第40話 偽装された過程、そして真相

 夕暮れが校舎裏の草木を茜色に染め上げている。星原と勉強会で事件の考察をした翌日の放課後である。あれから僕は「石像を壊した」犯人がわかったことを両国くんに連絡した。そして郷土研究部の部員たちに詳細を説明するべく彼らの部室に向かっているところだ。


 僕と星原は一昨日も通った緑地地域の小道を歩きながら、言葉を交わす。


「多分あなたの推測は間違っていないのでしょうし、犯人を暴くこともできると思うけれど。その後でどう丸く収めるのかが問題ね」

「正直に言って、正解と言えるような方針はないな。ただ犯人にどんな事情があって郷土研究部の運動を妨害するようなことをしたのか。もしも情状酌量の余地があるなら、どうにか妥協点を見つけ出したいところだ」

「……上手くいくことを願うわ」


 星原が小さく頷きながら答えたところで、ちょうど僕らはプレハブ小屋の前にたどり着いた。軽くノックしてから引き戸を開ける。


「月ノ下です。お邪魔します」


 僕と星原が部室に足を踏み入れると蛍光灯に照らされた室内が目に飛び込んでくる。といっても部屋の様子は先日と特に変わらない。中央には会議机に椅子。部屋の隅には小さな棚に地形模型が置かれている台。そして待ち構えていたのは三人の人間だ。


 髪を軽く刈りこんだ快活そうな二年生男子、両国くんに坊主頭の大柄な少年、入谷くん。さらに壁にもたれて腕を組んでいたのはメタルフレームの眼鏡の新聞部員、清瀬だった。


 両国くんが椅子に座ったまま軽く手を挙げて「やあ、月ノ下さん」と声をかけてくる。


「犯人がわかったそうで。期待していますよ」

「それは良いけれど、僕は部員たちを全員集めるように伝えたんだが。なぜ清瀬がいるんだ?」

「もちろん、俺たちの活動を邪魔した人間がいたことを証明する場に立ち会ってもらうためです。なんなら記事にして取り上げてもらいたいですね。『学校の文化を守ろうとした郷土研究部は妨害にも屈しなかった』と」

「……そうかい」


 僕は清瀬にちらりと目をやる。理知的な少女ではあるが、自分の考えに合わないとなれば「彼女なりの正論」と「圧力」で攻撃してくる面もある、一癖ある人物なのだ。


 今回の事件の裏には、おそらく部員たちの間での価値観のずれが絡んでいる。それをどうにか調停し、丸く収めなくてはいけないこのデリケートな局面において彼女の存在は吉と出るのか、それとも凶と出るのだろうか。


 だが僕の内心をよそに清瀬は「お手並みを拝見するよ」と冷たい印象すら感じる笑みを浮かべた。とりあえず彼女のこの場での立ち位置は「傍観者」なのだろう。


 僕は両国くんに向きなおって、改めて確認する。


「部員全員が集まってから話すことになっていたはずだけど、浅草さんはどうしたのかな」

「ああ。彼女は今日も外で活動していまして、話はしてあるのでもうすぐ戻ってきますよ」


 彼の言葉が言い終わらないうちに、外から話し声が聞こえてくる。星原が横で「どうやら来たみたいね」と呟いた。やがて入り口の引戸が開かれて浅草さんが姿を現す。


「わざわざ部室まで送ってくれなくとも」

「気にすることじゃないよ、手伝ってくれたんだから」


 そんな言葉を浅草さんと交わしていたのは白髪に作業服の用務員、先日も見かけた蔵前さんだ。部屋に入ってきた浅草さんは僕らにぺこりと頭を下げる。


「すいません。お待たせしてしまったようで」


 両国くんが「いいから。早く席に着け」と急かしたが、そこで僕は「あ、待ってくれ」と場の空気を止めた。


「何です?」と彼が首をかしげるが、それにかまわず僕は外にいた蔵前さんに声をかける。


「あの、蔵前さん。あのモニュメントの手入れや緑地帯の管理をしているのはあなたなんですよね。聞いているか知りませんが、僕らはこの郷土研究部であのモニュメントの石像の一部が壊された事件についてこれから説明するところなんです。もし良かったら立ち会ってもらえませんか」


 白髪の用務員は少し驚いたような表情でこちらを見る。


「私に?」

「はい。蔵前さんにも関係していることですし、お願いします」

「……まあ、別に横で話を聞くだけならば、構わないが。そんな話になっていたのかい」


 蔵前さんは困惑しながらも部室に入ってきた。


 僕が部員の一人が犯人であることを指摘すれば衝突が生まれ、あるいは一方的な糾弾が始まることもあり得る。だが外部の人間、しかも大人である蔵前さんという第三者の目線があればそういった空気をいさめる効果があるかもしれない。そう考えての申し出である。


 何にせよこれで全員が揃った。僕は彼らの顔を見渡しながら、改めて今回の事件が起きた状況を語り始める。


「まず、事件があったのは先週の水曜日だ。郷土研究部の部員、両国くんたち三人は十八時ごろに部室を出た。しかし忘れ物をした両国くんが十九時ごろに部室に戻ってくると、緑地地域にあるモニュメント『慈愛の形』の欠落部分、鳥の石像が壊されていた。そうだね?」


「はい、間違いないです」と両国くんが答える。


「それで、その時は鍵が開いていたということだったね」


 僕の確認に浅草さんが眉をしかめて「すみません。私が鍵をかけたつもりがかかっていなかったようです」と下を向いた。続いて両国くんが「つまり十八時から十九時の間に誰かが入り込んで、石像を壊したってことでしょう。一体だれが入り込んでいたんです?」と尋ねる。


「それについてだけど、ある男子生徒が園芸部の花壇で先週の水曜日にたまたま作業をしていた。彼は夕方の十九時まで緑地地域の入り口が見えるところにいたんだよ」

「それで?」

「しかし、彼によると『誰も出入りをしていなかった』んだそうだ」

「えっ? 待ってくださいよ。誰も入っていなかったのなら一体、なぜ石像が壊されていたんですか? 俺たちが出て行ったときには確かに石像は無事だった。誰も入っていないのに勝手に壊れるわけがないでしょう」

「そこだ。実はあの石像は壊されていたんじゃないんだよ。犯人が壊されたように見せかけていたんだ。まず例の石像の破片をもう一度、見せてくれないか?」

「……はあ。おい、入谷」


 入谷くんが両国くんの指示に従って、部屋の隅から石の破片が入った紙袋を持ってくると中央の机に置いた。僕はその中の石をつまみ上げると表面についている白い粉を準備してきた小さな液体が入った容器に入れた。


 浅草さんが「何です? それ」と不思議そうに僕の手元を凝視する。


「これはただの水だよ。でもこれに石の破片についている粉を混ぜて、リトマス試験紙を浸す。すると……」


 僕は準備しておいたリトマス試験紙を水に浸す。すると試験紙は青色に染まった。


「見てのとおりアルカリ性だ。先日、聞いた話ではこの石像に模型用のパテをこぼしたために粉が付いていたという話だったけど。どうやら他にも『何か』がついている。それがこの『強アルカリ性の白い粉』。多分、石灰の一種だろう」


 その言葉に星原が思い出したように呟く。


「石灰と言えば、肥料にも使われているけれど。確か生石灰と消石灰があったわね。生石灰は『水と反応して高熱を発する』のではなかったかしら。それでできるのが消石灰よね」

「そのとおりだ。そして『模型用の接着剤には常温では固まるが、高熱だと溶けて効果を失う』ものがあるんだ。つまり犯人は鳥の石像とそっくりの偽物を準備して、それを『一度壊してから接着剤でくっつけた』。さらに石灰をまぶした後で水をしみこませたんだ。……あとはそれを本物の石像とすり替えて、他の部員たちと一緒に部室を出る。すると時間経過で化学反応の熱により接着剤が溶けて『誰も入っていないのに石像が壊れた』という状況が出来上がるわけだ」


 接着剤で無理があるならロウソクの蝋などでもいい。とにかく熱で溶けるもので短時間でも、壊しておいた石像を接着できるものがあれば可能なはずだ。 


 しかしそこで「いやいや、待ってくれ」と異議を唱えた者がいる。


 新聞部員の少女。清瀬だった。


「一見すると理屈は通っているが、それじゃあ犯人は他の部員たちが見ている前で壊れる仕掛けをした石像をすり替えたのか? それに本物の石像はそのときどこにいったんだ?」

