第25話 園芸部でのいざこざ
園芸部が普段活動している花壇は野球部のグラウンドと実習棟に挟まれた小さな広場にある。午後の日差しが花壇の中に植えられた色とりどりの花を照らし出していた。
その横でジャージ姿の生徒たちが水やりや雑草取りなどで動き回っている。
青梅さんの話を聞いて数分後。僕と明彦はさっそく園芸部の話を聞くためにこの場所に足を踏み入れたところである。
隣の明彦が「さて、どうする?」とこっちを見やる。
「まずは警戒されないようにさりげなく話を聞いてみよう」と答えると僕は部員たちの様子を窺いながらそっと近づいてみる。
「えーと。……すみません」
たまたま近くで花壇に水をやっていた部員の一人に声をかけると、その少女は何事かと言いたげに無造作に振り返る。
「作業中に何? あなたたちは……月ノ下に雲仙だっけ?」
眉をしかめながら返事をしてきたのは、ショートカットに丸顔の不愛想な雰囲気の少女である。学年が同じなので僕らのことを知っていたらしい。僕の方も彼女には見覚えがある。
「A組の和田さつきさん、だったよね。ちょっと聞きたいことがあったんだ」
「今、見てのとおり部活動中で忙しいから。……手短にね」
「いや、実は園芸部ってバラを育てている温室があるって聞いたから見に来たんだけど、どこにあるのか教えてもらっても良いかな」
「温室? ああ、向こうの奥にある土手の上にあるよ。……でも今は出入りができないんだ。この間の雨で泥に埋もれちゃっているからさ」
彼女は広場の奥を指さした。野球場の右脇にあたるその場所には雑草がまばらに生えた土手がある。そして、土手の中に泥に覆われてはいるものの坂道のようなものがあるのが判った。鉄棒でできた手すりのようなものも設置されていて、急な傾斜を斜めに横切って上のほうに続いている。
「へえ、それじゃあバラを見ることはできないのか。そりゃあ残念だ。一度見てみたかったんだがなあ」と明彦が興味を持ったふりをして話しかけた。
「どっちにしたって今はやめた方が良いよ。みんな神経質になっているから」
「神経質に? 何かあったのか?」
「この間、ここでバラの鉢植えが壊されたんだよ」
「……それはひどい話だな」
「そうでしょう? 前にうちの部にいた青梅ってやつが嫌がらせで壊したんだよ」
僕としては青梅さんが壊したとは思えないが、せっかく明彦が上手く話題を誘導してくれたのだ。ここは表面上だけ相手に同意しながら情報を引き出すことにしよう。
「ちなみにどんな状況だったんだ?」
「バラの鉢植えはさっき言った通りあの土手の上の温室に保管してあったんだ。顧問の先生が部員全員に買ってくれて、みんな大事にしていた」
僕の質問に和田さんはかろうじて感情を抑え込むような調子で説明した。
「そのうちの一つが今日の朝に来たら、壊されていたってことか」と明彦が相槌を打つ。
「そうなんだよ。でも昨日の雨のせいで階段道が通れなくなっていたから、今朝バラを持ち出すことはできないでしょう? そうすると前日の最後まで残っていた青梅にしかできないってわけ。うちらは雨が降り出した十七時過ぎくらいに部活を切り上げたから、見張る人なんていないしね」
「それで、昨日の最後まで残っていたのが青梅だってなんでわかるんだ?」
「実習棟は放課後に部活で残っている生徒が使っているでしょ。それで職員室の貸出簿を見たら、最後に実習棟の鍵を返したのが青梅だったんだよ」
和田さんは話しているうちに苛立ってきたのか早口で返す。
彼女の言い分からすると、普通は部活もないのに遅くまで残る生徒はいない。そして花壇のすぐ近くにある実習棟で最後まで残っていたのが青梅さんだから怪しい、ということのようだ。
「あー、でもよ。例えば野球部とかバスケ部とか運動系の部活も同じくらい遅く残っているやつは他にもいると思うんだが」
さらに明彦が尋ねると和田さんはさらにむっとした表情になる。
「だって、無関係な人間は普通嫌がらせしようなんて思わないでしょう。青梅はね。『体が弱い』とか『匂いが苦手』とか言い訳して花壇の世話を同じ学年のあたしたちに押し付けていたんだよ。一年の時はまだ回数が少なかったけど、二年になってからそれがさらにひどくなったんだ」
園芸部は毎日植物の世話をしないといけない。土日も交代で朝と夕方の二回、誰かが交代で花壇の世話をすることになっていると聞いたことがある。
しかし部員の一人である青梅さんがそれをできないとなれば、当然その分のしわ寄せは他の部員に行くことになる。
彼女たちの立場からすれば青梅さんが不興を買うのも仕方ないことなのかもしれない。
「それでやる気がないならやめりゃあいいのにって思っていたら、沢井部長にも説教されてその直後に退部したの。きっとそのことを逆恨みして、今頃になって嫌がらせに沢井部長のバラの鉢植えを壊したんだよ」
「そうなのか。でも例えば、他に怪しい人間を目撃した話とかは……」
僕が青梅さん以外で容疑者になりそうな人間はいないか確かめようとしたところで、背後から「さっきから部外者が邪魔をしているようだけど、何のつもりなのかな」と咎める声が投げかけられる。
振り返ると背が高くて色の黒いつり目の女子が僕らをにらみつけていた。
「沢井部長。……こいつらが絡んできたんですよ」と和田さんが被害者意識を前面に出しながら言いつのる。
どうやらこの女生徒が園芸部長の沢井という人物のようだ。沢井部長はふんと鼻を鳴らして腕組をして見せる。気が付くと周囲のほかの園芸部員たちも僕らのことを不審な目線で凝視していた。
