第27話 温室周辺の探索(後編)

 登るときと降りる時ではどうにも見る風景が違う。僕はおっかなびっくり梯子を伝って五メートルの高さを降りていくことになった。木に登った猫が自分では降りられなくなる気持ちがわかる気がする。明彦も僕に続いて土手の下に着地した。すると御嶽さんと日野崎、青梅さんが待ち構えていたように僕らを取り囲む。


「どうでした?」

「何かわかったの?」

「……変わったものでも見つかった?」


 大した成果は上げられなかったが目についたことは一応報告しておくべきだろうか、と僕は口を開いた。


「そうだね。広場の横に泥が流れ込まないように排水溝が作られていたけど、途中で埋もれていた。それで土砂崩れが起きたのかもしれないな」


 しかし御嶽さんが初耳だといわんばかりに「排水溝? そんなものがありましたか?」と目をぱちくりと見開いた。


「園芸部で作ったんじゃないのか?」

「はい。私は知りません」


 てっきり園芸部の人間が作ったものと思っていたのだが、御嶽さんが知らないとなると誰が作ったのだろうか。僕が戸惑っていたところでおずおずと青梅さんが口を開いた。


「あ、それ。私が園芸部にいたとき、作ったの」

「え?」

「雨が降るたびに泥が階段に流れ込んで、毎回、部員総出で泥をよけるのも大変だと思ったから。それなら『泥の流れそのものを横にそらせないか』と思って」

「本当に? 青梅さんが一人で、あれを?」


 数メートル程度の長さとはいえ、幅と深さが数十センチあって底には石が敷き詰められていたのだ。細腕の少女である青梅さん一人であれを作ることをやってのけたというのはちょっと驚きだ。


「そうだったんですか?」と御嶽さんが目を見開いて驚愕する。


「うん。ほら、アレルギーのせいで春と秋は水やり当番をこなせなかったからせめて何か手伝えないかと思って、時間が空いているときにこっそり作っていたんだ。役に立つかどうかわからなかったし、部長に余計なことするなって言われるかもしれないから黙っていたんだけど」


 青梅さんの答えに日野崎も「へえ! そんなことしていたんだ。すごいねえ」と頷きながら感心した。


「いやでも。結局すぐに泥が詰まっちゃうから、雨が降りそうだと思ったときに溝に溜まった泥は除けないといけなかったし」


 つまりは青梅さんが人知れず排水溝を作っていたから、ここ数か月は階段道が泥で通れなくなるような事態を避けることができたのか。


「だけど『雨が降りそうなとき』って言ったって、事前に雨がいつ降るのか判るものなのか?」


 僕の素朴な疑問に彼女は照れるように顔を赤らめながら答える。


「私、次の日に雨が降るかどうかなんとなく判るの。……ほら独特の湿った空気の匂いみたいなのはあるでしょう。あれのもう少し微かな感じが肌でわかるっていうか。もちろん百パーセント分かるわけじゃないけど、私が大雨が降ると思った次の日には必ず降るんだ」


