第4話 「スッとするのは苦手だから」

 雨を避けるために室内に戻った。

 ふと、テーブルの上に置かれた小さな箱が目に留まる。


「浜崎のじゃん」


 煙草の箱が落ちていた。

 開けると四本だけ残っていた。一箱大体五百円、二十本入りだから……百円忘れて言ったのと同じか。

 そんなことを考えている間も、窓の外ではザアザアと雨が降り注いでいた。

 先ほどベランダから見えた浜崎の姿が頭をよぎる。確か、傘を持っていなかったはずだ。

 

 僕は煙草の箱を握りしめて、部屋を飛び出していた。

 玄関に立てかけてある傘を掴み、道路を駆ける。駅まで続く閑静な住宅街を年甲斐もなく全力疾走した。

 傘を差しながら進み続ける後ろ姿を見つけた瞬間、


「浜崎!」


 と、口から飛び出た。

 桃色の傘は百八十度向きを変える。雨の向こう側から、浜崎は顔を覗かせる。


「どしたの?」

「忘れ物」


 煙草を差し出す。浜崎を構成する香りを見せつけるように。

 それを見て、浜崎はくすりと笑う。


「別にいいのに、吸ったら?」

「メンソール苦手だから」

「そっか」


 そう言うと、煙草の箱を受け取った。

 手の平から僅かな重みがなくなる。

 浜崎と僕の繋がりが途絶えてしまう実感が湧いた。蝶々が指先から飛び立ってしまうな僅かばかりの喪失感。

 僕の前から完全に消えてしまう前に、聞きたいことがあった。


「なあ、僕のどこが好きだったの?」

「そういうところ」

「よく分からないな」

「鈍いところだよ」


 好きじゃなくなったことに気が付いてなかったとこ?

 そう尋ねる前に浜崎は、


「ありがと、じゃあね」


 と、歩いていった。

 黒いコートが闇に溶けていく様を黙って見送った。


 これ以上、浜崎を追いかけようとは思えなかった。

 もう僕のところに戻ってこないだろうから。そもそも、僕は浜崎の帰る場所ではないのだから。

 自宅に戻って煙草を吸った。


 僕の顔に煙を吹きかける女は、もういない。

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彼女に恋などしていない 川雨そう @kawau_sou

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