映画撮影と「価値観の階層性」

第43話 価値観の発展と映画の話

 古代エジプトに「メムノンの巨像」という歌う石像があった。紀元前に建てられたこの石像は夜明けになると声を上げたという逸話がある。


 さながら伝説かおとぎ話のようにも思えるが、古代ローマ時代には観光客が訪れて歴史書にも事実として記されているので実際に起こったことのようだ。もちろん命を持たない石像が声を発するはずはない。現代では「地震によって石像の内部にひびが生じ、中に溜まった水分が温度差により朝日で蒸発して笛のように音を立てていた」という説が有力である。ちなみに後の時代、紀元後二百年ごろに当時のローマ皇帝により修繕されたために今となっては音を立てることはないらしい。


 ただ、こういう少しミステリアスな現象に対する向き合い方にはその人間の成熟度で段階的な違いが出てくると僕は思うのだ。


 例えば無邪気な子供であれば「石像が歌うなんてすごい!」と純粋にその不思議さに心を躍らせるかもしれない。そんな子供も成長して知識や世間ずれした価値観が身についてくれば「どうせ何かの自然現象かトリックなんだろう。水分の温度差が原因? ほら、やっぱり」と冷めたまなざしで切って捨てるようになる。


 しかしさらに価値観が老成されてくると見方も変わってくるのではないだろうか。「自然現象にしても、偶然こんなことが起きること自体が不可思議で興味深い」「趣があるしこれ自体が珍しい現象で、観光客の呼び物になるならそれだけで意味がある」というように。


 石像が歌う不思議さを感じとり、その裏に科学的な原理があることを理解したうえで別の価値を見出せるようにものの見方が段階的に発展していく。


 こんなふうに同じ物事に対する受け取り方が階層的に存在することはままあるものだ。例えば、映画なども一人の人間がわかりやすいアクションものやファンタジーを好む時期もあると思うが、次第にサスペンスやラブロマンス、歴史ものなど感性が成長するにしたがって好む映画が変わってくることもあるのではないだろうか。


「それで、映画が何ですって?」


 ソファーに腰掛けた黒髪で色白の少女がよくわからないという顔で首をかしげる。向かいに座っている髪を結いあげたスポーティなスタイルのクラスメイト女子、日野崎勇美が「だから」とじれったそうに言葉を続ける。


「あたしとしてはね。別にいろいろな映画があっていいと思うんだよ。でもその小菅っていう部長が他の部員に自分の意見を押し付けて聞かないんだ」


 隣の一人掛けソファーに座っていた僕も頷いて彼女の言葉を補足する。


「我が強いっていうのかな。『俳優頼りの最近の邦画はつまらない』『ありきたりなものしか創れないならやめればいい』とかいうんだよ」

「そうそう。他の映画研究部の部員たちが好きな映画の話題で盛り上がっていても、『あんなのを面白がっているのか』って冷や水を浴びせるようなところがあってさ」


 少々古びたタイルカーペットに学校の教材が詰め込まれた棚。部屋の中央には年季の入った革張りのソファーとテーブル。


 僕がいるのは、普段目の前の黒髪の少女と放課後に二人で勉強会をするのに使っている図書室の隣の空き部屋である。その彼女、星原咲夜は僕と日野崎の言葉に聞き入りながら「ふうん」と小さく鼻を鳴らす。


「それで?」

「だから、映画の撮影もなかなか進まなくてね。下級生たちに主体的に動いてもらって、とにかく自分たちで一つの作品を完成させるっていうのが目標のはずなのにさ。高飛車な調子で口を出すから雰囲気も悪くて」


 日野崎は憂鬱そうに顔をしかめながら口をとがらせた。


「そういう状況で変なものが映っていたからな。内容もホラー風だったからなおのことみんな驚いたんだ。梅島っていう一年生なんか怯えて『お祓いしたほうがいいんじゃないか』って言いだしたくらいだよ」


 僕の言葉に星原は「ええと」と首をかしげながら「そのおかしなものっていうのが部室の窓の中に見えた正体不明の人間の顔だった、ということなの?」と尋ねた。


 日野崎が「そうなんだよ」と答えて続ける。


「ちなみに断っておくけど、その時は部室の中には誰もいないはずだった。部員も全員で撮影に取り掛かっていたから、他に人なんていないはずなんだよ」

「ああ。聞いた話では部員以外で鍵を持ち出した人間もいなかったし、誰かが入り込んでいたとも思えないんだ」


 星原は日野崎と僕が交互に説明する内容を丁寧にかみしめるように「ふむふむ」と頷くが、ふと思いついたようにこちらを向く。


「ええと、ところで気になっているのだけれど。……そもそも何で日野崎さんと月ノ下くんがその映画研究部の人たちに関係することになったの?」

そういえば日野崎ははっきり前後関係を伝えないまま話し始めて、それに僕が口をはさんだものだから経緯が伝わりにくくなっていたようだ。

「それは、つまりだな」

「あたしと月ノ下が映画に出演することになったんだよ」

「はあ?」


 星原は僕らの言葉に目を丸くして、困惑の声を漏らした。

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