 要は降るかどうかが微妙な小雨か時雨程度は予想できないが、大雨は確実にわかるということだろうか。嗅覚に敏感な彼女ならではの能力かもしれない。


 一方、横で聞いていた明彦は頭を掻きながら眉をしかめてみせる。


「確かにそれは大した特技だが。……今回の鉢植えを持ち出された件と直接の関係はなさそうだぜ」

「ああ、そういえば話が横道にそれたね。……ほかに何か見つからなかったの?」


 日野崎が明彦に向きなおって尋ねた。


「温室には大して変わった様子はなかったな。この間の雨風の影響か枝か何かがぶつかって破れた跡はあったけどよ。土手の階段道のほかに通れそうな道は見つからなかった」

「そうなんだ」と彼女は残念そうな顔になる。


 明彦の言うとおり、確かに階段道のほかに経路はなさそうだった。そうなるとやはり土砂崩れが起きる前の二日前の夕方に誰かが持ち出したのだろうか。


 いや待てよ、と僕は一つの考えを口にする。


「でも、思いついたんだけど。さっき石神くんがやったみたいに木を登って温室に行くことはできるんじゃないか」


 そう。僕には不可能だが、ある程度身軽で運動神経に優れた人間であれば実行可能な方法である。この方法を使えば「階段道が埋もれた後」でも温室に行けるはずだ。


 しかし「いや、それはないですね」と即座に御嶽さんが僕の言葉を否定した。


「どうして?」

「私、壊れた鉢植えが見つかった朝は当番で早く来たのですけど。……このあたりの土はまだ雨上がりでぬかるんでいました」

「え、それじゃあ。もしかして」

「はい。もしそこの木を昇り降りしていたのだとしたら往復した『足跡』が残るはずです。でも私が見る限りそんなものはあの時なかったんです」

「例えばだけど、ホースで水をかけて足跡を消した可能性はないかな」

「ええと。ご覧の通り水道とホースはすぐ隣の野球場の前にありますが、あそこも校舎までの間は土がむきだしですから。やっぱり、そこから戻るときに足跡が残ってしまうと思います」


 言いながら御嶽さんは土手と実習棟の中間にある野球場横の水道場を指さして見せた。


 つまり木を登ったわけでもないのであれば、やはり階段を使ったことになる。そして階段道を使用できるのは鉢植えが見つかった日の前日、泥が流れ込む前の雨が降っているときか降り出す前ということだ。


「ああ。でもそういえば、校舎側から土手の途中まで続く足跡ならありましたね」

「途中まで、か」

「ええ、一方通行の足跡ですから。関係あるのかと言われるとよくわかりません」


 それだと必ずしも土手のほうに行ったのかどうかはわからない。事件と無関係の誰かが土手と隣り合った野球場のグラウンドに向かって、そのままグラウンドの別の出口から出て行っただけかもしれない。


「……そうか。でもその日の朝、ほかに何か不自然なことはなかったかな」


 僕が一縷の望みをかけて御嶽さんに尋ねた、その時だった。


「ねえ。ちょっといいかな」


 振り返ると青梅さんが花壇のところにたたずんでいた。


 花壇には育てている花が倒れるのを防止するためのネットとそれをロープで固定するための支柱がいくつか立っている。もっとも先日の雨の影響で支柱のいくつかは傾いていてロープも緩んで無秩序に絡んでいるようなありさまだ。そして、彼女は何かを探すようにその支柱の内側を覗き込むような姿勢をとっていた。


 僕らは彼女の近くまで歩み寄る。


「どうかしたのか?」と明彦が声をかけた。

「いや、ここにあったはずのオーナメントが一つ無くなっていて」 

「オーナメント?」


 日野崎がああ、と思いついた顔で語り始めた。


「というと、あれだね。対戦して勝ったほうが残っていって、優勝者を決めるという」

「それトーナメント」と僕は間髪入れずに突っ込んだ。


 オーナメントといえばクリスマスツリーなどの飾りのことを指すことがあるが、ここで言っているのはおそらく園芸用の庭に飾るのに使う人形などの置物のことだろう。


 僕は花壇の横でかがんでいる青梅さんに質問する。


「どんなものだったのかな。その無くなったオーナメントというのは」

「陶器でできていて、キノコの形をしているの。『メルヘンチックな妖精の森みたいな演出したい』って何代か前の先輩が買ったものなんだ。七つあったのに六つしかない。無くなっちゃったのかな」


 その言葉に御嶽さんも不思議そうに首を傾げた。


「確かに一つ足りませんね。先週まではあったはずですよ?」

「それって……これか?」


 振り返ると明彦が花壇から少し離れた校舎の脇にあるプランターのあたりに近づいて何かを指さしていた。見るとそのプランターの下あたりに確かに目立つデザインの赤色のかさのキノコが転がっている。


「そう、それです。そんなところにありましたか」


 明彦はそっと作り物のキノコを拾い上げると、御嶽さんのところに持ってきて手渡した。


「これも、二日前の風雨のときに転がってきたってことなのか?」


 首をひねる明彦に、御嶽さんも眉をひそめて記憶を探るような表情で口を開く。


「そういえば壊された鉢植えが見つかった日の朝、ここの支柱が五本ほど倒れていたんです。それくらい強い風が吹いたということなのでしたら、その時に花壇の下に落ちて転がって行ってしまったのかもしれませんね」


