第20話 撮影場所と環境管理型権力

 空は微かに青みがかった暗闇に塗りつぶされていた。

 人気の少ない住宅街を街灯がぼんやりと照らしている。


「……それで、月ノ下くんはどう考えているの?」


 隣を歩く星原が僕に尋ねた。二年B組の教室で明彦たちと別れた後、僕は星原を家に送るために彼女の最寄り駅で降りたところだ。


「実を言うとあの猫と笹が映っていた写真がどこで撮影されたものなのか、ある程度の想像はついているんだ」

「へえ?」

「まずあの写真は猫が映っている以上そんなに遠くない場所、学校の敷地内かその周辺のどこかのはずなんだ。それなのに撮影者やそれに関わる人間は場所を教えることを拒んでいる。それは『そこで撮影したこと』が、つまり『そこに立ち入ったこと』が知られたら都合が悪いからなんだよ」

「立ち入ったことがバレたら困る。例えば『基本的に立入禁止の場所』に入って撮影したとか?」

「うん。それにこの断崖絶壁に人物が佇んでいる写真だけれど、実は最初に見た時から影のうつり方や背景の空に違和感があったんだ。その正体がようやくわかった。……これを見てくれ」


 僕は例の写真を携帯電話で表示して拡大して見せた。


「これって、足跡?」

「ああ」


 そう、写真に映っていた断崖には猫の足跡が付いていたのだ。それも絶壁の上方向から「垂直に下りるような」不思議な方向に。


「最初はずいぶん非日常的な風景だと思ったけれど。これは多分、校内のある場所を使った『トリック写真』なんだよ。崖の奥に笹が映っているんだが、何か生え方がおかしいと思ったら鉄柵が葉の下に隠されている。多分フェンスだと思う。それに崖の下に生えている木々も遠くだからわかりにくかったけど生える方向が不自然に見える」


 彼女は僕の言葉に納得したように微笑んでみせる。


「つまり笹をどこかから持ってきて『フェンスを隠していた』のね。『立入禁止』で『フェンスに囲まれた場所』。そこまでいけば私にも何処で撮影したものなのかは何となくわかったわ。でもそれだったら、先生にでもお願いしてその場所に入れてもらえばいいのではないの?」

「残念ながら現時点では僕の想像の域を出ていないからね。『多分こうだと思うので』って先生にお願いするわけにもいかない。それよりも不思議なのは、それじゃあ『撮影者はどうやってその場所に入ったのか』ってことなんだ」

「……先生か用務員さんなら入れるでしょうけど、どちらも生徒主催の写真コンテストには応募しないでしょうしね」

「ああ。もちろん『何かのイベント』とかがあれば先生じゃなく生徒でも入れるとは思うよ」


 そう。立入禁止の場所といっても行事や点検管理のために出入りすることはあるだろう。撮影者もそういう機会に乗じて入り込んだのではないかとも考えた。


「でも普通に考えて、そういう場所に部外者を同行させるなんてありえないじゃないか。責任者の管理問題になるからな。それとも何か協力させる方法があったのかな」

「あるいは自覚なしに、無意識に協力させたのだとしたらどうかしら」

「自覚なしに協力させる? そんな方法があるのか」


 ええ、と星原は静かな表情で僕に相槌を打つ。


「相手にそれと気づかせずに自発的に協力的な行動をとらせる方法論を聞いたことがある。『環境管理型権力』あるいは『ナッジ理論』とか呼ばれているのだけれど」

「それってどういうものなんだ?」

「例えば『個人情報を提供させる』とか『迷惑な行為をする人間を遠ざける』とか、自分の利益になる他人の行動ってあるわよね。環境管理型権力というのは、言ってしまえばそういう自分の利益になる行動を誘発する環境を整えることなの」

「でも、そんなことが簡単にできるものなのか?」

「自然とこうしたくなる行為というのがあるでしょう。本来ならばそこに存在しなかったイメージや衝動、動機を付与することで行動を誘導するの。わかりやすい例で言うと『コンビニに列を作って並んでもらうため』に足跡のシールが床に貼ってあったりするわよね」

