第22話 「首謀者」と結末
屋上で副リーダーを無事に見つけた翌日のこと。
僕は掃除当番で教室のごみを廃棄物収集場に置いてから教室に戻るべく本校舎の渡り廊下を歩いていた。すると待ちかまえていたかのように巻き毛のモデル体型の少女が向かい側から現れる。
「ああ。月ノ下先輩じゃないですか」
それは写真コンテストにリクエストを出していた「ブローカー」こと神保小町さんだった。
「……神保さん」
「猫は無事見つかったんですか?」
「おかげさまでね」
「それは何より」
彼女は小さく頷いて流し目を送る。そのどこか妖しげで蠱惑的な表情に僕は別のところで見覚えがあることに気が付いた。
「神保さん。折角だから訊きたかったことがあるんだけど」
「何ですか?」
「写真部の春日さんは他の部の部員募集の広告や看板を作ることで、普段は入れない各部活の練習場所や立入禁止の場所に入って撮影をしていたんだ。あの写真を撮った屋上もそうだった」
「……」
「神保さんはその事を知っている節があったね。もしかしてこの間、僕が見せたあの写真に映っていたモデルは君なんじゃないか?」
そう、あの断崖に腰かけて顔の上半分を和傘で隠したミステリアスな少女。僕は目の前の神保さんにそれと同じ雰囲気を感じ取っていたのだ。
彼女は「ああ、気が付いちゃいましたか」と悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「まあ種明かしをしますと、私は春日さんと中学時代からの友人でして。写真のモデルになってあげたこともあったんです」
ということは彼女も立入禁止の場所に入って撮影することに協力していたわけで、春日さんの「共犯」だったということになるが。
「ついでに言うと、あの『部員募集の看板を作成することで、モデルや撮影場所を確保できる』というアイディアも私が彼女に提供したものなんですよ」
「君が……? なぜ春日さんにそんなことを?」
「見返りとしてやって欲しいことがあったからです。ほら、あの写真コンテストの企画ですよ」
写真コンテスト。そうだ、神保さんはあの写真コンテストにたて続けにそれも不自然なくらいにテーマをリクエストして写真を募集していた。
「あれは神保さんが春日さんに頼んでやってもらっていたのか。……何のために?」
「男子の情報を集めて女友達に提供するんです。……あの写真コンテスト、賞品を決めてテーマごとに写真を募集することになっているではないですか。こうすることで好みの条件の男子とその連絡先を集めることができるんですよ」
「は? どういうことだ?」
「つまりですね。例えば『自分と趣味の合うスポーツ系男子』と付き合いたい、と思う女子がいたとします。その場合は『自分の部活動の風景』というテーマで写真を募集して、運動部の男子を選別するんですよ。賞品は『自分の趣味に関連したもの』にすれば同じことに興味がある人が応募してくるでしょうからね」
彼女は淡々と説明を続ける。
「あるいは、将来を考えて一戸建て住宅に住んでいるような『そこそこの資産がある家の男子』と付き合いたいと考えている女子がいたとします。その場合は『自分が飼っているペットの写真』というテーマで募集します。大概の賃貸住宅はペット禁止ですからね。これも付き合ったときに話が盛り上がるように賞品は自分の趣味に関連したものにするわけです」
「いやいや、写真コンテストに男子だけが参加するとは限らないだろう。それに見た目だって好みの相手が来るかわからない」
僕の反論に神保さんは「はい」と笑って頷いて見せる。
「だから賞品を受け渡すときに直接教室に来てもらって、外見を確認するわけです。要は好みの彼氏を探している女子にその候補を仲介してあげているってことです。良いなと思う男子が来たらあとは『コンテストにこの写真投稿したのはあなたなんですよね。もしかして私と同じ趣味があるんですか』と理由をつけて声をかければ知り合いになれるわけです」
コンテストに僕らが応募した時、あっさり入賞したわけである。写真を募集した神保さんとしては撮影の上手い下手なんて問題ではなかった。応募してきたという事実と被写体が一定の条件を満たしていればそれで問題なかったのだ。
