激昂して起き上がろうとし、ふたたび激痛に苛まれた。ほんの数秒前のことを失念してしまうとは。やはりどうもダメだ。
「そうだな。おまえの言うとおり、私が殺した。……だが、べつに殺したいわけじゃなかった。おまえが殺させたんだ」
「ふざけてるの?」
「ふざけているのはおまえだヤーノシュ。私とイロナをまとめて殺そうとしたくせに。あれ以外に私が生き延びる方法はあったか? あるなら教えてくれ」
その指摘に、ヤーノシュはぐうの音も出なかった。確かにバートンは卑劣だったが、ヤーノシュにそれを糾弾する資格はない。
「イロナは私のお気に入りだった。原石だった彼女を、私があそこまで磨き上げたんだ。一座になくてはならないスターだった。それだけじゃない。夜の相手としても、相性抜群だった……。これから先の人生、彼女の代わりに出会えるとは思えない。そんな大切な女を失った私の気持ちが、おまえに理解できるか?」
「ボクの知ったことじゃない」
「いいや、おまえには理解できるさ」バートンは断言した。「私が舞台へと引き返したとき、イロナのそばで気絶しているおまえを見つけた。おまえの右手は、首筋の傷に当てられたままだった。……イロナを、助けようとしていたのだろう? 自分が銀の毒で焼けただれてまで。なぜだ? 殺そうとしていたのに」
「……死んでほしくなかったからだよ。自分でもよくわからないけど、イロナに死んでほしくなかったんだ。……まあ、結局助けられなかったけど」
するとバートンは鼻で笑い、「ずいぶんバカなことを悩んでいるんだな」
「はぁ?」
「何か理由があるから、死んでほしくなかったんじゃない。死んでほしくないことが、その人間が大切だという理由になるんだ。イロナに死んでほしくなかったということは、おまえはイロナのことが大好きだったんだよ。同じように、私もイロナが大好きだった」
何だか煙に巻かれているような気がする。しかし上手い反論が思いつかない。人狼として、多くの人々を食い物にしてきた自信がゆらぎそうだ。
「……なんでボクを助けたの。ボクは人狼だよ? イロナを犠牲にしてまで撃退したんだ。意識がないうちに殺せばよかったのに。しかも、ケガを手当てまでして」
「どうしても、殺せなかったんだ。おまえの顔がイロナにそっくりなせいだ。私に二度もイロナを殺せと?」
「どうだか。イロナの代わりに、ボクを見世物にしたかっただけじゃないの?」
「まあ、それもある」
「あるんかい」
「だが、どんな形でおまえを舞台に上げるかは悩みどころだ。イロナとうりふたつだし、出来ればインキュバスということにしたい。サキュバスとインキュバスは同一の存在だという伝説があってな。獲物の性別に応じて変化するんだ。だからおまえをイロナの替え玉にする。観客もまさか男女の双子とは思わんだろうし、より信憑性も増すだろう。ただし、問題は肌の色でなあ……人狼のおまえにイロナと同じ方法は使えないし、そもそも聖銀水が手に入らないんだが。染料でイロナと同程度のクオリティに仕上がるかどうか……まあいろいろ試してみるしかるまい」
「いや、フツーに人狼で出せばよくない?」
「それだとロニーとかぶる」
「ロニーって誰?」
「人狼だよ。毛深いだけの偽物だが」
「はぁ? 聞き捨てならないんだけど。本物より偽物のほうがいいっていうの?」
「当然だ。おまえのはいくらなんでも怖すぎる。アレでは観客をおびえさせるだけだ。見世物というのは適度に滑稽さが必要なんだ。おまえを人狼の姿で舞台に上げるくらいなら、その辺の野良犬のほうがマシだ」
何だか釈然としない。――いや、これではまるで、自分が見世物になりたがっているかのようではないか。まどわされるな。
「あのさあ、ボクがいつまでもおとなしく捕まっていると思う? ケガさえ治ればおまえみたいなザコなんて、カンタンに殺せるんだ」
この男はイロナのかたきだ。さっきは何やら屁理屈をこねていたが、彼がイロナを殺したという事実に変わりはない。対して、自分はあくまで未遂だ。くしくも彼のおかげで、イロナの大切さを再認識できた。復讐するは我にあり。
「もちろんそれは困る。私だって死にたくはないし、イロナの犠牲をムダにしたくはない」
「いけしゃあしゃあと」
「だから、勝負をさせてもらおう」バートンは不敵にほほ笑んで言った。
「勝負って?」
「おまえの体力が回復する前に、私に惚れさせる。そうすれば殺されない」
「……は?」
ヤーノシュは目の前の男が何を言っているのか、理解できなかった。ハンガリー語で言い直してほしい。
「おまえを私のカラダの虜にする。自分から尻を振っておねだりさせてやる。イロナもそうやって堕落させた」
「――い、いやいやいや! ボク、男だよ? オ・ト・コ!」
「それがどうした? 神が何のために肛門を創りたもうたと?」
「うんちするためだよ!」
するとバートンは心底不思議そうに、「まさか、男に抱かれたことがないのか? その美貌と華奢な身体で? 女装までしていたのに?」
