第28話  三人の男子生徒

 広い空間を何人もの生徒が縦横無尽に動き回り、ボールが床の上を跳ねるたびに音が響いている。


 放課後になり僕らはまず石神くんのところを訪ねることにしたのだが、二年C組には彼の姿はなかったのである。クラスの生徒に話を聞くと彼はバレーボール部で、この時間は部活に参加しているということだったので、僕らは体育館の入り口にこうしてたたずんでいるわけだ。


「しかし、石神くんはどこにいるんだろうね?」


 コートの半分はバスケ部が使用しているとはいっても、バレーボール部も十数人もの部員がいるようで特定の一人をすぐに見つけ出すのは難しい。


「こっちにも見当たらないな」と明彦がつぶやいた。


 と、その時。一年生と思しき男子バレーボール部員が「トイレに行ってきます」とコートを出て、入り口のほうへ走ってきた。


「あのう」と僕は横を通り過ぎようとした彼を呼び止める。



「何ですか」とぶっきらぼうな声が返ってきた。


「部活中に悪いんだけど、二年の石神くんってバレーボール部だよね。ちょっと用事があるんだけどどこにいるかわからないかな」

「石神先輩っすか。外で走り込みとパス練習ですね。裏手にいますよ、多分」

「外で?」

「はい。体育館は半分しか使えないですしレギュラーが優先して使っているんですよ。それじゃ」


 そういって彼は足早に去っていった。残された僕は思わずぽつりと呟く。


「石神くん。バレーボール部じゃああまり扱いが良くないのかな」

「先輩だろうがなんだろうが、上手いほうが優先されるって方針なのかもしれないぜ。……行こう」


 明彦に促されたので、僕も小さく頷いて体育館を出て裏のほうに回ることにする。するとボールが弾む音が聞こえてきた。見ると壁に向かってパス練習をしている生徒たちが三人ほどいる。その中には先刻見かけた石神くんもいた。どうやらここにいるのは補欠部員のようだ。


「石神くん」

「あれ、昼休みの……」


 彼は僕に声をかけられて少し驚いた顔をしながらも相手をしてくれた。


「邪魔して悪いね。ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「聞きたいこと?」


 流石に「実は一昨日の夕方に園芸部の鉢植えが壊されたんだけど、その時君は何をしていた?」などと直接的に聞くわけにもいかない。世間話を装って婉曲的に聞くのがいいだろう。


「いやこの間、聞いたんだけど。君は去年もあの土手で土砂崩れがあったときに、温室に行って水やりをしてあげていたって本当?」

「はい、そうっすよ」


 では、やはり以前から温室の存在を認識していたのは間違いないな。


「あんな高い木に登れるなんてすごいな。僕には到底無理だから感心するよ」

「そんな、ハハッ」と彼は得意そうに笑って見せる。


「バレーボール部でも頑張っているのか。大したものだね」


「すごくないですよ。補欠です」とこれには少し寂しそうに返事をした。明彦がそこで口をはさむ。


「ちなみに部活は毎日なんだよな。いつも何時まで練習しているんだ?」

「十八時半までですよ。まあそのあと部員全員で着替えたり片付けをしたりで十九時くらいに部室を出ますけど」

「なるほどな、大変そうだな。頑張れよ」

「ありがとうございます」と彼は明彦の激励に軽く会釈する。


 僕らはそこで会話を切って、体育館を後にした。





 午後の日差しが照り付ける中庭を歩いて、僕らは本校舎に向かう。


「石神は十九時くらいまで体育館の方にいたってことになるな。一昨日の雨って何時くらいに降っていたんだっけか」と明彦が足を動かしながら尋ねる。

「僕も気象庁のホームページを調べてみたんだけどね。十七時から十九時前くらいだったみたいだ」

「……そうか。俺、その日はちょうど帰るときに降られたんだよなあ。ずいぶん長く降っていた気がしたがそんなもんだったのか」

「強い雨ではあったけどね。でもそうだとすると彼が部活を終えたときには『雨はやんでいた』。つまり多分そのときにはすでに『土砂崩れが起きて通れなくなっていた』ということになる」

「じゃあ、あいつには無理ってことか」

「うん。それに体育館から温室まで行ってバラの鉢植えを人のいない隙に持ち出してまた戻ってくる、ってなると十分以上はかかる。部活中にそんな怪しまれるような行動をとれば目立つだろうね。困っている園芸部員を助けるくらいだし、普通の人の良い男子ってことなんじゃないかな」


 僕らがそんな会話を交わしながら、歩いていると向かいから一人の少女が手を振っているのが見える。セーラー服姿の髪を後ろで結い上げた少女。日野崎だった。


「月ノ下。頼まれたとおり、女子サッカー部の後輩に頼んで一年A組の福生くんを紹介してもらえることになったよ」


 彼女には園芸部の温室のことを知っている部外者の一人、福生くんに会えるように手はずを整えてもらうことになっていたのだ。


「そうか、助かるよ。ありがとう」

「なんの。もとはと言えばあたしから持ち掛けた相談だからね。……ただ『園芸部に興味があって、どんな雰囲気なのか知りたい』っていう名目で話を聞くことになっているから、そこは上手く口裏を合わせてね」


