第45話 不気味な顔

 映画研究部で撮影を行った翌日。校舎の時計は十二時半を回り、中庭では生徒たちが雑談やバレーボールで遊ぶなどして思い思いに過ごしていた。食事を済ませた僕は昼休みの残りを明彦と駄弁りながら過ごすべく、校舎の片隅で日向ぼっこをしていたところである。


「へえ。それで、昨日は日野崎と一緒に何の得にもならん映画撮影を手伝わされる羽目になったわけか」と明彦がとぼけたように呟く。話題に上っていたのは、昨日の映画研究部の撮影の話だ。


「他人事みたいに言ってくれるなあ。元はといえば明彦が日野崎の頼みを僕に振ったからやる羽目になったんだぞ」


「いやあ、すまんすまん」と明彦は申し訳なさをまるで感じないトーンで謝ると「なんせ俺、小菅の奴が好きじゃないから」とズバッと言ってのけた。


「なるほど。映画好きの明彦が何で引き受けないんだろうとは思っていたけど。映画研究部に小菅が所属しているって知っていたのか」

「ああ。いや、俺も一年の時にどこか部活に入ろうかと思っていた。それで最初に見学に行ったのが映画研究部だったんだ。……だが、そこで小菅の奴と出会ってなあ」


 明彦はここで不愉快そうに眉を吊り上げた。


「あまり良い思い出じゃあなさそうだね」

「まさにその通りだ。俺も折角だから同好の士として仲良くしてやろうかと思って、映画の話で盛り上げようかと好きな映画の話を振ったんだよ。そうしたらあの野郎『自分はジャンルにこだわらない。大抵の映画は知っている』みたいに気取ったことを返してきてだな」

「それで?」

「俺が当時好きだったアクション映画の名前を上げたら『いかにも『自称映画通』が好みそうな作品だ』『あんな映画のどこが面白かったのかわからない』とか目いっぱいけなしてきやがった。普通言うか? そういうこと」


 僕の中の小菅のイメージを思い出す限り、いかにもありそうな話だ。


「あえて肯定的に言うなら、周りに迎合しないで正直に自分の見解を言う人間ということなのかもしれないな」

「あるいはな。だが俺からしたら遠くから見ているならともかく、身のまわりにいてほしい人種じゃねえよ。こいつと関わるくらいなら帰宅部の方がまだましだと思ったわけだ」

「気持ちはわかるけど。……僕も昨日は散々な言われようだったし」


 僕は昨日の話を詳しく明彦に聞かせようと口を開きかけた、その時だった。


「月ノ下さん。ちょっと良いですか」

「あれ、君は……」


 唐突に僕に声をかけてきたのは映画研究部の竹ノ塚さんだった。ただその表情は昨日と打って変わってどこか固い印象があった。しかも後ろには日野崎も立っている。


「二人そろってどうかしたのか?」

「実は、昨日撮影した動画のことでちょっと問題があったらしいんだ」と日野崎が暗い表情で切り出す。何かあったのだろうか。

「あの、ですね。お二人を撮影したシーンに変なものが映っていたんです」

「変なもの……。よくわからないけど、もう一度撮り直しってこと?」

「いえ。そうなるのかはわかりませんが、とにかく一緒に観てもらえませんか?」


 竹ノ塚さんの漠然とした説明に僕は少し反応に困ったが、ここでこれ以上聞き出そうとしても埒が明かない。


「わかった。観てみよう。……明彦は」


 どうするのか、と訊こうとしたが言い終わる前に彼は「よくわからんが面白そうだな」と持ち前の野次馬根性を遺憾なく発揮して立ち上がった。彼らしいと言えば彼らしい。





 映画研究部の部室は作業教室棟にあるのだが、その割り当ては二部屋ある。といっても元々「一つの教室」だった部屋を間仕切りで仕切って「二部屋」としているようだ。ちなみにこれはこの建物特有の間取りで他にも同じ形になっている部屋をこの校舎内で見た記憶がある。


 部屋の一つは撮影機材や大道具小道具などが保管された「機材室」だ。動画の編集などもそこで行っているらしい。そしてもう一つがすぐ隣の「上映室」である。こちらは映画を観賞するための場所のようで、TVとDVDプレーヤーが設置されてその前に椅子もいくつか並べられている。


