第21話 「撮影場所」へ

 薄暗い作業教室棟の廊下を蛍光灯が照らしだす。


「さあ、行こうか」


 僕は写真部の部室扉に手をかけて、他の三人を見やる。明彦は興味深そうな顔で笑い返し、緊張した面持ちの巴ちゃんも頷く。すました顔の星原は黙って僕の様子を窺うだけだ。


 翌日の放課後。僕らは猫が映っていた写真の撮影者に会いに行くために、こうして集まったところである。


「お邪魔します。……やあ、春日さん」


 中に入ると、椅子に腰かけていた彼女が少し驚いたような表情で見つめ返す。機材をいじっていた千石くんも何事かとこちらを振り返る。


「月ノ下先輩。何の用ですか? また写真コンテストっすか?」


 先日と同じように春日さんが応対した。


「いや。ただ確認したいことがあって」

「何すか?」


 僕は先日の写真コンテストの時に応募されていた例の「猫が映っていた写真」を携帯電話で表示する。


「この写真についてなんだけど撮影したのは春日さんなんじゃないか?」


 彼女は一瞬黙り込んで、目を見開く。星原たちは無言で僕らのやり取りを見守っていた。


「…………なぜ、そうなるんすか。誰かに聞いた?」

「いいや。ただこの写真なんだけれどね。一見『断崖にある足場に腰かけた人物』を上から撮っているように見えるがそうじゃないんだ。これはどこかの見晴らしのいい高所に建てられた板に『足を引っかけて寝そべっている人物』を撮影して九十度、横に傾けたトリック写真だ。崖のはるか下に生えているように見えた木々も、実は離れた場所の山林だった。それに背景に映っている笹なんだけど、よく見るとフェンスが隠れているんだよ。こんな写真が撮影できるところなんてこの近くでは限られている。例えば立入禁止の『校舎の屋上』なんてどうかな」


 春日さんは「はん」と僕の言葉をせせら笑った。


「何を言うかと思えば。立入禁止なんだったら、あたしにだって撮影するのは無理じゃないすか」

「そうかな? 例えばそこの星空の写真。あれは春日さんが撮影したんだったよね」

「そうすけど」

「三脚を立てて、長時間の露光による定点撮影、だったっけ。街の灯りが近くになくてそんなことができる場所ってどこなんだ? 近くの山頂かな? 高価な機材をもって女の子の君が夜遅くにそんなところに行った? それよりも誰も入ってこないから機材を取られる心配のない校舎の屋上で撮影したと考えた方が現実的だ」

「じゃ、じゃああたしはどうやってそこに入ったって言うんすか。屋上には鍵がかかっているんですよ?」

「聞いた話だと、写真部は少し前から新入部員の募集広告や看板を作るのを請け負っているんだったよね」


 彼女はここで余裕が消えた硬い表情になる。


「看板の設置や保守も手伝っていた。それで、屋上にもあるんだよ。『剣道部の春季大会出場の看板』が。この写真に映っている『足場の板』もよく見ると部員募集看板の裏面にも似ている。……例えば部員募集の手伝いにかこつけて、看板を設置する時の立ち合いに同行して入れてもらったってことはないかな」

「ただの想像じゃないっすか」

「いいや? 一応、剣道部の人間を探して訊いてみたんだ。そうしたらこう答えた。屋上に看板を設置する時に顧問や部長と一緒に『看板の資材を提供してくれた写真部の人間も一人立ち合っていた』と」

「……う」

「別に僕らは君のことを責めたてているわけじゃない。ただ猫があの場所に迷い込んでいないかどうかを確かめたいだけなんだ。協力してもらえたら何も言う気はなないよ」


 ここで春日さんは両手を上げて見せた。


「わかりました。……降参っすよ。もう」


 横で聞いていた千石くんは驚いて立ちあがる。


「ええ? じゃあ先輩。まさか」

「そうだよ。部員募集の看板を請け負うのは単に親切ってわけじゃあない。色々な部活の男子や女子をモデルとして撮影できる。あたしらの練習にもなるし、うちの部の宣伝にもなる。それに……こうすることで、貴重な撮影場所を確保できるんだ。普段は入れないような、他の部の練習場所やグラウンド、それに屋上なんかもね」