「あるわけないでしょ。バッカじゃないの」
「そうだったのか……それは、楽しみだ」バートンは舌なめずりした。
「殺したい……」
ヤーノシュは正常な男だ。童貞でもない。人狼として女を殺したあと、動かなくなった死体を犯したことなら何度もある。男と寝るなんて、気持ち悪くて想像もしたくない。ましてや目の前にいる、デブでハゲで臭くて汗っかきの男とは。
「こわいのか? なぁに、案ずることはないぞ。ちゃんと気持ちよくしてやるからな」
「冗談じゃないよ。まったく、イロナはどうしてこんなヤツに……」
こんな男が相手でも、異性なら全然平気なのだろうか。とてもそうは思えない。しかし現にイロナは平気だった。バートンにすっかり堕とされてしまっていた。正気には思えなかったが、逆に言えば本気で愛しているように見えた。だからこそ彼女の変わりように、ヤーノシュは失望したのだが。
抱いてもらえばわかる、とイロナは言っていた。本当だろうか。口から出まかせではないのか。絶体絶命の状況で支離滅裂なことを口走っても、不思議ではない。
けれども、もしあれが真実だとしたら? バートンと寝れば、イロナの気持ちを理解できるのだろうか。死の間際に、なぜあんなことを問いかけてきたのかも。
「…………」
よくよく考えてみれば、今のヤーノシュではバートンに抵抗できない。銀の毒によるケガが治るまでは、見た目通りの優男だ。この体格差では一方的に犯されてしまう。つまりヤーノシュに、選択肢はない。ひたすらバートンの攻めに耐えるしかないのだ。そこはあきらめよう。
どうせ男に抱かれたところで、不快なだけだ。ヤーノシュが快楽に負けることなどありえない。何なら回復してもすぐ殺さずに隠し、ベッドの上でくびり殺してやろうか。そんなふうに考えたら、少し愉快になってきた。
「……いいよ。やろう、勝負」
「本当か?」
「うん。ただ、その前に確認なんだけど、ボクの食事はどうするつもり?」
「まかないなら食べさせてやるぞ」
「いや、それ普通の食事でしょ。ボク人狼だからね。人間の食事は消化できないから。ちゃんと人肉用意してよ。餓死させたいならべつだけど」
「ああ、そういえばそうだったか……だいたいどのくらい食べないと死ぬんだ?」
「昔試したことあるけど、一ヶ月が限界だったね。空腹で理性が飛んで、気づいたら村一つ滅ぼしてた。言っておくけどそこが限界なだけで、普通に毎日おなか減るから」
「量は?」
「獲物を安定して確保できるときは一日一人だけど、そのときはハラワタしか食べないから……まあ一人分を大事に食べたら、一週間はもたせられるかな」
「一週間に一人か……女子供でないとダメなのか?」
「そこはぜいたく言わないよ。できればそっちのほうがいいけど。男の肉はクソまずいし」
「獲物は新鮮なほうがいいのか? 生きたままというのはさすがにむずかしいのだが」
「……まあ多少腐っててもいいや。道に迷って何日も人里にたどり着けなかったときに、野垂れ死んでハエがたかった死体を食べたこともあるし」
「わかった。それならたぶん何とかなる」
「へえ。後学までに、どうやって用意するのか聞いていい?」
さすがに毎回人を殺して騒ぎを起こすのはリスクが大きい。安全に獲物が手に入るなら、それに越したことはない。
「べつにかまわないが、説明すると長くなるぞ。方法は時と場合に応じていろいろだ」
「今何時くらい?」
「ちょうど深夜を一分過ぎたところだ」
「じゃあさ、寝物語にでも聴かせてよ」ヤーノシュはバートンを挑発するように、股を開いた。「ボクをケガから回復するまでに堕としたいんだったら、一日もムダにはできないよね」
「おや、ずいぶん乗り気じゃないか」
「勘違いしないでよ。嫌いなものは先に食べる主義なんだ。こんなこと無意味だって、手っ取り早く思い知らせてあげる」
「いいだろう」
バートンは衣服を脱ぎ捨てて、股間のものをあらわにした。すでに力強くいきり立っている。それを見てヤーノシュは仰天した。自分のとはあまりに違いすぎる
「えっ、何それ? いくらなんでも大きすぎない? そんなの入るわけないでしょ」
「入る」
「いやいや、さすがに裂けるって。裂けちゃうって」」
「入る」
バートンがベッドの上に乗り、ヤーノシュの身体に覆いかぶさってくる。膨れた腹が密着する。あまりにも体格差があるので、威圧感がすさまじい。不覚にもヤーノシュは恐怖を覚えた。
「心配せずとも、いきなり突っ込んだりはしない。じっくりていねいにほぐして、私のものを受け入れられるようにしてやろう。イロナにしてやったのと同じようにな。では、まずはキスから始めようか」
「あ、ちょっ、待っ――」
その夜、イロナがどういう気持ちでいたか、ヤーノシュは徹底的にわからせられた。
青い肌のイロナと人狼ヤーノシュ 木下森人 @al4ou
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