あらしが来たりて  1

 勘弁してほしかった。

「いや、工藤さんは犯人ではなさそうですね」

 私が殺した死体のそばで屈んでいた男性は、何でもないようにそう呟いた。その場にいた利用客と従業員たちは、一斉に彼の方へ視線を向けた。

「適当な事を言うな!」

 ペンションのオーナーである森崎さんが叫ぶ。

「こいつの料理を食って死んだんだぞ、こいつ以外誰が犯人だって言うんだ!」

「本当にそうなんでしょうか」

「なんだと?」

 なんで私を庇うのだ。このまま警察に突き出されて、協力者に回収してもらう予定なのに。

 男性は立ち上がるとこちらを向き直り、被っていた帽子を少し直した。

「確かに料理を作った工藤さんならば、毒なりを盛る事は容易でしょう。しかし、一口食べた瞬間に死に至る毒などそうありません」

 加えて、と指を立て、そのまま遺体を指す。

「亡くなられた石原さんの死因は、見たところショック死のようです」

「ショック死?」

 窓際に立っていた女性が呟く。男性はその言葉を聞くと、にっこりと笑いかけて応じた。

「そう、ショック死です。口にした瞬間にショック死に陥らせる毒など、わたしは知りませんね」

 素人が断定しちゃダメだろう。私は少し苛立ちを覚えながら、帽子の彼へ視線を向ける。

 世界にたくさんある毒の中にはそういうのもあるかもしれないし、その手の専門家でなければ少し見ただけで断定などできない。

 それに、仮に毒じゃなかったとしても1番怪しいのは私なのだから、早く警察を呼べは良い。そうしてくれたら、既に手を回してある帯川さん達と合流して、今回の仕事はおしまいに出来るのだ。

「故に、彼女の料理が原因ではない可能性が、極めて高いと言えます」

「じゃ、じゃあ、誰がどうやって殺したって言うんだ」

 なのにどうして信じるのだ。森崎さんの縋るような言葉に、私は叫びたくなった。

 さっきまで私を糾弾していた森崎さんも、疑いの目を向けていた他の人たちも、皆一様に彼の言葉に耳を傾けている。

 違うだろう。どう見ても怪しいのは私だ。そんな出鱈目な話に付き合っちゃいけない。というか、その私を庇う彼も大概怪しい。

 なのに何故、警察関係者でもなんでもないように見える彼の主張を信じるのだ。

「残念ながら、まだ真相には辿り着いていません。しかし、そうかからないうちに、犯人を見つけてみせますよ」

「……貴方は、一体」

「わたしですか?」

 彼は先程整えたばかりの帽子を持ち上げ、爽やかな笑顔を我々に向ける。

「雹島同一、しがない探偵ですよ」

 面倒な事になってきた。私は、仕事を受けたことをひどく後悔した。




***



 その仕事を受けたのは2週間ほど前の事である。

「長野のペンションに、研修っていう体で旅行に行くんだと」

 クリップボードにまとめられた資料をめくりながら、帯川さんは「面倒くさいです」という表情を隠そうともせずに言った。

 帯川さんは出張の必要な仕事を嫌がる。書類の申請が手間だからだ。相変わらずの様子に私は苦笑していた。

 しかしながら、目を通してもそれほど難しくなさそうな依頼だと思った私は承諾し、いくつかのツテを使って打ち合わせをした。

 時計を見ると、今頃移動用の車に揺られている筈の時間である。

「あんたは犯人じゃないかもしれないが、それでも怪しいのは確かだ。悪いが、暫くこの部屋で待機してもらうぞ」

「…わかりました」

 でも、現状は違う。この小さな物置で、あの胡散臭い名探偵様の推理待ちをする羽目になっている。

 どうしてこうなった。閉じられた扉に鍵が掛けられる音を聞きながら、私は頭を抱えた。

 思いつくあらゆる用意はした。ある程度のイレギュラーにも対応できるようにも構えていた。しかし、詰めが甘かったらしい。

「探偵を名乗る奴がいるのは想定してない…」

 しているわけがない。なぜならそんな奴はいないからである。

 でも、いた。そんな奴がいたのだ。私が仕事をしに来た今日に限って、たまたま空いていた一部屋に泊まりに来たのだ。

 運がない。そうとしか言い表せない。私は自分の不運を呪った。

 もしかしたら、本当に呪われているのかもしれない。こんな仕事を続けているなら、今まで殺した人たちの中に、幽霊にでもなった人が一人くらいいてもおかしくない。

 しがない探偵を自称する男がいるのだ。幽霊になる奴だっているだろう。

 私は溜め息を吐いてから物置の中を見渡し、どこか腰掛けられそうなところを探した。殺したのは私なのだ。真犯人など見つかるはずがない。時間が経てば、私が犯人だと改めて判断するはずだ。

 はめ殺しの窓からの月明りと、頼りない電灯で照らされた室内をいくらか探すと、埃の被った丸椅子が見つかった。手で軽く払う。思ったほど、埃は舞わなかった。

 丸椅子に腰を下ろし、また小さく息を吐く。普段は吸わないたばこが、今日ばかりは恋しく感じる。雑然と置かれた棚や脚立、飾り付けに使うであろう装飾が、その思いを増幅させた。

「……ん?」

 腰掛けたことで低くなった視線が、壁の一か所に吸い込まれた。

 足を畳まれて立て掛けられた机の向こう、くすんだ壁紙に、何か文字が書かれている。机に隠れて半分以上が見えないものの、それでも文末の「です」や「ます」、句点なども見て取れた。それもそこそこな文章量だ。落書きにしては随分と多い。

 立ち上がって尻をはたき、私はその壁に近づいた。机に触れると、動かせそうな軽さを感じる。

 私が机の両辺に手をやり、そして持ち上げようとした。思った通り軽いようだ。少し腰を下げ、力を込めた。

「工藤さん、工藤さんいますか」

 ドアを叩く音と共に名前を呼ばれ、反射的に手を放す。そして埃を払わないまま、扉へ近づいて返事をした。

「はい、います。工藤です」

「……そうですか、一度ここを開けます」

 聞こえてくるのは従業員の多田さんの声だ。慌てているのか、随分と手際が荒く、手間取っているように感じた。

 汚れた指先を触りながら開錠を待つ。数秒をしないうちに扉は勢いよく開かれ、廊下側の照明の明るさに目を細める。思わず目元に手をやった。

 扉の向こうには先ほど集まっていたのと同様に人が集まっている。全員から視線を向けられ、居心地の悪さを感じた。

「あの、何かあったんですか」

 部屋で大人しくしていろと言われてからまだ10分も経っていない。にも関わらず、こうして集まっているのだから、何かしらあったのだと推測できた。

「え、っと…」

 多田さんは言葉を詰まらせる。そこを助けるように、先ほどの名探偵様が私に応じた。

「先程、森崎さんが何者かに撲殺されているのが発見されました。ハンマーで一発。即死のようです」

 ……どうやら、さらに面倒なことになってきたらしい。私の口からは都合よく、困惑に濡れた「えぇ…」という言葉がこぼれた。

  


 

 

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フライキッチン 低田出なお @KiyositaRoretu

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