「それじゃあ……」とそれまで黙っていた巴ちゃんが期待するような声を漏らす。


「はいはい。屋上まで連れて行きますけどね。……ただ、先輩方のお目当ての猫が居るって保証はないですからね」


 春日さんはそうぼやきながら頭を掻いた。






 屋上は通常、本校舎の三階から階段を上がったところから施錠された扉を開けて出入りしている。しかし春日さんが案内したのは外側にある非常階段だった。


 確かにここにも出入口はあるが、フェンスと鍵のかかった扉があるので入れないのは変わらないのだ。僕ら四人と千石くんはどうするのかと疑問気に春日さんを見た。


「ちょっと、そこで待っていてください」


 言いながら彼女は非常階段の最上部まで登っていく。僕らはその言葉に従って三階と屋上の間にある踊り場で待っていた。彼女が扉の横でなにやら長細い針金のようなものをいじるとガチャリと鍵が開く音がした。


「一体、どういう仕組みなんだ?」


 春日さんは僕の質問に不愛想に答える。


「単純なサムターン錠ですからね。一度屋上の看板設営で入れてもらった時にこっそり糸をテープでくっつけて、隙間から固定した針金を外側に出しておいたんすよ」


 春日さんが屋上に入り、僕らも後に続いた。


 初めて入る屋上は基本立入禁止にしているからということなのか、それほど高くないフェンスと給水塔やアンテナが設置されている。


 ただ、その景観は非日常的な解放感がある。教室よりも高い視点からの山林や遠くの街並みが視界いっぱいに広がっていた。


 またところどころに草が生えた石床の隅には剣道部の看板が設置されている。もっともこちらから見えるのは木目が露わになった裏面だが。


 そして給水塔の陰に箱がいくつか置かれており、その隣には写真の演出に使ったのであろう笹の枝が積み上げられていた。


 しかしそこには僕らの目的である猫は見当たらなかった。


「こんな場所が使えたのなら僕に教えてくれてもいいじゃないですか」


 後ろにいた千石くんが不満そうに春日さんに声を漏らす。看板製作の裏で行われていた「裏取引」を知らされていなかった彼としては同じ部員なのに活動を共有してくれなかったことに不満があったらしい。


「バカ、相手と交渉して良い撮影場所を確保するのもカメラマンの腕のうちだろうが。あたしを当てにしてどうすんだ」と春日さんが言い返していた。


 そんな二人に割って入るように僕は尋ねる。


「ええと、春日さん。例の写真を撮影したのはあの看板を設置したあたりなんだよね」


 春日さんが僕の問いに頷き返す。


「はい。ま、察しのとおり看板の裏面を断崖絶壁の足場板に見せかけたんすよ。看板が倒れないようにするためのスタンド部分の補強材もバルコニー風に演出するのに都合が良かったし。あとはちょっとした花瓶とか小物を接着剤で水平方向に貼り付けたりすれば、傾けて撮影しても気づかれにくくなるわけっす。モデルさんにはちょっと無理な姿勢をとって寝そべってもらいましたが」


 あの幻想的な風景写真を撮影するためにそんな手間のかかる裏方作業をこなしていたのかと僕は正直感心していた。 


 一人でそこまでこなす能力には驚かされる限りだが、空き缶からチェスの駒を作るくらいに器用な彼女のことだ。その手の演出効果を作るための仕掛けや小道具などを作るのも不可能ではないのだろう。


 ふと気になったので僕は他にも彼女に尋ねてみる。


「そういえばあの笹はどうやってここに持ち込んだんだ?」

「ああ。野球部の撮影をするときに交換条件としてグラウンドの裏にある笹林から採ってもらったんすよ。あとは剣道部の募集写真を撮影する時に『和風の演出で撮影するのに使うからここに持ってきてくれ』ってお願いして。撮影に使った袴は茶道部の募集写真を撮影する時に借りた物の流用っす」

「……なるほど」


 つまりは部員募集の写真撮影をするという名目で場所の確保ばかりか、衣装や小道具なども理由をつけてちゃっかり提供してもらっていたのだ。いうなればこの屋上は「春日さん専用の屋外撮影スタジオ」だったわけである。


「ま、あたしも写真を確認してから猫がいるってことは気がついていたんすよ。でも、気になってもう一度来てみても何もいなかったし。てっきり他の所に逃げ出したんじゃないかと思ってたんすけど、ね」

