フライキッチン
低田出なお
フライキッチン
初めて人を殺したのは小学6年の事だった。泣きじゃくりながら動かなくなった母にしがみついていた私は、特に疑われることも無く孤児院に預けられることになった。そして、その孤児院でも2人を殺し、大学にかけて6人を殺した。
「その後は……どうだっけ」
床に倒れ込んだ、恰幅の良い男を見下ろしながら呟く。先程まで断末魔を響き渡らせていた口を大きく開け、大の字で絶命している。
思考の渦を切り上げた私は、布巾で手を拭きながらバックヤードへと戻り、充電器に繋がったままのスマートフォンを掴み取る。そしてそのまま、帯川さんへと電話をかけた。数コールの後、電話口の向こう側から楽しそうなカラカラとした声が聞こえてくる。
「終わりました」
「あ、もう? 相変わらず手際がいいねえ」
声の主は、近くにいるからすぐ行くわー、と軽い調子で答え、通話を切った。
****
彼女は言葉の通り、5分も掛からずにやってきた。彼女の後ろにはスーツを着た人が数人いて、先頭のメガネを掛けた男性が、こちらに浅く会釈をした。
こちらが会釈を返すより先に、男性は他の人に目配せをする。それを受けた人たちは、淀みない動作で死体を担ぎ上げ、床やテーブル、椅子等をテキパキと掃除していく。
瞬く間に、店内は開店したときよりも綺麗になった。
「では」
メガネの男性は短く告げ、また目配せで周囲に指示を出して退店する。他の人も後を追い、店内は帯川さんと自分の二人だけになった。先ほどまでの人口密度が嘘のようである。
「ワイン貰える? 安いのでいいから」
帯川さんはいつも通り、カウンターの椅子を引きながら注文をしてきた。この店の意味を知っていながら飲食物を注文するのは、記憶の中では彼女だけである。
「自分が言うもなんですけど、よく頼めますね」
「工藤ちゃんは既製品で殺すなんて無粋なことしないでしょ」
こちらに了承も取らずに煙草に火をつける。肺にたっぷりと吸い込まれた煙が、ついさっき綺麗になったばかりの店内へ吐き出された。揺れる煙越しに睨んでも、彼女はどこ吹く風だった。
側にある真新しいリモコンを操作する。機械の駆動音と共に、天井の換気扇が煙をゆっくりと吸い込み始めた。
「こんなのあったっけ」
「吸う人が割といるので、たっかいやつ買いました」
「ほほー、儲けてんねえ」
にやにやした視線を背中に受けながら、バックヤードへと向かう。面倒だったので、昼に飲んでいたボトルのワインストッパーを外し、そのままグラスへ注ぐ。ピスタチオの小袋を皿に開け、そのままカウンターへと運んだ。
「お、気が利くねえ」
「それ飲んでもらったら、もう閉めるので」
「え、もう? まだ7時だよ」
「もう7時です」
片付けを進めながら軽口を叩く。いっそ、さっきの人にカウンターの裏手や、バックヤードの清掃も頼んでしまえばよかったと少しだけ後悔した。
****
意外にも、お酒を飲んでいるときの帯川さんは静かだ。こちらへちょっかいを掛けたりもしないし、表情はどこか愁いすら感じさせる。
「ねえ、メントスコーラって普通にもったいなくない?」
これで話す内容がしょうもなくなければ、もう少し丁寧に扱おうと思うのに。コーラよりも、その言動のほうがもったいなかった。
「まあ、そうですね」
当たり障りのない返事をする。
「だよなあ」
当たり障りのない返事が帰ってきた。
何だこの時間は。
「あの」
「うん?」
「片付け終わっちゃいました」
「お、手際が良いねえ」
にこにこと笑う彼女とは対照的に、自分の眉間にしわが寄るのを感じる。
「すみません、帰ってもらってもいいですか」
「おいおい、客に何てこと言うんだ」
「もう8時回っちゃってますから」
「今時の高校生でも、もうちょっと夜更かししてると思うけどなあ」
帯川さんは苦笑しながら、残ったピスタチオの殻をすべて剥き始める。剥き終わると、まとめて口に放り込む。そして何度か咀嚼したあと、残ったワインで情緒なく流し込んだ。
思わず目を細める。
「自分の前なんでいいですけど、他の料理人の前でしたら出禁になりそうですね」
「そういう店ではやらないよ」
「また社長さんにどやされますよ」
「あー……確かにボスはキレそうだなー」
バツの悪そうな顔を浮かべる。詳しくは知らないが、彼女がこうして働けているのは、今勤めている会社の社長に拾われたからだと言う。自由奔放な彼女も、社長の話が出ると、幾らか大人しくなるのが常だった。
空になったグラスを置き、思い切り伸びをする。パキパキと気味の良い音が鳴った。
「ふう、…帰るか」
「そうしてください」
「んー、あ、そうだ」
「何でしょう」
「今夜、空いてる?」
わざとらしい決め顔で言った。時計をちらと見る。もう30分が近づいていた。
「空いてないです」
「えぇ~つれないなあ」
「明日も朝早いんですよ」