 その言葉に日野崎が「ふうん、でも倒れた支柱ってこの一角だけ? 何か不自然じゃない」と疑問を呈した。


「土砂崩れが起きるくらいの雨風だったら、支柱が倒れてオーナメントが花壇から落ちてもおかしくないが、真ん中のこのあたりだけってのはおかしいかもな」


 明彦も腕組みをしながら同意する。


「何かの手掛かりにはなるかもしれないね。……何にせよ現場で調べられることはこのくらいかな。それじゃあ後は犯人かそれに関係していそうな人間を探して話を聞こうか」


 僕のつぶやきに御嶽さんが「確かにそれができればいいかもしれませんが……、それって誰なんです?」と反応した。


「つまり園芸部以外で温室があると知っている人間だよ。園芸部の内部に犯人がいるという可能性も考えたけど、もしそんな人間が青梅さんに濡れ衣を着せるつもりでやったのなら、青梅さんが辞めた直後とかもっといいタイミングがあると思うんだ。」


 顧問の先生に選んでもらったという大事に世話をされているバラを、部員が粗末にすることはなさそうだという僕の心情的な理由もあるのだが。


「だからむしろ、園芸部の内情には詳しくないけどたまたま温室のことは知っている、そんな人間が怪しいと思っているんだ。心当たりはあるかな」と僕は御嶽さんに話を向けた。


「それでしたら、まずはさっきの石神くんです。私と同じクラスだったんですが、去年土砂崩れが起きたときにも同じように水やりをやってもらっていまして、その時から温室のことは知っていたはずです」

「ああ、君と同じクラスだっけ。ということは二年C組か。他には?」

「ええと。一年生で以前部活の見学の時にたまたま温室の水やりについてきた男の子がいて、その後も入部はしなかったですけどたまに遊びに来るんです。確か一年A組の福生という男子だったかな」

「一年生男子か。……話を聞くのには誰かの紹介が要るかな」

「後は二年生の女子部員の一人と付き合っていて、温室のバラを見たいって来たことがある男子生徒がいます。二年A組の牛浜くんです。……少なくとも私が知るかぎり過去数か月で温室のことを聞いた部外者はそんなところですね」


 石神くんに一年の福生。それに二年の牛浜という男子生徒か。


「なるほど。ありがとう。かなり参考になったよ」


 僕が礼を言って軽く頭を下げると、彼女はその後「どういたしまして」と手を振ってその場を去っていった。御嶽さんの背中が見えなくなったところで僕は明彦に向きなおる。


「それじゃあ、後は今聞いた三人に二日前の夕方どこで何をしていたのか聞いてみるとしようか。その答えによっては手掛かりがつかめるかもしれない」


 彼は僕の言葉に何か答えかけるが、その隣で首を傾げた日野崎が「うーん」と不思議そうに唸っていた。


「どうかしたのか?」

「いや、さ。確かに月ノ下の言うとおり、園芸部員以外で温室の存在を知っていたその三人が怪しいとは思うよ? でもその中の誰かが犯人だったとして、なんでバラの鉢植えを壊すようなことをしたんだろうと思って。部員じゃないなら園芸部員と深い人間関係もなさそうだし嫌がらせをするような理由なんてあったのかな」


 彼女の素朴な疑問に重ねるように青梅さんも首をかしげる。


「……そうだね。壊されていたバラは沢井部長のものだったのだけど、彼女のことを部外の人が嫌う理由も少ないと思う」


 確かにそのあたりは疑問が残るが。


「そこは、……今のところはまだ情報が足りないから何とも言えないな」

「話を聞いてみりゃあ、何かわかるんじゃねえか? 今日の放課後にでも、俺と真守で行ってくるからよ」


 頭を掻きながら軽い口調で明彦がその場をまとめて、僕らは解散したのだった。

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