「月ノ下と雲仙だっけ? なるほど。あのサッカー部のおせっかいやき、日野崎とよくつるんでいる二人だねえ」
「いや、僕らはただ……」
部活の邪魔をするつもりではなかったと弁解しようと思ったのだが、僕の言葉を遮るように沢井部長は続ける。
「そういえば、昼休みに青梅に謝罪させようと思ったら、日野崎が横から顔を突っ込んできたっけ。……そういうこと。青梅の奴、謝るのが嫌だから日野崎とあんたら男子を味方につけたってわけ。大人しそうな顔して人に媚びるのは上手いんだ」
ああ、嫌だ嫌だと彼女は吐き捨てた。その言いぶりに少し僕もカチンとくる。しかしここで喧嘩をしても何にもならない。僕は懸命に自制しつつ反論しようとする。
「僕らは別に青梅さんに頼まれたってわけじゃない。……ただ、間違ったことで何もしていない人が責められるのは良い気分じゃないんだ。君らと敵対するつもりもない。本当は何が起こったのかはっきりさせたいだけだ。それで園芸部が損をするわけでもないだろう?」
沢井部長は「ふうん」と目を細めて「じゃ、勝手にしたら。ただし結果はあたしらにもちゃんと教えてよね。証拠もそろえて」と挑発的に両手を広げながら告げた。
その高飛車な言いぶりに「はあ?」と明彦が不満の声を上げる。
「だってそうでしょう? 調べた結果、やっぱり青梅が犯人だってわかったのにそれをそのまま黙っておかれたら私たちが泣き寝入りじゃないの」
僕はその言葉に少々面倒なことになったと思いながらも「わかったよ。その代わり、青梅さんが何もしていないとわかったら疑ったことをちゃんと謝ると約束してくれ」と答えて明彦とともにその場を後にしたのだった。
ガチャリと音を立てて、明彦が下駄箱の扉を閉める。
「大見得を切ったのは良いが、さてどうするよ?」
眉をしかめつつ彼は僕を横目で見た。
園芸部との険悪なやり取りのあと、僕らは帰路に就くべくカバンを持って昇降口で上履きを履き替えたところだった。
「冷静に考えるとちょっと厄介な状況かもしれない」
僕としたことがつい感情的になって、園芸部員たちに青梅さんの無実を証明することを宣言するような形になってしまった。それもかなり敵対的な勢いで。
「これで僕らが調べて何も出てこなかったら、部員たちは勢いづいて『青梅さんが無実である証明はできなかった』『やっぱり一番怪しい彼女が犯人だ』と結論付けるだろうな」
「実際さ。『何かをやったことの証明』ならともかく『やっていないことの証明』なんて難しいぜ。特に不特定多数の人間でも実行可能な状況ならな。いわゆる悪魔の証明っていうやつだろ、これ」
不特定多数でも実行可能、か。
僕は靴を履き替えると、校門のほうに足を向けつつ彼の言葉に応える。
「確かに土砂で階段が通れなくなる前に、誰かが温室まで登って鉢植えを持ち出したのだとしてそれができる人間はたくさんいる」
「だろ? 遅くまで残っている運動部員は普通にいるし、俺らみたいな帰宅部でたまたま残っている奴らだっている」
「でも、その中で園芸部の温室のことを知っている人間は限られるだろう。僕らでさえ、二年間その存在を認識していなかったくらいだからね」
校門を出た僕らは、ゆっくりと最寄りのバス停まで歩きながら会話を続けた。
「確かにあのあたりに出入りしているのは園芸部員くらいだからな。部外者であそこに温室があると知っている人間自体がかなり限定されるんじゃないかってことか。だがそれをどうやって調べる?」
「もう一度、園芸部員の誰かを捕まえて聞いてみるしかない、な」
「……そうなるか。だが園芸部の部長とあれだけやりあった後だぜ。それも他の部員たちも見ている前で、だ。協力してくれる部員がいるのかね」
「そこは青梅さんに紹介してもらおう。園芸部員で青梅さんを犯人候補という色眼鏡で見ていない友好的な立ち位置の部員がいないか、僕が訊いてみるよ。……明彦はどう思う? 他に何か方針はあるかな」
僕の質問に彼は「ふむ」と頷くと「そもそもさ。俺たち、問題の温室とやらを見ることができていないんだよなあ」とぼやくように呟いた。
「……確かにそうだね」
問題の鉢植えがあったという階段を上がった先にある温室。しかしそこへ続く道は今日見た限りでは泥で埋もれていて未だに通ることができない状態なのだ。
もしかしたら犯人の痕跡が残っているかもしれない。それに……。
「『土砂で埋もれて階段が通れない』『だから温室に行くことができたのは前日の夕方までだ』っていう前提だって、実際に見てみないと本当なのかわからない。もしかしたら無理をすればあの泥まみれの階段道を上がっていくことだってできるかもしれないし、他に温室まで行く方法があるのに気がついていないだけかもしれない」
僕の見解に明彦も考え込むような表情で同意してみせる。
「まあな。だが、それにしたって園芸部員たちと敵対している現状じゃあ調べづらい。つまりなおのこと部内の協力者が要るわけだ」
「時間がたてば手掛かりがなくなる可能性もあるな。明日にでも動いてみようか」
明彦が「よし。それじゃあ協力者の目途がついた時点で、俺も付き合わせてもらうわ」と僕に言葉を返したところで路線バスが停車するのが見えたので、僕らは乗り込むべく速足で駆け出したのだった。
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