冬の霜焼けと、君と

アキレサンタ

冬の霜焼けと、君と

 手袋を無くした。左手が霜焼けになってしまった。

 先日までお世話になっていた祖母の家は、思わず長居するほどに心落ち着く場所ではあるが、些か寒さの厳しい場所でもあった。冬休みが始まり、せっかくこちらでは雪が降ったというのに同級生と心ときめくホワイトクリスマスを迎えることもなく。

 結局昨日まで、冬休みのほとんどを豪雪地帯の田舎で過ごすことになってしまったのだった。

 そんな風に心の中でぼやきつつ、座り込んだ石段の冷たさに身を委ね、僕は左手を見つめる。


「あら、今日は先に来ていたのね」


 不意に。

 僕の待ち侘びた声が訪れる。


「ああ、今日は何故だか早くに目を覚ましてね。せっかくだから早くに来てみたんだ」


 僕は視線を地面に向けたまま立ち上がる。尻についたであろう砂を払いつつ彼女に目を向けると、思わず息を詰まらせた。

 普段学校で着てくるものとは違う、黒を基調とした大人っぽいコート。彼女の美しさも相まって、僕なんかが彼女の傍に居ていいのだろうかと、劣等感すら覚える。


「……ふふ。いいのよ、無理しなくて。昨日ご実家から帰ってきて疲れてるはずなのに、初詣が楽しみで早く起きてくれたのね」


 彼女の真っ白な指が口元を隠す。僕をからかう時の仕草だ。

 溢れた上品な笑みを、彼女はこうやって隠す。


「…………」


 僕は言葉を返さない。こういう場合、何を言っても更にからかわれるに決まっている。

 事情を全て知っているのか、あるいは全くの想像か。見透かしたように言う彼女から目を逸らす。大方合っているからタチが悪い。

 確かに僕は昨日祖母の家から帰宅し、泥のように眠りについた。しかし今日、この鳥居前に遅れるわけにはいかないので、かなり慎重に目覚まし時計を設定したのだった。

 ただ一つ違うことがあれば、僕は初詣が楽しみで目覚まし時計を設定したわけではない。


「初詣じゃなくて、君に会えるから早起きしたんだ――あ」

「――ふふ……あはは」


 思わず口走ってから左手で口を覆う。もう遅い。

 彼女は一瞬だけ目を丸くしたかと思うと、次の瞬間には、それはそれは楽しそうに口元を緩めていた。

 細い指と綺麗な唇。並びの整った歯に、僕は思わず見惚れる。


「あら、赤くなってるわよ? 大丈夫?」

「なっ」


 彼女が僕の顔を指差す。そんなわけないと頬を触るが、確かに。僅かに。

 先ほどより顔が熱い。照れているのがバレている。


「ふふふ。そっちじゃなくて、その左手」


 彼女は再度僕を指差す。今度は確実に僕の左手を。

 照れているのがバレたと焦ったことがバレた。

 もうダメだ。今日はもう、ダメだ。


「もう、お参りに行くよ」


 僕は振り返り、ぶっきらぼうに言い放つ。後ろで彼女が笑っている気配がする。

 鳥居をくぐり、参道を歩く。正月三が日は出店も多く出て、かなりの賑わいだっただろうが、流石に七日になると出店もかなり減っている。

 少しだけ立ち止まると、彼女が僕の横に並ぶ。


「出店といえばりんご飴よね」


 彼女が呟く。りんご飴は買わない。固くて噛みちぎることのできない飴だ。どんな風にからかわれるか、想像に易い。

 しかし小腹が空いているのは確かにそうで、何か食べようかと辺りを見回す。

 ……よかったら僕が奢るよ、なんてスマートな言葉を、僕は到底口には出来ないけれど。


「あらいいわね。だけれど、それは参拝してからにしましょう」

「そうだね。確かに。まずは参拝だ」


 それなりに長い参道を歩く。石畳をコツコツと鳴らす彼女の靴の音に心地よさを覚える。歩きづらそうな靴に僕には見えるが、彼女はなんともなさそうだ。

 階段を登り本殿へ。流石に彼女を気遣わないわけにもいかず、僕はゆっくりと彼女と歩く。


「お賽銭って、いつもいくらくらい入れる?」

「私は千円。一年に一回しか来ないもの」

「……すごいなぁ。僕は五円しか放り込んだことない」

「ご縁がありますように、ってね」


 彼女が口元に手をやり微笑む。


「さて、私は毎年のことながら千円入れるわね」

「ぼ、僕は……」


 彼女が意地悪な笑みを浮かべている。まあ、千円放り込んだって構わない。だけどこう、なんと言うか。僕は信心深くないのだろう。

 どうにも勿体なく見えてしまう。


「ふふ、いいのよ」

「……うん。千円は僕がもっと有意義だと思う使い方で使うことにするよ。神様お許しください」

「そ。ならそうするといいわ」


 言葉だけ見ると冷たげな印象だが、彼女は柔らかに微笑んでいた。

 二人で礼をして手を叩く。僕が礼をすると、彼女はまだ手を合わせて目を瞑っていた。思わず見つめる。

 長いまつ毛に、スッと通った鼻筋。薄い唇。真っ白の綺麗な首筋がコートの襟から見えると、思わず唾を飲みそうになる。

 いやいや、神様の前で僕はなんて邪な。

 邪念を取り払うかのように首を振ると、彼女が目を開けた。


「あら、ごめんなさい。待たせちゃったわね」

「いや、いいんだ」


 僕の方こそごめんなさいと、心の中で呟く。


「おみくじ、引くでしょ?」

「うん」


 彼女が社務所を指差す。

 早速くじを引くと、慣れた手つきの巫女さんが僕たちにおみくじを渡してくれる。


「中吉」

「小吉」


 負けた。


「勝ち負けじゃないわよ。中に書いてあることの方が重要だもの」

「うーん……」


 彼女に嗜められながら、僕は更に紙を開く。

 願望。口舌を慎みてよし。

 どういう意味だろうか。


「願い事を叶えたければ余計なことは言うな、と書いてあるわね」

「余計なこと……」


 心当たりがあるような、ないような。


「君は?」

「願望、少し暇がかかるが叶う。時間はかかるみたいだけど叶う、ってことかしらね」

「それは良いね。気長に待てばいいじゃないか」

「そうね、気長に待つわ。口舌を慎みて、ね」

「……今、僕は余計なことを言ったのか」


 彼女が手を口元にあてる。からかわれていることはわかるのだが、何をからかわれているのかがわからない。

 他の項目に目をやる。

 恋愛。はやく我心をさだめよ。


「……なんか突き刺さるなぁ」

「あら? ふらふらと何かを悩んでいるのかしらね」

「み、見ないでよ。僕は何も決めかねてはいないよ」


 そう、何も悩んでいない。僕自身に好きな子がいるのかいないのか、その子が僕のことをどう思っているのか。

 何も気にしてなどいない。二の足を踏んでもいない。

 だけど、その子のおみくじが気になると言えば気になる。覗き込もうとすると、フッと避けられた。


「君のも教えてくれないと不公平だ」

「ふふ、仕方ないわね。恋愛。高ぶりで敗れる恐れあり。あまりテンションを上げすぎると失敗する、と言うことかしらね」

「君がテンション高くしてる想像があまりつかないけど」

「……」