 僕らが足を踏み入れたのは上映室の方だ。長年使われているせいなのか壁に薄汚れた染みがところどころに見受けられる。また部屋の隅には掃除用具が入っているらしい金属製のロッカーがある。


 部屋の中に入ると細目で丸顔のおっとりした雰囲気の一年生が待ちかまえていた。昨日見かけた部員の一人だ。確か梅島といったか。


「た、竹ノ塚先輩。もう一度見るんですかあ?」


 梅島さんはどこか間延びした声で、しかし不安そうに自分の部活の先輩に尋ねる。


「ええ、見間違いかもしれないし。そうじゃないにしてもいろんな人の目で見て確認したほうがいいでしょう」


 言いながら竹ノ塚さんは部屋の棚に置かれていたカメラをとりだして、TVにケーブルで繋ぐと部屋の電灯を暗くした。


「……それじゃあ、動画を出力しますね」


 上映室の椅子に着席した僕らは無言で頷いて、画面に目を向ける。


 数秒の間をおいて黒い液晶に動画が流れ始めた。夕暮れのほのかな赤い光がいびつな木々のシルエットを作り出している。映し出されたのは、昨夜の作業教室棟の裏手にある雑木林だ。


 数秒ほど薄暗い木々の風景が流れた後でカップルという設定で並んで歩く僕と日野崎が映し出される。林の入り口から入ってくる僕らを離れた場所から正面にとらえている。いわゆる奥行きを意識した構図だ。


『へえ。静かで雰囲気があるな』と一日前の僕が画面の中で口を開く。


 それにしても自分の声と姿を客観的に見せられるのは、なんとも変な気分だ。


 人間は自分の顔を鏡で見ているときには無意識に表情を作っているし、声も自分で発しているものは相手に聞こえているより高く聞こえるという。自分では自然に演技していたつもりだが「僕は普段こんな姿を周りに見せているのか」となんだか恥ずかしさが襲ってくる。


 こういう照れくささや自意識を乗り越えた人間が映画俳優や芸能人になれるのだろうか。


 そんな内心をよそに『でも、ここって幽霊が出るって噂よね。……私、怖い』と日野崎が素のままより若干おしとやかな仕草で演技をする場面になる。カメラも切り替わり僕と日野崎のバストアップで会話を映すシーンである。


 この後は僕が彼女のセリフに気取ったセリフを返すはずだ。


『大丈夫さ。君には僕が付いているだろ。何かあれば守ってあげるから』


 ここで構図が歩いている僕らを横からとらえたものになる。この後で怪物に扮した少年たちが現れるはずだったが、唐突に画面が止まる。


 竹ノ塚さんがリモコンの一時停止ボタンを押したのだ。


「……ここです」と彼女は静かに呟く。


「どこだって?」


「何かおかしいものでも……おい、あれは何だ?」と横に座っていた明彦が訝しげに画面の一点を指さした。それは移動していることを強調するために歩く僕らがカメラの前を通り過ぎるワンシーンなのだが、たまたま作業教室棟の一角がカメラの端に映っていた。


 彼が指さしたのはその作業教室棟の窓である。そこには確かに人の顔が存在していた。輪郭ははっきりしないが目鼻があるのが確認できる。部屋の中は暗闇だが夕日がかすかに差し込んで、そこに不気味な顔が浮かび上がっているのだ。ふとそこで日野崎が何かに気づいたように声を漏らした。


「ねえ。あの場所って」


「はい。……うちの機材室です」と竹ノ塚さんが答えた。


 僕と日野崎は思わず右側の壁に目を向けた。いや、正しくはその壁の向こうにある機材室に意識を向けていた。


 数秒間ほど沈黙がおりる。先ほどまでは何の変哲もなかった校内の一室が急に怪しげな空気を帯びているかのように感じられてきた。僕はその雰囲気を無理にでも変えたくて口を開く。


「あの、さ。この撮影をしていた時に映画研究部員の誰かが入り込んでいたってことはないのかな?」

「いえ。うちの部員は一年生を含めても六名です。そしてこの時は間違いなく全員撮影のために外にいました」


 竹ノ塚さんが首を振りながら答えた。


「鍵が開いていて、他の誰かが入り込んでいたんじゃあないの?」


 日野崎が顔を青ざめさせながら尋ねるが、これには梅島さんが「私が最後に部室を出ましたけど、その時は鍵をかけていきました。うちの部活は高価な備品もありますし、誰かにいたずらされて壊されたら困るので」と否定で返す。鍵がかかっていて、部員も全員外にいた。ではあの窓ガラスの向こうに見える顔は何だったのか。


「ちょっとこの画面、念のため写真に撮っても良いかな」


 携帯電話を取り出しながら僕が尋ねると、竹ノ塚さんは「どうぞ」と小さく頷いた。窓の中に見えている輪郭が大きめの不気味な顔をカメラアプリで撮影する。


「窓の位置がわかるように少し前の場面も撮りたいんだけど」


 竹ノ塚さんは「わかりました」とリモコンを操作して場面を戻す。しかしその時、薄暗い部室内を映す携帯の画面に小さく光が走った。びくりとして思わず僕は呟く。


「今、何か光ったか?」

「うん? ……何も見えなかったぞ?」と明彦が否定する。


「おかしいな。竹ノ塚さんの手元辺りで確かに」

「ああ。……リモコンの赤外線ですよ。赤外線は肉眼では見えないですが、デジタルカメラの感度でなら映りますから」

「あ。なるほど」


 それで他人の目には見えないリモコンの光が、携帯電話のカメラで覗いていた僕にだけ見えたのか。自分が関わった映画で変なことが起きたので神経質になっていたようだ。


 ホッとしながら僕は顔が映っていたシーンの数秒前の静止画面を撮影する。


「うーん、位置からすると機材室の左よりの窓のあたりかな」


 画面を見て位置を確認していると、横で明彦が「……実際に入って確かめてみるか」と呟きながら立ち上がった。


「え、でも」


 彼の隣に座っていた日野崎が少し怯えた顔で見上げる。


「なに、きっと中を見てみたら人の顔が映ったポスターが貼ってあったってオチかもしれないぜ?」


 窓の外に向けてポスターを貼るのは考えにくい気もするが、人の顔に見える何かがあっただけという可能性はあるかもしれない。


「……そう言われればそうだな」と僕も同意した。


「わかりました。……じゃあ機材室に入ってみましょうか」


 竹ノ塚さんはそう頷くと廊下に出る。僕らも続いて出入り口から足を踏み出すと、顔の正体を確かめるべく隣にある機材室の扉の前まで移動したのだった。




 鍵をポケットから取り出した竹ノ塚さんが「行きますよ」と開錠して扉を開く。その中は聞いていた通り、映像編集用の機材のほか棚に大道具や小道具が雑多に詰め込まれている乱雑な空間だった。


 中央にはテーブルがあり、壁際の机にはパソコンとディスプレイ。その横には照明や反射板、三脚などが立てかけられている。反対側の本棚には映画製作の資料本が収納されていた。一方、窓側には小道具が並べられた大机と鏡張りの壁で区切られた着替え場所と思しき小部屋がある。


 しかし。


「顔が映っていたのはあの窓のところだったよねえ」と日野崎が僕の隣で首をひねる。

「……何もないな」と明彦が不思議そうに呟いた。


 そう、顔が見えたあたりには小道具置き場と着替え室があるだけで人の顔に見えそうなものはなかったのだ。明彦が言っていたような人の顔が映されたポスターなども窓から見えそうな位置には貼られていない。


「もう少し調べてみようか」


 僕が窓際に近づこうとしたその時。


「昼休みにうちの部室で何やってんだよ、お前ら」


 柄の悪いどら声が止めに入った。気が付くと、ぎょろ目で威圧的な風貌の少年が廊下側の扉から顔をのぞかせていた。小菅である。どうやら偶然通りがかったところに部外者である僕らが部室にいたので、とがめようとしているようだ。


「ぶ、部長。実は編集前に昨日の撮影をチェックしていたら妙なものが映っていて……」


 責められそうな雰囲気になりかけていたところで、竹ノ塚さんが先手を打って弁解してくれる。


「妙なもの? 何だ?」

「顔が……映っていたんです」


 彼女はパタパタと上映室の前まで戻ると、入り口からさっきの停止した画像を指さして、正体不明の顔が映っていることを彼に簡単に説明した。僕らも一応彼女について廊下に出る。