嘘である。明日の予定は特に無い。しかし、この誘いに乗ると、深夜まで付き合わされるのは容易に想像がついた。
彼女は唇を突き出して子供っぽいブーイングをしたが、そそくさと店内の照明を落とし始めたのを見てか、それ以上は何も言わなかった。
彼女は立ち上がるともう一度、今度は寝起きの時のようにゆっくりと伸びをした。
「支払いは明日持って来させるよ、今日のワイン分も込みで」
「ピスタチオ代も払ってくださいね」
「うはは、こやつめ」
ひらひらと手を振り、扉を開ける背中を見送る。静まり返った空間には、換気扇の回る音だけが残った。
****
「よう、今空いてる?」
「はあ、空いてますが」
数日経ったある日、帯川さんがアポイントメントも取らずにやってきた。こんなことは初めてである。
彼女はいつもと同じようにカウンター席へ座る。なぜだか、少し雰囲気が違う気がした。
私は尋ねた。
「すみません、今日はそちらから仕事は受けていないはずですが…」
「ん?ああ、仕事じゃない仕事じゃない。プライベートで来てるんだ」
そう言って笑う。が、すぐ思い立ったように、あ、と声を出した。
「いやでも、工藤ちゃんには仕事してもらうことになるね」
「どういうことでしょう」
「あたしに飯作ってくれ」
「………はい?」
「ハンバーグがいいな、最近は食べてないから」
「……あー」
彼女の言っていることは理解できた。実際、そういう依頼が来ることは全くないわけではない。時には一般人からの依頼もある。
「理由を聞いても?」
私の料理を食べる。それはすなわち、死を意味する。一口食べただけで、5分と生きてはいられない。彼女の言葉は、自殺の意思表明と同義だった。
帯川さんはこちらの問いに、まるでコンビニでばったり出会った時のような気軽さで答えた。
「ボスが死んじゃってね。あたしも死のうかなって」
無意識に顔を顰める。話が繋がっていない。
「…なぜ社長さんが亡くられると帯川さんが?」
「いやあ、ふっるい約束がねえ」
帯川さんは顎を人差し指で掻きながら、天井を見上げる。反ったその表情だけは、いつも通りだった。
「拾ってもらったときにさ、あんたが死んだらあたしも死ぬよって言っちゃったんだよね」
「……それ、社長さんは覚えてるんですか?」
「さあ? 知らね」
「えぇ……」
今まで自殺を依頼してきた人たちは皆一様に人生を悲観していたが、こんな大雑把な人は見たこともない。加えてそれが知り合いともなれば、困惑は人一倍だった。
カウンターの上で腕を組み、こちらを見つめてくる姿は、とてもこれから死のうとする人の様子には見えなかった。
「まあそんな感じで、どうせなら工藤ちゃんの料理で死のうかなって。こんな時じゃないと食えないでしょ」
「そりゃあ、死ぬ人にしか出してませんし」
「そういうこと。てなわけで、ハンバーグ、頼むわ」
「畏まりました」
自分の料理を食べる以上、彼女は知人ではなく客である。厳かな気持ちで会釈をし、背を向ける。厨房へ進む際、後ろから聞こえ始めた彼女の鼻歌が、妙に頭に響いた。
****
「お待たせしました。ハンバーグになります」
「……こういうのって、なんかもっと名前とかあるもんじゃないの?」
「名前?」
「ほら、○○牛のハンバーグ、××ソースと共に、みたいな」
「あぁ、なるほど」
彼女の主張に納得する。その上でにっこりと微笑みかけた。
「聞きたいですか、食材」
「……やっぱいいや」
これから自殺するというのに、会話はいつも通りの雰囲気を保っている。しかし、皿を前にしても、帯川さんはすぐには手を付けず、こちらと他愛のないやり取りを続けた。
それから10分ほど経ち、短く話題が途切れたタイミングで、ふうううっと長い息を吐いた。
「よし、食うか」
フォークで抑え、ナイフで切る。そんな動作がゆっくりと行われ、ハンバーグが一口大に切り出される。ナイフでソースを纏わせ、見た目だけなら素晴らしくおいしそうな一口が出来上がった。
帯川さんは、もう一度長く息を吐いた。口に入れる準備は、整った。
「あの」
「ぅおう、……ちょっと、すごいタイミングで話しかけてくるじゃん」
「すみません」
取り乱すその姿は、今までで見たことの無いものだ。自分は少し面白く思いながら続けた。
「お支払いの方はどうされますか」
「……ああ、少ししたら部下が死体引き取りにくるから、そん時に請求してよ」
「分かりました」
「…ふう」
居住まいが正される。さっきよりも背筋が伸びていた。
薄く口が開かれる。
「あの」
「…今度はなにさ」
声に少し怒気が込められている。初めての事だった。
「すみません、今後の仕事の契約についてなんですけど」
「それ関しては部下にもう引き継ぎしました、自慢の部下なので今まで通りで問題ないです、これでいい?」
「そうですか、失礼しました」
「……はぁ」
