第41話 事件への過程

 それは一年ほど前の出来事だった。


 入学して間もない当時、一年生の浅草さんは教室に入る気になれず、何となく本校舎の裏手にあった緑地地域にふらりと入り込んでいた。


 身の置き所がない心持ちで、花を咲かせている春の草木をぼんやりと見つめていると「どうしたんだい?」と背後から声をかけられる。それはこの緑地地域の管理を担当している用務員の老人、蔵前さんだったのだ。


「……そっとしておいてくれませんか」

「でも、もうすぐ始業時間になってしまうよ?」

「教室に行きたくないんです」

「なぜ?」


 彼女はぽつりぽつりと事情を話した。浅草さんは入学早々に風邪をひいて、三日ほど学校を休むことになってしまった。クラスではもう人間関係が固まってグループができているだろうし、出遅れてしまったようで教室に入りづらい。


 親には「馬鹿なことを言っていないで学校に行きなさい」と言われて、ここまで来たもののどうしても教室に入る踏ん切りがつかないのだった。


 彼女の事情を聴いた蔵前さんは「なるほどねえ」と頷いてから「だけどここで行かなかったら、次の日はもっと勇気が必要になるよ。そうしたらまた入りづらくなってその次の日はもっと。……ほんの少し勇気を出して頑張ってみなさい。意外とうまくいくかもしれないよ」と彼女を諭した。


「他人事だと思って。軽々しく言わないでください」


 そんなすねたようなことを言う彼女に蔵前さんはこう続ける。


「それじゃあ、ほら。あれをご覧よ」


 彼が指さす先には、簡素な衣装をまとった少年の石像があった。


「あの少年の石像は王子様の石像でね。隣には昔、王子様の友達のツバメの石像が置かれていたんだ。でも大分昔にツバメの石像は壊れてしまった」


 確かに少年の石像の隣の台座部分は何かがあった痕跡があるかのように空いている。


「どうかな。私と賭けをしないか? 今見ている前で、あの少年の石像の隣に元通りにツバメが戻ってきたら君は教室へ行く。どうだい?」


 浅草さんは魔法じゃあるまいしそんなことあるわけないと思いながら頷いた。しかし次の瞬間、空から本物のツバメが舞い降りて石像の隣に寄り添うように留まったのだ。


「えっ!?」


 思わず驚いて声を漏らした浅草さんに「びっくりしたかい?」と蔵前さんは笑って見せた。


「種明かしをするとね。あの石像の裏側に何を気に入ったのか毎年ツバメが巣を作るんだ。つまり子供たちの面倒を見るために、ああやって時々あそこに現れるんだね」


 浅草さんがそっと石像の裏に回り込んでみると、確かにそこにはツバメが巣を作っていた。


「本当は、鳥のフンは石像を傷めることがあるからあまり良くないんだけど。春の巣作りの間だけは見逃しているのさ。さあ、賭けは僕の勝ちだ。教室に行ってきなさい」


 浅草さんはその言葉に従って自分の教室へ向かった。恐る恐る入って自分の席に着くと、隣の席の女の子グループが「学校内を見て回ろうよ」「部活でも見学する?」という話で盛り上がっていた。


 そこで彼女は勇気を出して声をかける。


「あのう、校内にツバメが巣を作っている石像があるんだけど。昼休みに一緒に見に行かない?」


 彼女の言葉を聞いたクラスメイト達は「何それ! 見たい」「そんなのあるんだ?」「写真撮ってSNSにあげようかな」と飛びついてきてくれた。そしてこれをきっかけに教室で友達ができた彼女は孤立せずに済んだのだった。


 それからというもの浅草さんは蔵前氏と仲良くなり、たまに会っては挨拶を交わす年の離れた友人関係が生まれた。


 また数日後に緑地地域に遊びに来た時、彼女はプレハブ小屋があることに気が付く。


「蔵前さん。あれは何ですか?」

「ああ。郷土研究部だよ。地元の地理や文化を調べる部活でね。私も昔からこの地域に住んでいるから、時々話を聞かれるよ」

「へえ。面白そう。私、郷土研究部に入ります」


 自分にとってお気に入りの場所である緑地地域に面しているのもいいし、蔵前さんとたまに話すこともできる。当時所属していた部員は三年生が二人ほどだけだったが、彼らは熱心かつ真面目に活動しており、地元の風習や地域に根差した文化についての調べ方や記録のとり方を彼女に教えてくれた。


 同時期に入部した他の一年生二人はあまりやる気がない様子だったが、それでも浅草さんにとってはしばらく充実した日々が続いたのだった。


 しかし一年が過ぎて二年生に進級すると前の三年生が卒業してしまい、部活は彼女の他は両国と入谷という遊んでばかりの同級生だけになってしまった。特に両国は自分が仕切りたがって部長をかって出たものの、大したことはしない。文化祭などの研究発表も教師に対する受けを狙って、先輩が作った過去のものを自分がやったかのように展示する有様だった。


 それなら自分だけでも真面目に活動しようと考えていた矢先にある事件が起こる。いつものように彼女が昼休みに緑地地域へ遊びにいくと、蔵前氏が横たわるように倒れていたのだ。


「え!? 蔵前さん! 大丈夫ですか?」

「……うう。かなちゃんかい。平気だよ。ちょっと腰を痛めただけでね」

「私、保健の先生を呼んできますから!」

「すまないね。……年は取りたくないもんだ」


 毎日のように緑地地域の雑草取りや剪定、モニュメントの手入れなど一人では多すぎるほどの肉体労働を雨の日も風の日もこなしていたのだ。体に不調が起こってもおかしくなかったのかもしれない。


