第24話 書道部員の受難
本校舎の廊下には生徒たちの喧噪が響いていた。隣の明彦が憂鬱そうな表情でぼやく。
「ううむ。やっぱり新しい部活の発足となると、なかなか認めてもらえねえなあ」
星原と勉強会をした数日後の放課後である。僕は掃除当番を済ませた後、明彦と雑談を交わしながら教室に戻ろうとしていたところだった。
彼は「eスポーツ部」を設立させるために先日から何人かの生徒に声をかけて部活に必要な最低限の人数を集めたのだそうだ。しかしクラス委員会に申請したところ案の定、立ち会っていた教師から「何らかの実績を上げない限りは大した予算はつけられない」「高機能のパソコンを購入するのはどのみち困難なのだから、今はまだ同好会のままでもいいのではないか」などと難色を示されて、結局いい返事はもらえないまま委員会を後にすることになったのだという。
「仕方ないって。コンピュータゲームの部活といっても『遊んでいるのと大差ないんじゃないか』って偏見がある先生も多いだろうし。顧問の先生だってまだ見つかってない状態なんだろう?」
「まあな。いや、変に体育会系のやる気にあふれた先生が顧問になった挙句『右クリック、五百回!』とか言い出して、間違った方向に情熱を燃やされても困るけどよ」
「……なかなかシュールな練習風景だね。実際『eスポーツ』ってどんなトレーニングをするのか確立されていない感じではあるけれど。動体視力や反射神経を鍛えたりするのは一応意味があるのかなあ」
僕らがそんな益体もない会話をしていたその時。
「……あれ?」
廊下の片隅で見知った顔が並んでいるのが目に入ってきたのだ。
一人はセーラー服を身にまとって髪を結いあげたスポーティな雰囲気の少女。クラスメイトの
そこに立っていたのは眼鏡をかけて黒い長い髪を背中まで伸ばした大人しそうな少女だ。伏し目がちに今にも泣きだしそうな表情で立ち尽くしている。あまり話したことはないが二年の時に同じクラスだったので名前は知っていた。確か書道部の
「元気だしなって、青梅さん。あたしがそんな奴らとっちめてやるから」
「……うん、でも日野崎さん。私も、もう仕方ないと思っているし」
何やら穏やかでないやりとりが聞こえてきた。
どうやら青梅さんが何かのトラブルに巻き込まれて、そこを人がいい日野崎が見かねて慰めていたという状況のようだ。
なんとなく僕も気になってつい声をかけていた。
「えーっと、日野崎。……何しているんだ」
「ああ、月ノ下。それに雲仙も。ちょっと聞いてくれない? ひどいんだよ、本当」
何やら憤慨した様子の彼女に僕と明彦は一瞬、顔を見合わせる。
どうやら込み入った状況のようだが、ここで背を向けるのはまずいような気がしていた。というのはこの日野崎という少女、根は善良そのものなのだが直情径行な一面があり放っておくと腕ずくでも道理を通そうとする傾向があるのだ。
「わかった。ちょっと場所を変えようか」
「ああ。ここだと人目があるしな。ちょっと校舎裏あたりに行こうぜ」
僕の目配せに明彦も頷き返したのだった。
本校舎の裏は校門までの道路と駐車場があるだけの殺風景な空間で、この時間帯はほぼ無人と言っていい。僕らは昇降口を出てすぐのところで、顔を突き合わせるような形でたむろしていた。
「それで、いったい何があったんだ?」と僕は日野崎に話を向ける。
「いや。実は今日、あたし書道部に用事があったんだけどね」
「へえ? 書道部に?」
「うん。うちの部が前の地区大会で三位に入賞したから、何かアピールしようってことになってね。ほら、野球部も『大会進出決定』って実習棟の屋上から垂れ幕で掲示してるじゃない」
「ああ、あれか」
実習棟は大きめに建てられた一階建ての校舎だが、そこの屋上から数日前に野球部が春季大会の本選に進出したことを祝した垂れ幕がぶら下がっているのは僕も知っていた。
「うちも垂れ幕とはいかないまでもさ。大きく張り紙くらいしてもいいんじゃないかって話になったの。『祝! 三位入賞』ってさ。どうせなら毛筆で大きく書いて作業教室棟の廊下にでも貼っておこうと」
「それで?」
「だけど、綺麗な字を書くのに自信がある人が部内に居なくてね。それで、そういえば青梅さんって書道部だったな、と思って知り合いのよしみで書いてもらえないかと思って今日の昼休みに彼女のところを訪ねたわけ」
「ああ、日野崎の字って金釘流だもんなあ」と横で聞いていた明彦がからかうように頷いてみせる。
「性格が出ているっていいたそうだね。それを言うなら、雲仙の字なんてのたうっていて尻切れトンボじゃない」
明彦と日野崎がじゃれあって話が横にそれたので、僕は先を促す。
「それで、書道部で何があったんだ」
「あ、うん。ごめん。……そしたら青梅さんが園芸部員の人たちに絡まれていたんだ」
聞いたところによると、昨日青梅さんはたまたま実習棟に忘れ物をしていたので授業が始まる前の早朝に取りに来たのだという。
すると、建物のすぐ横にバラの鉢植えが転がっているのを見つけた。それも鉢が割れて中の土がむき出しになって転がっている状態で幹が折れかけている状態だった。
彼女は水やりに来ていた園芸部員が来るのを待ってから、すぐにそのことを知らせた。しかし園芸部員たちは感謝するどころか「彼女自身がバラの鉢植えを壊した犯人なのにそ知らぬふりをしているのではないか」と決めつけて、昼休みに押しかけて彼女をつるし上げていたのだそうだ。