「わかった、少し探してみよう」


 僕らはひととおり、給水塔の裏なども見て回ったが結局何も見つからない。


「やっぱりここじゃなく、他の所に行ったのか?」と明彦が呟く。

「でも、猫って縄張りとか決まった巡回コースがあるんだろ? それだったら以前からいた実習棟の裏あたりに戻ってくると思うんだけど」


 僕らが悩みながら顔を突き合わせていると、横にいた星原が少し考えこみつつ「巴ちゃん、名前を呼んでみたら?」と提案した。


「はい、わかりました」と彼女は素直に頷いて「副リーダー! 出てきて!」と叫ぶ。

「ふ、副リーダー……?」と春日さんが素で困惑したような顔になる。

「そういう名前で呼んでいたんだ」と僕が補足すると「あ、そう」と目をぱちくりとさせながら頷いた。


 と、その時。ミャアと弱々しい声がかすかに響く。


「副リーダー?」

「どこだ?」

「向こうの方から聞こえた気がしたけど」


 僕らは急いで声のした方角を探す。しかしやはりそれらしい姿は見当たらない。


「おかしいな。すぐ近くから聞こえたはずなのに。隠れる場所もなさそう……え?」


 給水塔の隣に積み上げられていた笹の束の中からひょっこり姿を現したのはあの写真で見た愛嬌あふれる一匹の白猫だった。


「こんなところに居たの? 良かった。……無事で」


 彼は巴ちゃんの姿を見て安心したように彼女の身体に飛びついてきた。


「しかし何で笹の中にいたんだ?」と明彦が首をかしげた。


 星原が「そういえば」と思い出したように口元に手を当てて呟く。


「私、聞いたことがあるわ。……猫の好きなものは『かつおぶし』や『マタタビ』が一般的に有名だけれど、意外なものとして笹なんかも好んで食べることがあるんですって。ある料亭で料理に添えるために育てていた笹が丸坊主になってしまったのだけれど、犯人は猫だったなんてことがあったみたいよ」


 僕はその説明に納得してやれやれとぼやいた。


「じゃあ、この笹の束が猫寄せになってここに入り込んだってことか。まあ見つかってよかったよ」


 少女の腕の中でゴロゴロと喉を鳴らす猫の姿に僕らはほっと一息ついたのだった。





 これは僕の想像だが、おそらく普段から実習棟の裏あたりを縄張りにしていた「副リーダー」は数日前から部員募集の看板がたくさん設置されて様変わりしたうえに、猫除けの空き缶も設置されて居づらくなってしまったのではないだろうか。


 そして彼は他に行き場所はないかと探して校内を徘徊しているうちに、たまたま剣道部の大会出場の看板を設置している最中の屋上に入り込んだ。


 そこは陽当たりも良く風通しも悪くない、彼にとって居心地の良さそうな場所に思えた。しかもそこには彼の好む笹の枝が運び込まれてくる。


 だがその直後に何人もの人間が入り込んできて、ガタゴトと騒音を立てつつ看板を設置する作業を取り行い始める。


 怯えた彼は物陰に隠れて様子を窺っていたのだが、作業が終わった後で扉に鍵を閉められて屋上から出られなくなってしまった。


 その後、春日さんが写真撮影で出入りした時も様子を窺ってはいたもののカメラや三脚などの物々しい機械をいじっているのを見て、近寄れずに笹の中に隠れていたのではないだろうか。


 どうにか水たまりの水やスズメなどの小鳥を捕まえて、時には笹の葉を口にして飢えをしのいでいたようだが、もう少し見つかるのが遅かったら危なかったかもしれない。





 猫が見つかった後で、春日さんは「可愛がるのは良いけど、無責任にエサを上げるだけってのはどうかと思うっすよ。あたしらの看板だけじゃあなく園芸部からも糞尿の被害が出ていたらしいすから。……学校の近くに地域猫のボランティアしているところがあるから相談したらどうすか?」と提案して、結局彼はそこの福祉団体に受け入れてもらいつつ、可能であれば飼い主を探してもらうことになった。


 話がついた後で巴ちゃんは「サークルで会えなくなったのは残念ですが、副リーダーが元気なのが一番ですし会おうと思えば会いにいけますから」と少し寂しそうにしながらも僕らに笑って見せた。

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