それに入賞者が各テーマに一名だと決まっているわけでもない。おそらく賞品も多く準備しておいて、参加者のほとんどが入賞することになっていたに違いない。
「じゃあ、賞品を受け取るために教室に行ったときに女子が何人かいたのは……」
「ええ、私の顧客です。一定の人数を紹介すれば見返りがありまして」
僕はため息が出そうだった。
あの時。僕が賞品を受け取るために教室に入ったあの時。
部屋の片隅で何人かの女子生徒が「六十点」だの「四十点」だのと言っていた。僕はてっきり授業のテストの話だと思っていたが実際はそうではあるまい。あれは「僕よりも先に入った明彦に対しての品定めの結果」だったのだ。
神保さんがアカウントとして使っていた名前「ブローカー」つまり「仲介人」という名前が彼女の立場を最初から暗示していたではないか。出会いを求める女子生徒に「理想の相手を仲介していた」という訳だ。
彼女の見返りというのが何なのか。「掃除当番を代わる」とか「昼食をおごる」とかなのか、はたまた現金なのかはわからないが、彼女にもそれなりのメリットがあってのことなのだろう。
「ちなみに、春日さんはどうして写真コンテストに参加していたんだ? まあ写真部員が参加しちゃいけないってこともないだろうけど。君の企画の意図を知っていたのなら、参加する意味はないような気がするんだが」
「ああ、いわゆるサクラってやつです。誰も応募していないと一般の参加者が寄ってこないですからね。賞品目当てで客寄せするにしても競争は煽った方が良いですから」
「……へえ」
「月ノ下さんたちのおかげで紹介する人数のノルマを達成できたので、そこの所は感謝しています。いやあ、ありがとうございました。……そういえば、訊きたいですか? うちの顧客が月ノ下さんにどれくらいの評価をしたのか」
僕は一瞬沈黙してから、首を振りつつ丁重にその申し出を断った。
そんなことは聞くまでもない。もし、僕があの場にいた女子たちの眼鏡にかなったのであればとっくになんらかのアプローチがされているはずではないか。
数日前、星原は雑談の中で僕に語った。
『そういえば『猫の皿』なんて名前の小噺があったかしら』
その昔、陶磁器のたぐいを安く買いたたいては高値で転売することを生業とする男がいたという。
ある日のこと。
その男は旅先で茶屋に入った時に主人が猫にエサをあげているのを見かけた。だが男はエサが載っている皿を見て仰天する。
その皿は「絵高麗の梅鉢」と呼ばれる三百両はする高価な皿だったのだ。
男は考える。こんな高価な皿を猫のエサやりに使うなんて、さてはこの主人は皿の価値を知らないのだろう。しかしいきなり皿を譲ってくれと切り出したら怪しまれてしまう。
男は何とか皿を手に入れようと一計を案じる。
「なあ、ご主人。そこにいる猫なんだが、昔飼っていた猫にそっくりで気に入ってしまったんだ。譲ってもらえないか?」
「そういわれましても、この猫は私も可愛がっていまして」
「ただとは言わない。三両だそう」
「三両ですか。そこまで言われるのでしたら」
主人が猫を譲ることを了承したところで、男はさらに畳みかける。
「しかし猫の方も飼い主ばかりか、身の回りのものも変わったらびっくりするだろうなあ。……せめてそのエサにやるのに使っている皿も一緒に持って行っていいかな」
猫をもらうことを言い訳に皿の方も譲ってもらおうとしたわけだが、主人はどういう訳か首を横に振る。
「いやいや。猫は構いませんが、その皿は譲れませんよ」
「どうしてだい」
「その皿は『絵高麗の梅鉢』と言いまして三百両はするのです」
その言葉を聞いて男は内心愕然とする。
なんだ。こいつ、皿の価値をわかっていやがったのか。
「それじゃあ、なんでそんな高価な皿を猫のエサをやるのに使っているんだ?」
内心悔しがりながら男が尋ねると主人はこう答える。
「はい。……こうしていると時々、猫が三両で売れるんですよ」
「『こうしていると時々、猫が三両で売れるんです』……か」
何とはなしに彼女たちの言っていた言葉を心の中で反芻する。
『こうすることで、貴重な撮影場所を確保できるんだ』
『こうすると好みの条件の男子とその連絡先を集めることができるんです』
環境管理型権力というのは、一定の環境を整えることで相手にそれと気づかせずに自発的に適正な行動をとらせる方法論である。