「ええ? でも青梅さんはただの第一発見者なんだろ? なんで鉢植えを壊した犯人なんてことになるんだよ」
話を聞いていて僕は理解できずに首をかしげる。
「それが……状況がちょっと特殊で」
青梅さんは落ち込んだ様子で目を伏せながらも話を続けた。
「問題のバラの鉢植えなんだけど。顧問の先生が昨年部員みんなに贈ってくれた大事なものなんだ。それぞれの色も部員のためにひとりずつ選んだもので。……だから花壇の奥にある温室の中に保管されていたの」
「温室? そんなものあったのか?」と明彦が疑問を口にする。
「ほら、園芸部の花壇は実習棟の裏にあるでしょう。その向こうにある土手に細い階段道があって、そこを上がったところにあるんだって」
日野崎が横から説明して、青梅さんが頷く。
「うん。だけど昨日の夜に降った豪雨のために、その階段道は『土砂が流れ込んで通れない状態』になっていたの」
そういえば昨日、夕方から夜にかけて強めの雨が降っていたな。軽い土砂崩れを起こすほどの雨だったのか。そしてそれによって温室に続く階段道が通れなくなったということは……。
「つまり昨日の夕方、『雨が降る前』に誰かが持ち出して壊したことになるのか」
「そうなの。それで書道部の部室は実習棟の多目的室なんだけど。たまたま私が部活で実習棟に『最後』まで、校門が閉まる直前の『十九時過ぎ』まで残っていたから」
「じゃあ、君がそのときにバラの鉢植えを温室から持ち出して壊した。そして翌朝に第一発見者のふりをしたんじゃないかと。園芸部員たちはこう主張しているんだな」
「うん。でも私が帰るときには実習棟の横には何もなかったと思うんだけど」
青梅さんが話を終えたところで、明彦が呆れたと言わんばかりに大げさに肩をすくめて見せる。
「それ、別に青梅じゃなくても、園芸部員たちが帰った後で他の人間がやったっていう可能性もあるじゃねえか。決めつけが過ぎるぜ」
「……私、園芸部の人たちにあまりよく思われていないんだ」
「よく思われていない? なんでだよ?」
ぽつりとつぶやく青梅さんの言葉を明彦が問いただした。
「私、もともと去年の夏くらいまで書道部じゃなくて園芸部に所属していたの」
「へえ? ……どうしてやめちゃったんだ?」
僕の疑問に彼女は恥ずかしそうに首を振りながら答えた。
「体を動かすのは向かないし、みんなで何かを世話するのは楽しそうだな、って思って入ったんだけどね。私、アレルギー体質で……」
「ああ、そうか。それで植物の世話が難しいって話になったのか」
「そうなの。……いや、最初は『そこまでひどくはならないんじゃないか』って自分では思っていたんだけど。春先の花粉とかでくしゃみがでるだけじゃなくて、臭いとかでも頭痛がするようになったんだ。嗅覚過敏ってやつみたいで」
確かにアレルギーが出る人って臭いにも敏感だという話は聞いたことがある。
「それで結果的に水やりとかの世話をするのもほかの部員に頼むことになってしまって。ああ、これ以上は迷惑かけちゃうと思って数か月後に自主的に辞めたんだよね」
「だけど、体質の問題なら仕方ないと思うよ」
「ありがとう。……でも園芸部の人たちからすれば『自分のやるべきことを人に押し付けた挙句、部活から逃げた』って思っても無理はないんだよ。アレルギーなのは自分でもわかってはいたけど、ここまでひどいと思っていなかったし。実際、沢井さん……園芸部の部長だけど、彼女も辞める直前に私に怒っていたんだ」
青梅さんは当時のことを思い出したのか、悲しそうにうなだれていた。
「だからってやってもいないことで責められるような謂れなんてないはずでしょう。証拠もないのに」
隣で日野崎が眉を吊り上げながら「ふん」と鼻を鳴らした。
「それで日野崎としても助けてあげたくなったのか」
日野崎は以前、サッカー部で周りの部員にふとした誤解から理不尽なまでに敵視されて一度部活をやめた過去があるのだ。彼女からすれば今回の青梅さんのことが他人事とは思えないのだろう。
「うん。だってこんなの、いちゃもんじゃない。いじめじゃない。納得がいかないよ」
彼女は腕を組んで僕に力強く首を縦に振って見せる。
「言い分はわかったよ。でも、そういうことなら園芸部員たちに『青梅さんは犯人じゃない』ってきっちり証明しないといけないだろう」
「そうだな、俺らで調べてみるか」
話を聞いていた青梅さんはここできょとんとした顔になる。
「え? 愚痴だけでも聞いてもらえればっていうつもりだったのに。どうして私のためにそこまで?」
そこの男前な女子が放っておくと何をするかわからないからです、と心の中でつぶやきつつ「まあ、乗り掛かった舟だよ。まだ役に立てるかどうかはわからないからあまり期待されても困るけど」と僕は青梅さんに答える。
「やれるだけのことはしてみるからよ」と明彦も親指を立てて見せる。
青梅さんはそんな僕らをぼんやり見つめてから、日野崎に問いかけるような目を向けた。
「……いや、まあ月ノ下たちには何度か助けてもらったし頼りになるんだよ」
「はあ、……それじゃあお願いするね」
日野崎の答えに青梅さんは戸惑いながらも頭を下げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます