第44話 映画研究部の依頼

 それは三日ほど前の放課後のことだ。三年生に進級して一か月になろうかとしていたある日の夕方、僕は渡り廊下を歩いていた。


 その日は実習棟の掃除当番だったので、家庭科室の掃除を済ませたところだった。あとはゴミを集積所において帰るだけだったのだが、戻ってくると一緒に当番をしていたはずのわが悪友こと雲仙明彦は先に教室に帰ったようで姿を消していた。


 何も言わずにいなくなるなんて薄情だな、と心中でぼやきながらも僕もとりあえずカバンを取りに行くために本校舎の教室へ足を向ける。しかし、実習棟の出入り口にさしかかったちょうどその時。


「あ。いたいた」


 張りのある声が響いて、校舎の入り口からすらりとしたモデル体型の少女が姿を現した。セーラー服を身にまとい、髪型は古風に後ろで結い上げている。明朗快活にして愛すべき女友達の日野崎勇美だった。


「やあ。日野崎」

「いやあ、探していたんだ。雲仙に月ノ下がどこにいるのか訊いたら、実習棟の方にいるっていうからさ」

「……ということは僕に用があるのか」

「うん。実はちょっと頼みごとがあって」

「日野崎先輩。その方が相手役を引き受けてくれるってことですね?」


 彼女の背後からもう一人の人物が姿を現す。髪の色素が薄いのか、茶色がかった髪を首筋まで伸ばした人懐こい雰囲気の少女だ。僕がどういう状況なのか理解できず、物問いたげに見つめ返すと日野崎は頭を掻きながら口を開く。


「紹介するね。この子は二年B組の竹ノ塚由紀たけのつかゆきさん。映画研究部に所属しているんだって」

「映画研究部?」

「はい。実は今度、うちの部で短編映画を撮影することになったんです。しかし部員が少なくて役者も足りない状態なんですよ。そこで前に文化祭で演劇をしていた日野崎さんのことを思い出しまして……」


 日野崎が所属しているのは女子サッカー部なのだが、以前演劇部に頼まれて文化祭の劇に出演したことがある。竹ノ塚さんもその時に演技をしている日野崎の姿が印象に残っていたので、何とか自分たちの部活にも協力してもらえないかと相談しに来たそうだ。


「まあ『演劇部には協力していたのに、うちにはしてくれないのか』って泣きつかれちゃってね」

「つまり日野崎に映画研究部の作品に出演してくれないかって頼んできたわけだ」

「出演っていっても、エキストラみたいなものでセリフも二つか三つくらいなんだって。ただね。……カップルという設定みたいで相手役の男も要るんだよ」


 日野崎が答えながら、僕の方を改めて見つめてくる。……相手役の男?


「まさか、僕にそれをやれというんじゃないだろうな」

「うん。駄目?」

「あのな。僕に演技なんてできるわけがないだろう? どういう人選だ」

「あたし、彼氏とかいないもの。だったらせめて親しい男子に相手役をしてもらった方が自然な演技ができるかと思って」

「そういうことなら明彦はどうなんだよ。あいつは映画好きだし背も高いから、僕よりは適役だろう」


 そう。明彦は面白そうなことといえば首を突っ込みたがる、お調子者なところがある。しかも重度の映画ファンで、何十年も前の名作映画を日頃から視聴するくらいだ。もっともジャンルはアクションやSFなどに偏っているが。とにかく、彼なら映画の出演なんて喜んでやりたがるはずだ。


「それがさあ。雲仙に話を持ち掛けたら『あまり気が乗らない』『真守に頼んだらどうだ』って断られちゃって」

「……そうだったのか」


 意外な反応だな。なにか他に用事でもあったのだろうか。


「ね? そういうわけで月ノ下にも協力してほしいんだけど、どうかな? セリフも少しだけでほんの数十秒程度のシーンみたいだから」


 彼女は畳みかけるように頼み込みながら、顔の前で手を合わせる仕草をする。隣の竹ノ塚さんも「多分、一日か二日で済むと思いますので時間をいただけませんか」と頭を下げた。