 微笑んでいた目が据わる。あ、これはわかる。口舌を慎めるべきだった。

 じっとりとしたその目を彼女は僕から逸らすと、向こうを向いた。

 そんなことないわよ。と小声で呟いたのを僕は聞こえないふりをした。


「え、えーと……」


 なんとも気まずい雰囲気になりそうだったので、僕はおみくじの続きを読む。


「失物。出でず、か……」


 呟くと、彼女がチラリとこちらを見た。


「何か失くしたのかしら」

「ああ、うん。手袋をね。別にお気に入りってわけでも無かったんだけど、ほら僕霜焼けになっちゃうくらいだし」

「そうだったわね。手が冷たいのね」


 彼女が、僕のおみくじを持つ手に触れる。心臓が跳ねる。

 その白い指に似合わず、彼女の手は存外温かだった。いや、僕の手が冷たすぎるだけだろうか。


「手が冷たい人は心が温かいと言うわね」

「ああ、言うね。……今僕褒められたかな」

「褒めたわよ」

「褒めたんだね」


 照れもせず、彼女は僕に告げた。こうハッキリ告げられると僕の方が恥ずかしくなってしまう。


「祖母の実家は雪が酷くてね。当然クリスマスにも降ってたんだけど、今年はホワイトクリスマスと呼ぶにはあまりに荒々しかったな」

「それで霜焼け、ね。親戚はたくさん来てたのかしら」

「ああ、まあそれなりに」


 それを聞くと、彼女はニヤリと口元を歪ませた。


「お年玉をあげましょう」

「え、僕に?」

「そう、あなたに」


 お年玉って同級生から貰うものだっただろうか。


「目上の者から目下の者へ渡すものを一般的にお年玉、と呼ぶわ。逆はお年賀と呼ぶのよ」

「……君と話すのは勉強になるけど、僕は目下なのかい」

「ふふ。お年玉お年賀交換をしましょう。当然買ってあるのでしょう? お土産」

「ああ、うん」


 終業式の日。彼女は僕が祖母の家へ行くことを知るとお土産を要求した。

 いつ渡そうかと悩んでいたところだったので、ちょうど良かった。

 しかし何とも言いづらい交換会だ。


「クリスマスプレゼントの交換、ではないのかな」

「違うわね。お年玉お年賀交換」


 彼女は頑なだった。多少の苦笑を浮かべつつ、僕はポケットに手をやる。


「はい、これ」


 彼女に包装ごと渡す。早速開けると、中から出てくるのは青い石で出来たストラップ。


「これは?」

「なんか地元で取れる鉱石らしい。石の癒しのオーラでなんとかーって言ってたけどそれは知らない。君に似合うかと思って」

「……ふふ、ふふふふ」


 彼女は左の手のひらにそれを乗せると、右手で口元を隠した。いつもの上品な、僕をからかう笑いではない。

 本当に笑っている。


「えっと……気に入らなかったかな」

「いいえ、気に入ったわ。気に入ったけれど、すごくこう、ダサいわね」

「ダ……」

「ハートというところがもう、すごくダサいわ」

「ぐ……」


 彼女の手には青いハートのストラップ。僕は彼女へのお土産に、何を買えばよかったかわからなかった。

 散々悩んだ挙句、地の物で、彼女に似合いそうな物を選んだというわけだったが、ダサいのか……。


「ええ、ダサい。ダサくてダサくて、すごく可愛い」


 彼女は手の上でコロコロと転がしながら微笑んだ。


「いいのよ、本当は何だって。女の子だから可愛いものがいいだろうと考え、アクセサリーは恥ずかしいからストラップにして。私へのプレゼントとして考えた時に、無意識にこの形を選んでしまった……なんてことはきっとないでしょうけど」