 だが上映室の映像をちらりと見た小菅は「ハン」と鼻を鳴らして「下らねえ。単に光がガラスの向こうの何かにあたってそう見えただけだろう」と一蹴した。


 不可解な現象が些末な偶然として片付けられそうな雰囲気になったところで、梅島さんが怯えた表情で割って入る。


「だ、だけど。昔からいうじゃないですかぁ。ホラー映画とかの撮影で不審な事故とかけが人が出ることがあるって。そういうときにはスタッフ全員がお祓いとかしたって言いますよ? 今回の話だって、面白半分に心霊スポットに入ったら恐ろしいことになる話ですし。こういうものが映ったってことは何か祟られているんじゃないですか?」

「そんなもん信じているのか。つまらんことを気にする暇があるなら、作品の質を上げることを考えろよな。……おや、何でこんなところに雲仙がいるんだ?」


 小菅はここで初めて一緒に廊下に出てきた明彦の存在に気が付いたようで、目障りなものを見たかのように表情を歪めた。明彦も顔を会わせたくなかったのは同様だったのだろう。肩をすくめてその詰問に応える。


「よお。別にお前に用があったわけじゃねえよ。……ただ、真守が映画研究部の撮影に協力したら変なものが映っていたっていうんでな。ちょっと気になっただけだ」

「へえ、そうか。だが、お前の映画趣味をうちの部員たちに押し付けんなよ? ……おい、みんな。こいつの観ていた映画ってのがなあ。音楽も演出も古臭いうえに、無駄に暴力的なシーンが多いだけの低俗な映画なんだぜ? つまらないセンスが伝染したらやばいからこいつには近寄るなよ?」

「ああ、そうかい。こっちもお前には近づきたくはないんだがな。……それはそれとして、機材室をもう少し調べさせてもらうぜ。映っていた顔がなんなのか、はっきりさせた方が良いだろう」


 明彦は僕らを見やって、再度機材室に入ろうとした。しかし小菅が腕を伸ばして彼の行動を遮る。


「お前はそもそも部員でもなければ撮影にも関係してないだろ。勝手に入って備品を壊されでもしたら洒落にならん。早く出て行けよ」


 続けて彼は明彦に向かって出ていくように顎をしゃくる。そして後輩部員たちに対しても威圧的ににらみながら言葉をつづけた。


「……お前らもだ。つまらないことを気にする前に自分のセンスを磨け。今日は残りの撮影があるからな。変な詮索はやめろ。良いな?」


 その様子に明彦は舌打ちをすると「わかった。……行こうぜ。真守」と出口へ足を向けた。どうやら、機材室に入り込む雰囲気でもなくなってしまったようだ。僕と日野崎も彼に続いて廊下に出ることにしたのだった。




 作業教室棟を出ると昼休みは残り五分程度になっていた。どのみち機材室をゆっくり調べる時間はなかったかもしれない。僕らは自分の教室に向かいながらも何ともすっきりしない気分で言葉を交わす。


「久々にあいつと話をしたが、まるで変わってねえな。いや、本当に関わりたくないぜ」


 明彦は不機嫌そうに毒づいていた。彼の気持ちもわかろうというものだ。僕だって横で聞いていて自分目線の意見を押し付けて人を悪し様に罵る様子に気分が悪くなった。


「それにしても、結局あの顔の正体はなんだったんだろうね」と日野崎が浮かない顔で疑問を口にする。


「そうだなあ。作業教室棟の裏手の窓を今からでも確認したいところだけど、ちょっと今はその暇が無さそうだな。竹ノ塚さんたちは部活の時に入る機会もあるだろうし、彼女に後で聞けば正体もわかるんじゃないか?」


「かもしれないね」と彼女は僕の言葉に相槌を打った。


「そういえば、今日も撮影があるのか」


 僕の言葉に日野崎が応える。


「ああ。大体のシーンは撮り終えて、後はクライマックスだけだって竹ノ塚さんが言っていたね。……さっきの雰囲気じゃ小菅がまた横から指導するんだろうけど」


 その言葉に明彦が「ほーお」と面白くなさそうに声を漏らした。


「あいつのことだからなあ。何かにつけてマウントを取って悦に入っているんだろうな」


 その言葉に僕と日野崎は「はは……」と小さく笑って同意した。独断と偏見から来る決めつけではあるが、実際そうなのだろうと思わせるだけのふるまいが小菅にあるのは確かだ。僕がそんな風に心の中で呟いたところで、明彦が「おっと、そういや午後からは体育じゃなかったか?」と顔を向ける。


「そういえば、そうだね。早く行って着替えなきゃ」

「ああ。急ごうか」

 日野崎と僕も相槌を打って、小走りに校舎へ向かったのだった。

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