 僕とて暇を持て余しているわけではなく、週の半分以上は星原との勉強会や予備校などもある。しかしほんの数十秒のシーンというのなら時間はかかるまい。


「わかった。僕で良ければ協力するよ」


「本当? ありがとう」と日野崎が顔をほころばせる。


「すみませんね。それでは明日の放課後に作業教室棟の映画研究部室に来てください。よろしくお願いします」


 改めてお願いをする竹ノ塚さんに僕は「そんなにかしこまらなくても良いよ」と頷き返した。しかしこの時の僕は後に軽い気持ちで引き受けたことを後悔する羽目になろうとは思いもしなかったのである。






「おい、何だあ? そのやる気のない演技は!」


 制服のブレザーを肩につっかけた男子生徒が僕らに罵声を浴びせる。


 太い眉毛にぎょろりとした目。ぼさぼさと言うほどではないが、首から耳にかかるくらいまで無造作に伸ばした髪。この癖のある容貌の少年は小菅悟志こすげさとしという。僕らと同学年ではあるものの、あまり話したことはなかった。雰囲気からして温厚そうな人間には見えないとは思っていたが、残念ながらその予想を裏切らない性格の持ち主だったようだ。


 竹ノ塚さんに出演を頼まれた日の翌日。僕と日野崎は、映画研究部の部員たちとともに作業教室棟の裏手にある雑木林に入り込んで短編映画のワンシーンを撮影していた。


 しかし撮影を始めて三十分。部長である小菅が何かと文句をつけて、何度も撮影を中止する羽目になっていたのだ。


「いや、一応真剣にやっているんだけど……」と弁解する僕に彼は「一丁前の口は結果を出してから言えよ。馬鹿が」と舌打ち交じりに吐き捨てた。気まずい空気になりかけたところで髪をサイドに流した面長な顔をした男子が割って入る。「まあまあ、小菅ちゃん。そんな熱くなっちゃダメだって!」と笑顔でとりなすと「じゃあ一年生たち! もう一度準備して」と号令をかけた。


 彼は青井高雄あおいたかおといって小菅と同じ映画研究部員である。顔と名前が一致する程度の関係だが、確か僕らと同じ学年でクラスは三年C組だったはずだ。察するに部長の小菅がワンマンで高圧的でも部が回るのは青井が潤滑油になっているからかもしれない。


 彼の指示で他の映画部員たちも無表情で「はい。それじゃあ撮り直しですね」と再度撮影の準備を始める。


 時間帯は夕暮れになる少し前といったところだろうか。広葉樹がまばらに生えた林に赤い西日が差し込んでいる。そしてその中を機材やレフ板を構えた部員たちが動き回っていた。竹ノ塚さんが僕と日野崎に近づいてきて「すいません。うちの部長、こだわりが強くて……」とまたも頭を下げてくる。罵られて気分が悪いのはその通りだが、別に彼女のせいではないので僕は小さく首を横に振った。


「いいや、協力すると言ったからにはできる限りのことはするべきだし。気にしなくていいよ」


 隣の日野崎も少し疲れたように肩をすくめて口を開く。


「でもさあ。今回は『下級生たちだけ』で一つの作品を作るのが目標だって、あたし竹ノ塚さんから最初に聞いたんだけど。……あの小菅って三年生だよね。何かにつけて口を出してくるのは何なのかな?」

「はい。そのはずなんですけどね。何と言って良いか。自分の価値観を押し付けてくる人でして。一応、監督は私ということになっているんですが。自分が間違っている、駄目だと感じていることは皆もそう思っていると疑わないんですよ……」


 彼女は困ったような表情でため息をついた。


 ちなみに撮影している映画の内容は少しひねった内容のホラー短編である。


 粗筋としてはこうだ。ある学校の裏手には心霊スポットと噂される山林があり、そこに面白半分で心霊動画を撮影しようと何人かの少年たちが入り込む。しかし歩き回っても何も起きないので少年の一人が面白半分に「ホラーマスクをかぶってここに来た他の生徒を驚かしてやろう」と言い出す。彼らは他の生徒が通りかかったところを物陰から現れて追い回し、驚いて逃げるところを撮影する。しかしあるきっかけで彼らの一人がはぐれた後で死体で見つかり、山道の奥へ迷い込んだ他の少年も一人ずつ何者かの犠牲になっていく。そして最後に、実は覆面をかぶった快楽殺人犯が逃走して山林に逃げ込んでいたことがニュースで報道されるという結末だ。


 僕も撮影済みのシーンは参考に見せてもらっていた。細かい演出としては少年の一人が覆面をかぶってからは言葉を発さず凶器の鉈を手にしているのだが、実はそれが途中から本物の殺人犯と入れ替わっている伏線になっているところだろうか。