だが、違法な駐輪を防いだり列に並ばせるように促すような公共的な利益のためだけではなく、特定の集団が自分のために相手の思考を誘導することだってできるのだ。
人間は周囲の環境から否応なく影響を受ける生物だ。言ってみれば環境が「人格の鋳型」ともいえるかもしれない。
しかし、その環境がそもそも他の誰かが意図して作り上げたものだったとしたら、人間の意志はどこにあるのだろう。
「なあ、星原」
「どうしたの?」
僕はその日の放課後、星原と一緒に昇降口から校門に向かっていた。
「いや、この間の環境管理型権力の話なんだけど。あの方法論は使い方によっては大衆に正しい行動をとらせるように誘導することもできる。でもそれって結局、個人個人が『こうするのが正しい』と思っているんじゃなくて環境を作った側に『正しく行動させられている』だけなんだよな。……それってどうなんだろう」
「確かに、結局のところそこに個人の意志はなくて『何となくそうしている』だけなのかもしれないわね」
星原はいつものように静かな表情で呟いた。
「うん。だからもしも環境を作る側に悪意があったら、誰も気づかずにその人間たちに良いように利用されることもあるんじゃないかと思って。そういうのは少し怖いなって思ったんだ」
「確かに人間が環境に流されるだけの生き物ならばそうかもしれない。でも全ての人間がそうだという訳でもないでしょう」
「え?」
彼女は髪をかき上げつつ横目で僕をちらりと見ながら言葉を続ける。
「たとえ環境を管理されていたとしてもそれが正しく人を導くものならば、問題ないと思うの。逆にもしも悪意を持って環境を調整するような人間がいたら、いずれそれに気が付く人間も現れるはずだわ。……大切なのは誰もが自分の環境を見極めて、それが正しく人を導いているのか判断することではないのかしら」
「……そうだな」
もっとも僕にそれができるのかどうかはわからない。今回にしたって僕は神保さんの意図に気づくことができなかったのだ。彼女がしていたことが特段悪いことではなかったからよかったが。
それでも彼女の言うように僕は自分が悪い方に流されていないか見極めるべく努力するべきなのだろうな。
そんなことを考えながら彼女と並んで校門に向かって歩いていた、その時。
「あ! すいません!」
本校舎の裏でミニサッカーをしていた生徒たちのボールが僕らの方に飛び込んでくる。
星原が「おっと」と声を漏らしながらボールを足でトラップして、そのまま器用に相手の方に蹴り返した。
「……気を付けてね」
「ありがとうございました!」
ボールを返してもらった下級生は頭を下げる。
ボールを……蹴り返した?
「……星原」
「何?」
「ちょっと動くな」
僕はそのまま星原の足に巻かれていたスカーフをほどいた。すると以前はそこに貼られていた湿布はすでに貼られておらず痛めている様子もない。健康的な足首だったのだ。
「星原、どういうことだ? 僕はてっきりスカーフを巻いてあったからまだ足が治っていないと思っていたのに」
彼女は僕の質問に少しとぼけたような顔で答える。
「いや、湿布は取れていたのだけれど。スカーフを足首に巻くのも悪くないかと思って」
「あのな。僕がどれだけ心配していたと思っているんだよ。いつまでも星原の足が治らないから、もし重い症状だったらどうしようかと。……治ったのなら早く言ってくれよ。何の意味があってこんなことするんだ」
僕の物言いに流石に彼女も悪いことをしてしまったと思ったのか、困ったような表情で顔を赤らめながら僕を見つめてモゴモゴとこう答える。
「いや……でも、ね」
「……?」
「『こうしておくと』好きな男の子が私のことを家まで送ってくれるんだもの」
そんな言葉を言われた日には怒る気にもなれない。
環境管理型権力というのはその環境を作った側の意図が反映されたものだ。つまりこの場合の意図は「僕にそばにいてほしかった」というものだったわけで。
僕は目を反らしながらこう返すことしかできなかった。
「……じゃあ、とりあえず今日も家まで送るよ」
少なくとも今、彼女の隣にいたいと思うこの状況は決して悪い方に流されているわけではあるまいと心の中で僕は小さく呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます