第39話 考察とブラックジョーク

 テーブルの上に置かれた参考書、そして自販機で買ってきたペットボトル飲料にノートと筆記具を天井の蛍光灯が照らしている。


「……少し、小休止しようか」


 僕の言葉に隣のソファーの腰かけた色白で黒髪の少女が「そうね」と呟いた。窓の向こうでは山林の新緑が風でかすかに揺れていた。


 あれから一日が過ぎた放課後である。僕と星原は図書室の隣の空き部屋で勉強会をしていたのだが、今日はどうにも集中できなかった。例の石像の一部が壊された件が心の中に引っかかっていたのだ。


「……しかし犯人はどうやって密室の中の石像を壊したんだろうな」

「ああ、妙に考えこんでいると思ったらそのこと?」


 星原が髪をかきあげながら、少し疲れたような力の抜けた声で応える。彼女は軽く肩を上に伸ばしてから「まあ、勉強会の息抜きのつもりで考えてみましょうか」と僕に顔を向けた。


 僕も小さく頷いてから、とりあえず思いついたことを口にする。


「普通の密室なら、『どこかに抜け道がある』とか『他の誰かに成りすまして入り込んでいた』みたいな話になるんだけどさ。今回の場合は、校舎のはずれにある入り口が一つしかないプレハブ小屋。窓にも侵入の形跡は無し。出入りした人間も郷土研究部の三人が出て行った後は、第一発見者の両国くんが入るまで誰もいない。……どういうことなんだろうな」

「第一発見者の両国くんが犯人で、自作自演したという線は?」

「犯人が自分で壊して、自分が第一発見者になって、自分で犯人を探してほしいと頼み込んだというのは流石にちょっと無理があると思うよ」

「……『自分たちを邪魔した人間がいる』ってことにすれば、話題作りになってさらに運動が盛り上がると考えたんじゃないかという説が思い浮かんだのだけれどね。ただ、それなら犯人を探そうとはしないわよね」


 彼女も両国くんが犯人だと本気で主張したわけではなかったらしい。「だけど」と髪を軽くかきあげながら続ける。


「見方を変えた発想として、郷土研究部内の人間だったら実行できるんじゃない? 石神くんの話だとあの入谷という男子は部活以外でもあのあたりをうろうろしていたみたいだし。浅草さんというあの女の子も普段からあの周囲で蔵前さんの手伝いをしていたのなら何かの仕掛けを準備するくらいできるかも」

「仕掛け? 例えばどんな?」

「ほら。壊された後の石像を見せてもらったけれど、ぱっと見にはなんて事のない石の破片にも見えた。だから例えば最後に部室を出た部員の誰かが『石像を隠して、代わりに準備しておいた石の破片を石像のあった場所に置いておく』。そうしたら次に入った両国くんは『誰も入っていないのに石像が壊された』と錯覚する」


 僕はほう、と彼女の推理に感嘆の声を漏らした。


「なるほど。あり得そうな線ではあるな。……だけど問題がある」

「何?」

「たった三人しかいない部活で、一緒に部屋を出たという話だった。単独行動が難しい状況で石像を盗んで、代わりに石の破片を置いておくような真似はちょっと難しいんじゃないか」

「それは……そうかもね」

「それから石像も見た感じでは三十センチ弱くらいの大きさはあった。運ぶのは簡単だが服の下とかに隠せるようなものでもない」


 僕の指摘に星原は「ううん」と渋い顔で唸った。


「もちろん、今の発想は方向性は悪くないと思うんだ。『元々あった石像はどうしたのか』『どうやって怪しまれることなくすり替えたのか』。この二つをクリアすれば成立する」

「そうね。……ただね。自分で内部犯人説を唱えておいて、こういうこというのもなんだけれど。そもそも仮に郷土研究部員の誰かが犯人だったとして。どうして石像を壊すような、モニュメント撤去の反対運動を邪魔する行動をしたのかがわからないのよね」

「ああ。自分たちの部室が無くなるかもしれないのなら、なおさら両国くんの主導する反対運動に協力しそうなものだものな」


 僕も腕を組んで考え込んだ。


 犯人は表面では協力しながらも、実際にはモニュメント撤去の反対運動が気に入らなかったということなのだろうか。


 脳裏をふとこの間、星原が話した「カリフォルニアから来た娘症候群」のエピソードがよぎる。


 関係者や当事者としてはそれなりの事情が積み重なって、やむを得ずモニュメントを撤去することを検討してきたのに、それまで対して注目もしていなかった経緯もろくに知らない人間たちが「壊すのはもったいない」と騒いだら不愉快にも思うかもしれない。


 そんな僕の内心を読み取ったわけでもないだろうが、星原が不意に「これで反対運動が止まったら結局取り壊すことになって、あの用務員の蔵前さんは仕事を辞めてしまうのかしらね」と呟いた。


「……仕事も結構大変そうだったものなあ。実際に、僕のクラスでも郷土研究部の運動に賛同している人間も何人かいたんだけどさ。『用務員なんだから、あれくらいの仕事で音を上げるなよ』とか『緑地地域と石像の手入れくらい続ければいいのに』みたいに軽く言っていて、信じられなかったよ。あの広さの敷地にある草木を手入れするのだって、かなりの重労働だと思うのに」


 僕は蔵前さんの苦労を思い出しながらぼやいた。


「『カリフォルニアの娘』や地方の博物館の話じゃないけれど。どうしてああいう風に事情や経緯を理解しないで、安易に物事を主張する人間がいるんだろうな」


 そんな何気ない僕の呟きに、星原は「あえて、そういう狭い視点で状況を判断してしまう人の立場に立って考えるのなら」と前置きをして口を開く。



「それは人間が自分の知っている情報と現実にギャップがあると不具合を感じる生き物だからじゃないかしら。……例えば、こんな小話があるの」

 

* * *


 ある青年が故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していたのだが、久しぶりに実家の姉に電話をする。


「やあ、姉さん。ぼくだよ。……大学? 順調さ。それよりキティは元気かい?」


 彼はどうやら家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。姉は答える。


「ああ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」


 その発言に受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。


「そういう時は姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたのを知っていたんだから……嘘でもいいからこう言うんだよ。『キティは昨日、木に登ったのよ』って」


「なによそれ。人の話、聞いてる? あんたの猫は酔っ払いの……」


「黙っていてよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』と尋ねるだろう。そしたら『皆で助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ってしまったのよ』って言うんだよ」


「……」


「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ? で『それからどうなったの』と聞かれたら『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」


「……わかったわよ。これからは気をつけるわよ」


「……いいよ、もう。……それより、母さんは元気?」


「母さん? ああ、母さんはね。昨日、木に登ったのよ」

 

 * * *



「なかなかのブラックジョークだ」

「そうだけど、私が言いたいのはそうじゃなくて。……人間は『経過や過程を知らされずに結果だけを受け取る』と拒否感を示したり不満を述べたりするということよ。逆に言うと、そうなるまでの過程を知っていれば人間はショックは受けない」

「まあ、その習性を理解したうえで、猫と同じトーンで母親の訃報を告げられるシュール感が笑いどころってことかな」


 確かに「カリフォルニアから来た娘」にしても「昔ながらのお菓子の販売中止」にしても、実際にはいきなり終末医療や販売中止になるわけではなく、当事者としてはそれなりの経緯や苦悩の決断の末に至った状況なのだ。


 だが、第三者は自分の知っていた情報と現在の結果に乖離があるために、自分の意思と関係のないところで物事が進んだことに不満を感じて、反対したり異議を申し立てたりするのである。


 待てよ。……ということは逆に考えると今のジョークのように、人間は不条理なことが起こったとき「嘘でも作り事でも過程が説明されてさえいれば」納得してしまうわけだ。


 そう。さっき星原が言っていた「石像のすり替え説」だが、普通なら不自然な行動も何か説明できるような過程を偽装できれば実行できるのではないだろうか。


 そのとき、脳裏に郷土研究部室の石像の破片に付着していた白い粉が浮かび上がる。あれは、何故ついていたのだっけ? 


 確か両国くんは何か言っていたような。


 彼の言葉を思い出そうと郷土研究部室での記憶を探り、その中である人物がしていた行動がここまでの考察と結び付いたとき僕の中で一つの結論が生まれた。


「……わかった」

「え?」

「やっぱり星原の推理が半分当たっていた。犯人は石像をすり替えて、両国くんが来た時に破片を見つけさせるように仕向けたんだ」

「つまり真相が見えたということ? でも、それじゃあやっぱり犯人は郷土研究部員の中にいたということよね」


 彼女は少し悩ましげに眉をひそめる。


「これで事実を説明したら、部内は気まずい雰囲気になってしまうんじゃないかしら」

「それでも何もしなければ、誰が壊したのかわからないしこりが残ったまま部活を続けることになる。そのために、いずれもっと大きい軋轢が生まれるかもしれない。だったら多少気まずくなっても何が起きたのかはっきりさせた方が良いだろ」

「それはそうかもしれないけれど。……ところで例のモニュメントの一部、鳥の石像は三十センチくらいはあるのよね? 犯人はどうやって周りの目に触れずに本物の石像を持ち出したのかしら」

「そのことだけど。そもそも犯人はすり替えた後で、最終的に本物の石像を部室の外へ持ち出したわけじゃあなかったんだ」

「へえ?」


 星原は僕の言葉に目を見開いて見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る