彼女は焦燥しきった様子でこちらを睨む。それから、彼女はまた居住まいを正した。
「あの」
「……」
がっくりと頭が垂れる。今日は本当に普段見れない姿が見られる日である。
「すみません」
「勘弁してよほんと…」
「これで最後にしますから」
「あそ……それで、なに」
「…帯川さんには、昔からお世話になってます」
「はあ」
「思えばこの仕事を始めて、一番付き合いのある取引先はあなたかもしれません」
「………え、なに、もしかしてそういう感じ?」
「いえ、そういうのではないです」
「ないのかよ」
帯川さんは溜息を吐き出し、顔を顰める。その表情はなにかを懇願しているようにも見えた。
「あのさ、もうバレてると思うから言うけどさ、あたし割とビビってるよ? 水差して遊ぶのやめてよ」
「すみません」
「認めちゃうんだ……。まあいいや、それで?」
促され、間を置いてから息を吐く。顎を小さく出して吐き出した息は、前髪を少しだけ持ち上げた。
「帯川さんはもう長い付き合いになりますので、一応伝えておこうかと」
「何を」
「自分の料理についてです」
「料理?」
「あの、自分の料理は不味いんです」
「…不味いってそりゃあ、毒かなんか入ってんだから、旨くはないでしょ」
「いや、毒は入っていないんです」
「はあ?」
そういう仕事をしている人の凄み方をされる。少し怖い。
「じゃあなんで食ったら死ぬのよ」
「不味いからです」
帯川さんは剣呑な表情でこちらを見る。理解不能の文字が、顔に浮かんでいるようだった。
「だから、不味いんです。企業秘密だのなんだの言ってきましたけど、本当はただただ不味いんです」
「いや不味いのは分かったから、なんでそれで死ぬのかって話を」
「ですから、不味くて死ぬんです」
視線が一度天井を向き、それがゆっくりと目の前の皿に落ちた後、再びこちらを見る。どうやら、私の言いたいことは伝わったらしい。
「……食べたら不味すぎて死ぬってこと?」
「そういうことになります」
彼女はこちらを呆然と見つめた後、右手で眉根を揉み、頭を擡げる。少し申し訳ない気持ちに包まれた。
「んな馬鹿な」
「それは自分も昔から思ってます。でも事実です。今まで自分は、この料理たちで仕事をしてきました」
「……死ぬほど不味いの?」
「死ぬほど不味いみたいです」
彼女は左の肘をカウンターに立て、フォークの先のきらめく肉塊をゆっくりと回転させた。そして、顔に当てられた指先の透き間からそれを見つめ、んんんんと唸った。
「そんなことある?」
「残念ながら」
「……死体調べても何も出てこないのは、技術とかそういうので隠してるわけじゃないのかよ」
彼女に言った通り、自分の料理には一般的な食材しか使われていない。厨房には危険な薬物、毒物などは置いていないし、同時に摂取することでそういった物に変化する、といったような組み合わせの物もない。
自分が料理をすると、何を作ってもひたすらに不味くなる。ただ、それだけのことである。
「せっかく最後の晩餐に選んでもらったところを申し訳ないんですが、口が死ぬほど不味い状態で死ぬのってちょっと、やじゃないですか?」
「まあ…、それはそう」
「それに、自分の料理で死ぬと、死因が『食べた料理が不味すぎて死んだ』ってことになるので、それも気分は良くないかと」
「ううん、んん」
顔を挙げて右手で頬杖を突く。肉から視線を外さないまま、口を尖らせた。
「さっき食材でどうの言ってたのは?」
「食材は至って健全なものですよ。名前はシンプルに用意出来てなかっただけです」
「なんだそりゃ」
小さく笑った。今日の会話の中で、初めての自然なものだった。彼女は一度背もたれに体を預け、跳ね返るようにすぐ前のめりになった。
「どうするかなー、予定、狂っちゃうわ」
「すみません」
「これもちゃんと不味いの?」
「味見してないので分からないですけど、まあたぶん」
えぇ…、と小さく苦笑したのを最後に、店内は沈黙に包まれる。帯川さんは視線を切り分けたハンバーグの皿に向け、フォークを持ったままの左手の甲に顎を乗せた。そして顔から離した右手の指で、トツトツとテーブルを叩き初めた。その音は時計の秒針と合わさり、静かな室内にリズム良く響いた。
自分は息を吐いた。乾いた喉は、唾を飲み込むとちくり、少し痛みを感じた。
「帯川さん」
「んー?」
すっかりいつもの調子に戻ってしまった帯川さんに、わざとおどけた調子で言う。
「……今夜、空いてますか?」
秒針の音が一人ぼっちになると、顔を持ち上げた彼女の真ん丸な目と視線がぶつかる。少しの間の後、フォークを皿に置く音がゆっくり鳴った。反射的に目をそらす。見えていないのに、彼女の口角が吊り上がっていくのが、なぜだかはっきりと分かった。
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