第3話 「僅かな思い出」
透明な煙と一緒に、古い記憶を吐き出した。
ああ、そうだ。きっかけはこんな感じだったな。まさか何回もヤるとは思ってなかったけど。
ヤッたんだから彼女でしょ? みたいな顔したら速攻切ろうと思ってたけど、そんなことは一度も言われなかった。
だから、ちょうど良い女だったんだよな。
そんなことを思いながらソファに腰掛ける。テレビの下の棚に並べられた、とあるアーティストのⅭⅮが目に留まった。
― ― ― ― ―
「最近、流行ってるよね」
講義が終わって、一緒にコンビニに寄ったこともあったな。たまたま店内に流れていた音楽の話題になった。
「CDあるよ」
「今度貸して」
「じゃあ奢って」
僕は持っていた籠にカップ麺とビールを入れた。
「ちゃっかりしてるねぇ」
浜崎は笑いながらリキュールとサラミを入れてくる。
「私達、傍から見たら恋人に見えるかな」
「見えんじゃね?」
「私は見えないと思う。だって全然目を合わせないから」
そう言われると確かに……と思った。
パーツが整っているだとか、どんな雰囲気だとかは見ていたが、浜崎という人物と目を合わせたことは一度もないのだ。
もちろん、行為中であっても。
ジッと浜崎の瞳に視線を向ける。
よく見たら奥二重なんだな、身体ばかりに目がいっていたから気が付かなかった。
「浜崎って、まつ毛長いんだな」
「ほ、褒めたって、これ以上は奢らないからね!」
僕の手から籠を奪うと、そそくさとレジに向かっていった。
ああ、照れてんだなって一発で分かるような表情だった。
― ― ― ― ―
なんでこんなに浜崎のことを思い出すんだろう、僕らはただのセフレなのに。
余計なことを考えないようテレビを付けた。クリスマス特番で恋愛ドラマが放送していた。
― ― ― ― ―
結果的に浜崎とはよく話すようになった。今までは事務的なことしか会話なんてなかったのに雑談なんて気軽にするようになったから、僕らの仲を勘ぐるような奴も出てきた。
「お前らー、そんな仲良かったっけ?」
「友達」
身体を重ねるだけのね。まあ嘘は言ってない。
「そう言ってさー、ちょっとくらい好きなんじゃね?」
「友達だって」
浜崎に対して好きなんて微塵も思ってない。
良い奴だ。でも、見えない(都合の)という言葉が隠れていた。
「芹はそうだって思ってても、浜崎がどう思ってるか知らないだろー」
「浜崎だってそうなんじゃない?」
「って芹は言ってっけどー。どうなの、浜崎」
僕に聞いても無駄だと思ったのか、浜崎に白羽の矢が立った。
適当に受け流すか匂わせるようなことを言うのか知らないが、どちらにせよ上手いことフォローする気だった。このゼミには他にも関係を持った女がいたから。
「好きだよ」
浜崎は平然と言った。
「は?」
想定外の言葉に脳が機能を停止する。
僕にとって都合が良い女になるように立ち回ってはいたけれど、まさか公衆の面前でこんなことを言うような奴だったとは……質問した奴も同じように思ったのだろう。
「どこがー?」
「えぇっと、顔?」
「本気じゃないだろー、その答え。なーんだ、ビビッて損した」
男はゲラゲラ笑っていた。それを見て浜崎も小さく笑う。
「だって本気で聞いてないでしょ」
なんて、軽口を叩きながら。
― ― ― ― ―
なんで、こんなに浜崎のことを思い出すのだろうか。大した思い出なんて一つもないのに。
視界の真ん中で揺らめく煙が、僕の心をおかしくしたんだろう。密室で煙草なんて吸っているから、浜崎のことを考えているんだろう。
換気しようとベランダのドアを開けた。
外の澄んだ空気が肺をちくちく刺した。ふと視線を下げると、浜崎が歩いているのが見える。
ポツリと水滴が頭に落ちてきた。
― ― ― ― ―
『今から行っていい?』
土砂降りの日には、よく電話がかかってきた。
「いいよ、おいで」
大抵、十分も経たずにやってくる。傘も差さずに、びしょ濡れで、貞子みたいなに俯いて。
「風呂沸いてるよ」
バスタオルを頭から被せて、ハグ待ちの姿勢を取る。
浜崎は何も言わずに、ぽすりと腕の中に収まる。ぎゅっと抱きしめてきて、放そうとする素振りすら見せない。
「好き」
小さい声だった、雨の音にかき消されてしまいそうなくらいの。それがきっかけだったのか、浜崎は口を動かし続ける。
「好き、好き、好き」
「何か辛いことでもあった?」
「好き、芹君。大好き」
僕の質問を無視して、浜崎は愛の言葉を囁き続ける。
……さて、どうしたものか。
僕はセフレで彼氏じゃない。
僕も一緒に風呂入るかなぁ。こういう時は多少の無茶をしても許されるけど……こうなると面倒だな。
「困らせてごめんね」
「大丈夫だよ」
困ってないよ、とは言わなかった。
浜崎は僕の胸にぐりぐりと顔を埋めて、抱き着く力を強くする。
「セフレでいいから、一緒にいてよ」
「もちろん」
僕らは、それ以上の関係になることはない。
だって僕は浜崎のことが好きだったことなんて一度もないんだから。
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