「ああ。確かにああいうのを見ると自然と足をそこに合わせたくなるから、列を作るようになるものな」


 形が似ているものがあると重ねたくなる人間の心理を応用したのだろう。

 彼女は「そうそう」と頷きながら話を続ける。


「他の例だと、ある地域では自転車の違法駐輪で困っていた。そこで『ここは自転車専用のごみ捨て場です。欲しい方は持って行ってください』と看板をだしたら、たちまち激減したという話があるの」

「つまり『ここはゴミ捨て場だ』と宣言されると自分のものを置いていくことに抵抗を感じるわけだ」


 何でもない場所なら無断で駐輪する人間も、ネガティブな印象がある場所だと心理的に拒否感がでてくるということか。


「ええ。それからファーストフード店の椅子は硬い素材でできていて、長く座っているとお尻が痛くなるでしょう。あれも理由がある」


 そうか。ファーストフード店は薄利多売で儲けている。つまり一組の客に長居されるよりもたくさんの客に回転してもらったほうが都合がいいのである。


「なるべく早く客に出て行ってもらうために『わざと椅子の座り心地を悪くしている』んだな」


 この間、彼女と話した排除アートにも通じるものがある。


「そういうこと。……まあ、これは都市伝説みたいなものだけれど。一昔前に高枝切りばさみが通販番組でよく売られていた。でもあの商品、実はコスト的にそんなに利益が出るものではないらしいの」

「それじゃあ何で売られていたんだ? たくさん販売することで儲けるのか?」

「いいえ? でもあれをたくさん売れば『高枝切りばさみを必要とするような庭付きの家がある顧客リスト』が出来上がるじゃない」

「……なるほど。顧客の情報収集を行うのが目的だったか」


 確かに園芸関係の業者全般にとって、そういうリストは得難いものかもしれない。


「足跡があれば意識して踏んでみたくなる」だから自然と列を作って並ぶ。

「ゴミ捨て場に自分のものは置きたくない」だから自転車を違法に駐輪しなくなる。

「硬い椅子には長く座りたくない」だから店に長居しなくなる。

「庭道具を使うのなら自宅の住所に郵送してほしい」だから自分の住所をおのずと提供する。


 つまりそこにはなかった別の条件や環境を組み込むことで、得になる行動を動機付けるようにしているのだ。……ということは。


「じゃあ、撮影者を立入禁止の場所に入れた人たちも、撮影に協力したつもりではなくて、別の理由で自発的に同行させたんじゃないかというんだな」

「うん。私はそう考えているんだけど……」

「ありがとう、星原。参考になったよ」


 誰が撮影者だったのか、どうやって立入禁止の場所に入り込んだのか。僕にはおぼろげながら全容が見えてきた気がする。


 と、その時。背後から轟音が響いてきた。振り返ると大型トラックが急スピードで走ってくるではないか。それも僕らが立っていた歩道すれすれだ。


「おっと! ……危ないな」


 とっさに星原を抱き寄せていた。僕としたことが夜道に足を痛めた星原を帰らせるのは危ないからと同行していたのに車道側を歩かせていた。内心、もう少し気を回すべきだったと臍を噛む。


「大丈夫か?」


 彼女も突然の出来事に驚いたのか、呆然として僕を見つめ返す。


「……星原?」

「え、ああ。……うん、平気。ありがとう」


 彼女はなぜか困ったような、気まずいような表情で返事をしてからそっと僕から離れた。


「住宅街なんだから、もう少しスピードを落とせばいいのに。驚いたな。全く」

「……私もあなたに驚いたけどね」


 星原が何やらぼそりと呟く。だが僕は彼女の言葉よりも彼女の左の足首に巻かれたスカーフが気になった。


 あれから三日ほど経ったが、まだ痛みがひいてないのだろうか。心中で気にかける僕の気持ちをよそに、彼女は「ところで」と話題を変える。


「それじゃあ、猫が映っていた写真の場所もそこに入る方法も見当が付いたということなのかしら」

「ああ。明日にでも撮影者に会いに行くつもりだ」と僕は応えた。


 その後、僕は彼女を家の前まで送り届けてから家路に着いたのだった。

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