 僕と日野崎の役どころは、序盤で何も知らずに山林に入り込んで少年たちに驚かされて逃げ回るカップルという設定である。


 セリフにしても日野崎の言ったとおり、ほんの数行程度だ。「ここって幽霊が出るって噂よね」と怯える日野崎に僕が「大丈夫さ。君には僕が付いているだろ」と空威張りする。しかしそこで覆面をかぶった少年たちが現れて僕たちは悲鳴をあげて先を争うように逃げ出す。


 ただ、これだけだ。シーンとしての時間は一分もない。しかし、その一分足らずのシーンを撮影するのに僕らと映画研究部員は苦戦を強いられていた。


 原因としては僕が撮影の雰囲気に慣れず、セリフが緊張して棒読みになっていたことである。とはいえそれもしばらくすれば慣れてきて次第に自然な発声ができるようになったのだが、今度は別の問題が発生した。


 最初のうちは薄暗い木陰から襲いかかる怪物の姿に驚くことができたのだが、何度も繰り返すうちにタイミングが予想出来てしまうようになった。つまり驚きかたが不自然になってきてしまったのだ。次こそは成功させて、この無駄に疲れる時間を終わらせたいものだが。


 そんなことを心の中で呟いていると「三、二、一、はいスタート!」と監督の竹ノ塚さんが声をかけた。既に七回目くらいになるはずだが、僕と日野崎は再度腕を組んで「心霊スポットがあると聞いて、面白半分に入り込んだカップル」という体で歩き始める。


「へえ。静かで雰囲気があるな」と僕が切り出す。

「でも、ここって幽霊が出るって噂よね」


 日野崎が決められたセリフを言いながら、怯えた仕草で僕に身を寄せる。


「大丈夫さ。君には僕が付いているだろ。何かあれば守ってあげるから」

「本当? ……素敵」


 僕自身も口に出していてどうなのかというセンスのセリフだが、ここで「ぐわあああ!」と奇声を上げながら不気味な扮装の少年たちが現れた。それを見て僕が「うわああ!」と叫び、日野崎も「キャーッ!」と悲鳴をあげる。


 しかし、ここで「駄目だ、駄目だ!」とまたも小菅が異議を申し立てて撮影を中止させた。彼は見ていられないというかのように頭を抱えながら僕らに歩み寄る。


「何なんだ? そのタイミングは。目撃してから声を出す反応が遅くて『ああ、驚かないといけないや』という雰囲気だぞ。これじゃあまるで『化け物じゃなく覆面をかぶった人間が出てくるのがわかっていて、演技で驚いていてみせている』みたいじゃないか」


 まさにその通りなんだから仕方ない。こんなことを言えばさらに不興を買うかもしれないが、僕は正直に演技が上手くいかない理由を打ち明けることにした。


「ええと。最初はその怪物の扮装も結構迫力があって、急で現れるだけでびっくりすることができたんだ。でもだんだん見慣れてくると驚けなくなって……」


 意外にも小菅は僕の言葉にふんふんと納得したように耳を傾けてくれた。


「ほほう。なるほど自然に驚けなくなったわけか。よしわかった。それじゃあ驚けるようにするから、少し待っていろ。……おい。梅島うめしま谷塚たにづか。例の奴を準備しろ」


 彼は一年生部員たちを呼んで何やら指示を始めた。その様子に僕と日野崎は思わず顔を見合わせる。


「いったい何をするんだろう」

「さあ。本物の怪物を連れてくるわけでもあるまいし」


 小菅に指示された一年生たちは「ええ?」「あれをやるんですか?」と面倒そうな顔をしながらどこかへ姿を消した。その後で小菅がパンパンと手をたたいて「よし。もう一度撮り直しだ。監督、再開だ」と竹ノ塚さんに呼びかける。彼女は「……はあ」とどこか呆れたような顔で今日何度目かになるカメラ撮影の準備を始めた。


「それじゃあ、行きますよ。三、二、一、はいスタート!」


 合図がかけられたところで、僕と日野崎は改めて演技をやり直す。先ほどと同じように鬱蒼とした林の中を二人でセリフを言いながら歩き出した。


「でも、ここって幽霊が出るって噂よね。……私、怖い」

「大丈夫さ。君には僕が付いているだろ。何かあれば守ってあげるから」


 そんな風に決められたセリフを僕が発していると、数メートル先にある校舎沿いに建てられた廃屋のセットに照明が当てられる。だが、その照明は一瞬点滅したのちにすぐ消えた。


 前回までは無かった演出だが何だろう?