「おう、任せろ」と明彦も頷き返した。

「それじゃあ、一年の教室で待っていてくれているみたいだから」


 僕らは日野崎の背中を追うように次は福生という男子生徒の話を聞くために本校舎の一階に入っていった。






 一年A組の教室には何人かの生徒がまだ残っているようだ。

 僕らは教室の入り口に雁首をそろえて中の様子をうかがいみる。


「確か、あの端に座っている男子がそうなんだって」


 日野崎が指さしたのは、細面で髪をヘアワックスで遊ばせた外見に気を使っている雰囲気の男子生徒だ。なんとなく大人になったら有能な営業マンにでもなりそうな印象がある。


「さて、何て言って声をかけようか」と僕が悩んでいると明彦が「そんなに深く考えるなよ。普通に友達感覚で話してくりゃあいいんだろ? それじゃあ俺が行ってくるから任せとけ」とあっさり教室に足を踏み入れる。


 僕と日野崎はつかつかと福生くんに近づいていく彼の背中を教室の外から見守った。


「よお、君が福生くんでよかったかな。時間取らせて悪いな」


 軽い調子で明彦が声をかける。


「はい。あなたが園芸部に興味があるっていう……? 三年なのに部活に入部するんですか?」

「ああ、違う違う。園芸部って女子が多いだろ。気になる女の子がいて声をかけるきっかけにしたいんだが、どんな雰囲気なのかと思って話が聞きたかったんだ」

「ああ、なるほど」と福生くんは納得した表情で微笑した。


 アドリブなんだろうがうまい切り出しかただ。


 それから福生くんは「自分も見学で園芸部に行ったことがあること」「同じクラスでも園芸部員の子がいること」「部の雰囲気はまとまっているけれど、同調圧力が強いので愚痴を聞かされることがあること」などをさらりと語ってくれた。


 明彦もそれに相槌を打ちながら相手が話しやすい雰囲気を作っていく。僕は日野崎と一緒に入り口でそのまま二人の会話に耳を傾けていた。


「ところで、園芸部って温室があるらしいんだが見たことはあるか?」

「ああ、知っていますよ。土手の上にあるやつですよね」


 明彦のさりげない質問に福生くんは素直に答えた。


「なんか、一昨日あたりに土砂崩れであそこに続く階段道が通れなくなったんですよね」


 続いた彼の言葉を耳にして僕は少し驚いた。そのことも知っていたのか。


 明彦もかすかに驚きながらも「おう、そうみたいだな」と話を進めた。


「よく知っているな。園芸部の知り合いに聞いたのか?」

「はい。今日の朝、さっき言った同じクラスの園芸部員がそんなこと言っていまして」


 明彦は彼の言葉に頷いて、さらに質問する。


「なるほどな。ちなみに雨の日は降られなかったのか? ちょうど帰る時間だと思ったが」

「ああ。僕も帰りに友達と下校中に繁華街で遊んでいるときに降ってきたんで、近くの建物で雨宿りしました」


 帰りに繁華街に寄り道していた、ということは彼は雨が降ってきた時にはすでに学校を出ていたのだ。友達も一緒だったとなれば完全にアリバイが成立している。

 つまるところ彼もバラの鉢植えを持ち出すことはできない。階段道が通れなくなったことも今日の朝に知ったというのであればなおさらだ。


「なるほど、ありがとよ。参考になったぜ」


 そう告げると、明彦は踵を返してこっちに戻ってくる。


「どうやら彼も違うみたいだね」


 ああ、と明彦は僕の言葉に相槌を打つと教室を出た。





 すでに時刻は十七時半になり、空は赤紫色に染まりつつある。本校舎を出た僕らは日野崎と別れて渡り廊下をゆっくり歩いていた。


「最後の一人、牛浜くんだっけ。誰か二年の知り合いに紹介してもらおうか」


 僕は隣を歩く明彦に訊くともなしに話しかける。牛浜くんについては明彦が「そいつなら会うあてはあるから、何とかする」と言っていたのだ。だが明彦は何やら彼らしくもない悩ましげな表情でうつむいていた。


「明彦?」

「いや、あのな。会うのは問題ない。……ただ」

「ただ?」

「俺としては『まず、あいつは犯人じゃあないだろう』と思っていたのに、犯人候補として最後に残ってしまったものだからよ。ちょっとばかり葛藤しているんだ」

「『あいつ』? もしかして牛浜くんと知り合いなのか?」

「ああ。ほら、この間ゲーム同好会を『eスポーツ部』に昇格するのに協力してくれただろ。上手くいかなかったけど。……そのゲーム同好会にいるのが牛浜なんだよ」


 明彦は不意に立ち止まると、頭を掻きながら眉をしかめた。


「ゲームを抜きにしても半分部外者の俺に気さくに話しかけてくれてな。卒業した大泉先輩も可愛がっていたんだ」

「気持ちはわかるけど、どんな人間だって過ちを犯す可能性はあるんだからさ。そのあたりの心情は別に置いておいて、話を聞いてみようよ。それに、まだ牛浜くんが犯人と決まったわけじゃないし、彼が壊したのだとしてもやむを得ない事情があったのかもしれないんだから」

「そうだな。それじゃあ、行くか」


 明彦は覚悟を決めるように小さく咳払いをすると、改めてゲーム同好会がたまり場にしている作業教室棟の空き教室へ歩き出した。

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