「そうだな。普通に考えたら難しく思える。しかし、さも自然に見える流れに組み込んで、すり替わる過程を偽装したのだとしたらどうかな?」

「どういう意味だ?」


 僕は両国くんに向きなおって、先日この場所で聞いた話を再確認する。


「両国くん。君は前にこう言っていたね。この石像の破片についている白い粉は『ある部員が模型用のパテをこぼして石像にかけてしまったものだ』と」

「はい。そのとおりですが」

「それは、いつのことだった?」

「……先週の水曜日です。壊される直前でした」


 やっぱりか。


「その時の状況をもう一度思い出して、詳細に話してくれないか」

「はい。浅草が地形模型に使うから、と容器にパテの粉を入れて部室に入ってきたんですが。つまずいて石像の上に思いっきり、粉をこぼしたんです。それから……」


 名前を上げられた浅草さんがこわばった表情になり、両国くんが何かに気が付いたように目を見開いた。


「そうだ。あの時、浅草は『粉で汚れた石像を洗ってくるから』と石像を持って外の水道で洗い流してきた。そして、水でぬれた石像を机の上に戻したんだ。……でももしも、あのときに外に隠してあった『仕掛けがしてある石像』とすり替えられたのだとしたら」


 ここで星原が小さく頷いて「『偽の石像を水で濡らしてから』自然な形で部室の中に置くことができるというわけね」と補足した。


 そう。人間は不条理な出来事でも過程を見せられれば納得してしまうのだ。

 

 例えばもしも唐突に「目の前にある石像が外へ持ち出されて、濡れた偽の石像が置かれた」のならば流石に怪しまれるだろう。


 しかし「パテの粉をこぼして石像を汚してしまった」「綺麗にするために外の水道で洗ってくる」という過程を見せられれば怪しむことはない。飼っていた猫の死を、木に登って降りられなくなる様子を説明されることで受け入れる小話のように。


 僕はここで浅草さんを見やる。


「前に両国くんから聞いたんだけど。君の家は『石材や園芸を扱っている店』を経営しているんだそうだね。家には3Dプリンタもあるとか。例えば問題の石像とそっくりな石像を作ることだってできるだろうし、園芸店なら肥料用の石灰を持ち出すこともできるんじゃないか?」


 その場にいた人間の視線がおさげの大人しそうな少女に集中する。浅草さんはしぼりだすような声を漏らした。


「単純に石像が劣化していて壊れやすくなっていただけかもしれないじゃないですか。それに成分として石灰を含むパテだってあります。たまたま石灰が付着していただけかもしれない」

「つまり、証拠はないと言いたいのかな」

「……はい、そうです」


 だが両国くんや入谷くんは「どうだかな」「完全に状況証拠が揃っているじゃねえか」と疑惑の視線を彼女に向ける。一方、蔵前さんはここまで無言で聞いていたが、予想外の事態に戸惑ったような表情になっていた。そんな彼らをよそに僕は話を続ける。


「そうだね。確かにここまでの推測では説明できないことがある。偽物の石像はどこに隠していたのか。そして、すり替えられた本物の石像はどこに行ったのか、という話だ」


 両国くんが「そういえばそうだ。本物の石像は外に持ち出された後で、どこに行ったんですか?」と僕の言葉に首をかしげた。


「実はそれも想像はついているんだ。まず『偽物の石像』をこの部室に持ち込む前にどこかに隠しておかなくてはいけない、ということについてなんだけど。……ほら。この部室の前には『模型用のパテの粉が入った袋』が置かれていたよね。あれは仕掛けをした石像を隠しておくにはうってつけだ」

「じゃあパテの粉が入った袋から偽物を取り出してから、代わりにその中に本物の石像を隠した?」

「いいや。屋外の粉が入った袋に入れておいたら、何かの拍子に見つかってしまうかもしれないだろう? ただ、その『パテの粉を利用した』という意味では正解だ」


 ここで星原が微笑しながら部屋のある一点に目を向けた。部屋の隅にある、あの少し山が大きく作られた地形模型である。


「なるほどね。例えばすり替えた後で、『パテの粉を練って本物の石像をくるんでしまえば』大きめのパテのかたまりにしか見えない。そうすれば堂々と部室に持ち込むことができる」


 その言葉の後は僕が引き継ぐ。


「あとはいつも作業している地形模型の作成をしているふりをして、その石像を隠してしまえばいい。つまり、今もあの模型の中に本物の石像が隠されているはずだ。……なんなら僕が確認しようか?」

「その必要はありません」


 浅草さんは悲しみと諦観にまみれた表情でうつむいた。背後に立っていた蔵前さんは「かなちゃん?」と信じられないとでもいうように顔を歪ませる。彼女はそんな彼に一瞬目を向けてから首を振って「確かに、私が全てやったことです」と呟くと、自らの行いを語り始めたのだった。

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