「本当? ……素敵」


 疑問が頭をかすめる僕をよそに日野崎が甘い声で僕に寄り添う。しかし僕らが廃屋のセットの前まで歩いてきたその瞬間。


「グワーッ!」


 セットの壁が崩れ去り、その向こうから顔から血を垂れ流したゾンビが奇声を上げながら襲い掛かる。さらに驚いて立ちすくむ僕らの前にごろりと何かが転がった。

 目を向けると、それは白目をむいた恨めし気な表情をした人間の生首である。


「ギャーッ!」と日野崎が本気で悲鳴を上げた。「うわっ!」と僕も思わず驚愕して後ずさる。


「置いてかないでえ!」


 モデル体型で顔立ちも整った同級生女子から抱きつかれれば、普通の男子ならば多少なりとも意識するものがあるだろう。だが問題は僕よりも背の高い彼女が首を絞めあげんばかりの勢いで抱きついているということだ。それも恐怖に歪んで目を見開いた表情なのでロマンチックな雰囲気など欠片もない。


「は……はなせ!」

「やだぁ!」


 僕は呼吸困難でもがきながら、日野崎の腕を引きはがそうと彼女に必死に呼びかける。


「……ひ、日野崎。いいから落ち着いてくれ。こ、これ、作り物だ」

「え?」


 そう。転がっていたのはマネキンの頭にホラーメイクを施したものだった。ゾンビたちもおそらく役者の部員たちだろう。


「カット!」

「……ようし、良いだろう。後はこれをさっきのシーンと編集すれば使えそうだな」


 竹ノ塚さんが撮影を止めて、横で見ていた小菅が満足そうに頷く。梅島と呼ばれていた細目で丸顔の一年生の女子部員が「もう、急に準備させないでくださいよお。メイクを変えて小道具準備するのも大変なんですから」と小菅に不満を漏らす。


「はっはっは。だがおかげで上手くいっただろう」


 彼は胸を張りながらのしのしと僕らの方へ歩いてきた。


「いやあ、おかげで良い表情が取れたなあ」


 悪びれずに言い放つ彼に僕は思わず鼻白む。


「そりゃあ、そうだろうとも」


 日野崎は本気で怖がっていただろうし、僕は彼女に首を絞められて真面目に死の恐怖を感じていたのだから。


 僕は崩れた壁を見下ろす。一見すると普通の壁だったが、良く観察するとスポンジか何かで出来たレンガを接着して作られたものだ。おそらく裏側の木板も切れ込みが入っていて「壊そうと思えば壊せるように作られていた壁だった」ということだろう。


 小菅に向きなおって改めて尋ねる。


「……さっきの点滅した照明は壁を壊す合図だったのか」

「まあな。演出用の壁として作られたものだが、役者が間違えて他のセットを壊さないように、仕掛けをしたところにああいう風にライトをチカチカさせて当てることにしているわけだ。普通とは違う所から登場させれば本気で驚くと思ってな」


「もう少し他のやり方はなかったのか? ちょっとやりすぎだろ」と僕は日野崎を見やる。彼女は魂が抜けたように茫然自失としてその場にへたりこんでいた。僕の怒気がこもった物言いに彼は「まあ、怒るな怒るな」と軽い調子でとりなそうとする。


「こんなエピソードを知っているか? かの有名な黒澤明監督は迫力のあるシーンを取るために三船敏郎に向かって本物の弓矢で射掛けたんだ。良いシーンを取るためにはこういう演出も必要だってことだ」

「ほほう」


 その逸話なら僕も聞いたことがあるが、その後で三船敏郎は「殺す気か!」と本気で怒って黒澤監督の家まで文句を言いに行ったんじゃなかったか。


 だが、これで一応撮影そのものは終了したのだ。


「日野崎。終わったみたいだし、帰ろう」

「……うん」


 まだ腰が抜けている日野崎をどうにか助け起こす。それから映画研究部の面々に軽くあいさつをして僕らは帰途に就いた。変な疲れ方をした気分だ。だが、これでもう映画研究部に関わることはあるまい。この時の僕はそう思い込んでいたのである。

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