 保健の先生も彼を保健室に運んで休ませつつ「もう無理な仕事は控えた方が良いかもしれませんね。学校側に頼んで増員してもらうか、他の用務員の方に代わってもらうとかはできないんですかね」と告げた。

 

 しかしその後で伝え聞いたところでは増員するほどの予算はなく、また維持にかかる費用の割にあまり授業などでも使用されないので、緑地地域そのものが管理しやすいようにつぶされて別利用されるかもしれない、ということだった。


 浅草さんにとって思い出深いお気に入りの場所が無くなるのは悲しいことだ。だけれども、蔵前さんはあの場所を維持するためにあんなにも無理をしていたのだ。彼の身に何かがあったらその方が悲しいに決まっている。


 とてもつらいけれども、緑地地域がモニュメントと部室ごと無くなるとしても仕方がないと思って受け入れよう。彼女はそう考えていた。


 しかし数日後、部室で両国くんと入谷くんが思いがけないことを口にする。


「おい。聞いたか? ここを管理している用務員のおっさんが過労で倒れてやめるらしいんだが、そのために緑地地域も部室もなくなるかもしれないんだってよ」

「ええ! マジかよ。緑地地域の奥にフェンスの隙間があるから、休み時間に抜け出してコンビニに行くのに使っているのに」

「俺だって放課後に遊んで時間をつぶすところが無くなるのは困るぜ。全く、それもこれも用務員のおっさんがちゃんと仕事しないからだよなあ」

「そうだよな。少子高齢化が進んで年寄りが若者を圧迫しているんだからさあ、少しは働いて貢献しろってんだよな」

「頭使うわけでもない、肉体労働を自分で選んだんだからさあ。甘えるなって感じだわ」


 その言葉に凍り付くような衝撃を覚え、思わず浅草さんは内容の理解を拒んだ。そして一瞬遅れて「信じられない」という思いで血が沸騰しそうになる。


 今まで蔵前さんは私たちのために仕事以上のことをしてきた。体を壊してしまいそうになっても、私たちの学生生活の糧になるのならと頑張ってきてくれていた。それを理解しようともせずにさんざんこの場所を使える自由を享受しておいて、そんなことを言うのか。


 あまりの怒りで言葉すら出せなかった。


 だが同じ部室にいる彼女が沈黙している理由に気が付きもせずに、さらに両国くんは続けてとんでもない提案を持ち出す。


「それでだな、俺は思いついたんだけどよ。……なあ。浅草。頼んでおいた鳥の石像を持ってきてくれたか?」

「……私の家のお店で余っていそうな石像を譲ってくれっていう話? ここにあるけど」


 彼女が感情を抑えながら前日に両国くんに頼まれていた「鳩の石像」を部室の会議机に置くと、彼は「緑地地域に男の子のモニュメントがあっただろう? あの一部欠けている奴。これをそのモニュメントの欠けた部分ってことにしないか?」と言い出した。


 何を言い出すのかと茫然とする浅草さんをよそに両国くんは続ける。


「卒業した先輩によるとさあ。なんでも、あのモニュメントは地元出身の芸術家がうちの学校の初代校長と仲が良かったとかで寄贈したものらしいんだよ。それで昔はあの部分に鳥の石像が置いてあったらしいんだ。だから俺たちが『学校創立時代に記念碑的の作られた文化財産の欠落部分を見つけた』ってことにして、緑地地域の開発反対を訴えるわけだよ」


 入谷くんも「おお、イけそう。大人って文化とか伝統だとか持ち出すと弱そうな感じだもんなあ」と賛同する。


「だろだろ! 何でもあのモニュメント、大昔から壊れていたらしいから当時の写真も残っていないし、バレないだろ。学校の文化財を保護するために活動したってなりゃあさあ、内申点も良くなりそうだしな」

「そしたら、学校側もあの用務員のおっさんにもう少し仕事させようってなって緑地地域も部室も残るかもしれないしなあ」

「署名集めもさ、俺、学校内のSNSのフォロワー結構居るからさあ。『学校の貴重な文化的財産保存に協力の拡散希望』とか『署名に協力してくれたら、後で表彰されたときに名前を出す』とかすりゃあ皆、署名してくれるだろ」


 浅草さんは「ふざけるな」と言いたいのをぐっとこらえた。本当は反対したいところだが彼らは自分を軽んじていて、今までだって何を言ってもまともに耳を貸したことなどない。ここで正面切って文句を言ったところで黙殺されるだけだろう。


 だがそれならばどうすればいい? 


 そうだ、私ではなく誰か第三者が反対しているかのように見せればどうだろうか。

 

 そう考えた彼女は一計を案じる。

 

 まず表面上は彼らに賛同して、モニュメントの撤去反対運動にも参加しておいた。


 そしてそれと並行して「両国くんたちに渡したものと同じ形の鳩の石像」を準備する。


 元々、彼女の家が経営している店舗で余っていたものなので、難なく同一のものを手に入れることができた。そしてそれを壊してから熱で溶けるタイプの接着剤を準備して、見かけ上は元通りにくっつける。もちろん、後で自然に壊れたように見せかけるのが前提なのであまり強くは接着せず、ちょっとした衝撃でも外れるかもしれないくらいの分量である。


 こうして作成した「偽の石像」を普段から外に置いている地形模型などに使うパテの袋の中に隠した。あとは頃合いを見計らって部活動が終わる直前に、わざと石像にパテの粉をこぼして洗ってくるふりをして、生石灰をまぶした「偽の石像」を水で濡らして本物とすり替える。

 

 そして本物の方は途中まで作っていた地形模型の山の中をくりぬいて、パテにくるんで隠した。後は部室を最後に出るようにして、鍵をかけるふりをして開放した状態にしたのだった。


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