第2話 「お誘い」

― ― ― ― ―



「火、くれない?」


 今年の春、大学の喫煙所でのことだった。

 ライターのオイルが切れた僕は、ベンチに座っていたセミロングの女に声をかけた。

 セミロングの女……浜崎稔莉は、ぽかんとした表情で僕を見上げていた。

 彼女とは、ただゼミが同じだけだった。ちゃんと話したことは、これが初めてだ。

 急に話しかけられたことに驚いているのか知らないけど、浜崎はうんともすんとも言わない。


「ライター切れた?」

「……いや、あるけど」


 戸惑いを隠そうともせず、水色のライターを差し出してくる。


「さんきゅ」


 受け取って煙草に火を灯す。

 ニコチンを思いっきり吸い込み、ふぅー、と白い煙を吐き出した。

 ああ、美味い。


「煙草、吸うんだね」

「そっちこそ」

「二十歳超えた大人だからね」


 なんとなく、こういうものを避けているイメージがあった。

 オシャレはしてるけど、どこか垢抜けきれていられない雰囲気がある。

 髪を茶色に染めているけど眉毛は黒のままなところとか、ネイルしているのにささくれがあるところとか、些細な部分が沢山出てくる。


 けどまあ、顔は悪くない……いや、美人の部類に入るだろう。

 目はぱっちりとしているし鼻筋も通っている。ピンク色の唇とは正反対の白い肌。  

 胸は小ぶりだけれど、白いワンピースの清楚さを際立たせていた。

 男の汚さなんか知りませんみたいな顔してる感じ。よく言えば素朴で純粋、悪く言えば簡単に引っ掛けられそう。


「じろじろ見てどうしたの?」

「新鮮だなって」

「芹君はイメージ通りだよ」

「煙草吸ってそうに見えてたってこと?」

「そういうこと」


 したり顔で煙草に口付ける浜崎に興味が湧いた。ちょうど一人の女と関係が切れたし代わりにしようという目論見もあった。

 だから、そうなるように会話を誘導していった。

 煙草の話から、趣味の話へ。

 気が合うねーとか相槌打って、話したりないから飲み行こうって誘って、終電逃して家に招いた。


 案の定、浜崎は慣れていなくて。というか経験がなくて、顔を真っ赤にしながら「恥ずかしい」とか言うものだから「大丈夫だよ、可愛いよ」って言い続けた。

 ここまでは想定内だった。というか、理想的だった。

 驚いたのは身体を重ね終わった後のこと、一服しようと煙草をくわえた時だった。


「ねぇ、私にもちょうだい」


 一糸纏わぬ浜崎は、シーツから顔を出した。

 程よく肉が付いた肢体を月明かりが照らす。


「ん」


 新しいのを出すのが面倒で、吸っていたものを差し出した。浜崎は細い指で受け取って口に運ぶ。

 小さく吸い込むと、けほっと咳込んだ。


「苦」

「いつも吸ってんのに?」

「私のはメンソールなの」


 文句を言いつつも二口目を付ける。顔をしかめるくらいならやめればいいのに、そう思った時だった。

 視界が白い煙に包まれた。じくじくと目を刺激して開けていられない。

 浜崎は、僕に煙を吹きかけたのだ。


「ゲホッ! ちょ、なにすんの?」

「いつも吸ってんのに?」


 つい数十分前まで白い頬を赤く染め、細い首から甘い嬌声を上げていた女とは思えなかった。どこからその余裕が出てきたのやら。


「返す」


 二口で満足したのか、僕の口に煙草を差しこんでくる。

 自分が持ってきたバッグを漁り、緑色の箱を取り出した。


「私の吸う?」

「メンソール入ってるんでしょ?」

「もしかして、苦手?」

「スッとするのは嫌いだ」

「爽快なのが良いんじゃない」


 ウブなくせに、どこか強か。

 それが浜崎稔莉という女だった。

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