「うぐ」


 何も言い返せない。二度も墓穴を掘るわけにもいかない。


「だけど……だからこそ、気に入った。すごくカッコ悪くてすごく可愛い。……ありがと」

「……うん。喜んでくれたのなら良かったよ」


 彼女は大切なものを扱う時のように、そのストラップを握った。


「本棚に飾っておくわね」

「付けてくれないんだ! やっぱり外に見せられないくらい、ダサいのはダサいんだね!!」

「あははははは!」


 僕がヤケクソで叫ぶと彼女はそれはそれは楽しそうに笑った。


「さて、小腹が空いたので出店で何か買いましょう。お年玉をたくさんもらったから、何か買ってくれるんでしょ?」

「…………うん、よかったら僕が奢るよ」

「ふふ」


 僕の想定したセリフなのに、なぜだろう。全くスマートさに欠ける気がする。

 こんなはずではなかったという気持ちと、それでも言えたことへの安堵感が僕を微妙な気分にさせる。


「言っておくけど、たくさん食べるから。千円なんてあっという間に超えるわよ」

「大丈夫だよ。君と違って僕はお賽銭に五円しか放り込んでないんだ」

「……ふふ。それは神様より有意義なのかしら」

「…………」


 ああ、これだ。

 彼女が嬉しそうに手を口にあてている。

 さあ勇気を出せ、僕。はやく我心をさだめよ、だ。


「君に奢ること以上に有意義なことはないよ」


 言うと、彼女は更に嬉しそうに笑った。

 僕は歩き出す。晴れ渡る空の下。時々痛いけどくすぐったくて、心が痒くなるような、霜焼けの季節の中。

 僕と彼女は歩き出す。












「…………いや待って。僕、君からお年玉もらってないよ」

「あら、覚えていたのね」

「僕だけ散々からかわれた挙句、物も徴収されっぱなしなのは流石に一言物申すよ」


 それに君がくれるって先に言ったじゃないか。


「私も生憎センスがなくてね。実用的なものをついつい買ってしまうの。こんなものをね」


 彼女は小さめの紙袋を僕に渡す。開けていいかと目配せすると、頷いた。

 早速開ける。


「……手袋だ」

「誰かさんが手袋を失くしたって騒いでいたからね」


 そうか、彼女にはもう言っていたか。そりゃ毎日スマホでやり取りしていれば、その程度のことは話しているか。


「すごく嬉しいよ、ありがとう」

「貸して、付けてあげる」

「うぇ!?」


 驚いている間に取り上げられる。おずおずと手を差し出すと、僕の左手を手袋が覆う。

 流石にすぐには温かくならないが、裏起毛の繊維がふわふわと柔らかだった。

 しばらく着け心地を確かめていると、彼女が告げる。


「はい、右手出して」


 諦めた僕は右手を差し出す。

 次の瞬間、僕は目を見開く。温かで柔らかな感触。だが、手袋じゃない。

 彼女が僕の手を握っている。


「て、手袋は?」


 声が裏返る。

 訊ねると、彼女は右手をひらひらと振った。そこには僕が先ほど頂いた手袋。


「だ、ダメだよ僕なんかと手を繋ぐなんて」

「ダメじゃないわよ」

「ふ、不純だよ。付き合ってもない男女が手を繋ぐのは。不純異性交遊だよ」

「じゃあ付き合えばいいのかしら?」

「っ」


 喉が詰まる。顔が熱くなる。

 ここなのだろうか。僕が頑張るべきは、ここなのだろうか。いや、ここしかないだろう。

 恋愛、はやく我心をさだめよ。

 神の言葉が重くのしかかる。


「ぼ、僕は……」


 彼女がこちらをじっと見る。茶化す雰囲気はない。怒っているようにも、笑っているようにも取れるその表情は、僕をただ待っている。

 僕は。

 僕は……。


「ふふ、いいのよ。高ぶりで敗れる恐れあり、よ」


 彼女がふっと口元を緩める。


「少し暇がかかるが叶うもの。私は気長に待たせてもらうわ」

「……そっか」


 短く答える僕。彼女はぐいとその手を引いた。

 情けない僕はよろけながらもついていく。


「あれ」


 不意に。

 目に入ったものが気になる。


「耳、赤いけど寒かったかな。霜焼けにならないといいんだけど……」


 告げると、くるりと彼女が振り返る。


「口舌を慎みてよし」


 僕の手袋を嵌めた人差し指を口にあて、彼女は片目を閉じた。

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冬の霜焼けと、君と アキレサンタ @akiresanta0846

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