第19話 妖しい少女

 写真部室を出てから数分後。僕らは二年B組の教室の前でたむろしていた。つい一か月前まで自分が使っていた教室に、他の学年として訪れるのは少し変な気分ではある。


「さて、どうしようか」


 僕は他の三人と目を交わし合う。


 春日さんは僕らが部室を出るときに「教室に入る時は『人違い』『渡し間違い』を防ぐために、一人ずつ入ってきてって言ってましたんで。よろしくお願いします」と告げたのだ。


 そのこと自体は構わないが順番に入ったとして、もし変に印象を悪くしたために、必要な情報を教えてもらえないなんてことになったらと思うとまずい気がする。


「別にどうってことないだろ? 賞品を受け取って、ついでに例の写真の投稿者について連絡先を訊くだけだ。どこに居るかわからん猫を探して歩くよりよっぽど簡単だぜ」


 明彦が肩をすくめて軽口をたたく。こういう時に彼の積極性は実にありがたい。


「じゃあ、明彦から行ってくれるか。次に僕が行って星原、巴ちゃんの順番にしよう。まあトラブルもないと思うが」

「おうよ。じゃあ行くわ」


 彼は親指を立ててから肩で風を切って、教室に入って扉を閉めた。


「そういえば、何の賞品がもらえるんだっけ? 僕は確かプロ野球選手のカードだったと思うけど」と僕が呟くと、星原が記憶を探るように眉をひそめる。

「私は少し前に流行ったアニメのグッズ。巴ちゃんが去年の中間テスト問題。雲仙くんはミュージシャンのグッズじゃなかった?」


 巴ちゃんも何か応えかけたのだが、その瞬間ガラッと教室の扉が開いて明彦が戻ってきた。だがその表情は釈然としないというか、スッキリしないとでもいうようにしかめられている。


「どうだった?」

「いや普通に名乗って賞品を受け取ったんだが、肝心の例の写真については何も教えてもらえなかったんだ」

「明彦。……まさか相手が女の子だから口説こうとして、警戒されたなんてことないよね」

「しとらんわ。いや確かにそこそこ美人の女子だったが」


 彼はコホンと咳払いをして「とにかく本人の許可なく勝手に教えることは出来ないっていうもっともな理由で断られたからな。一筋縄ではいかないかもしれん」と片手で頭を掻きむしった。


 断られたとなると状況は厳しいのかもしれないが、ここまで来てそう簡単に諦めるわけにもいくまい。何とかして食い下がって情報を聞き出さなければ。


「わかった。じゃあ次は僕が行く」


 心の中で覚悟を決めて僕は教室に足を踏み入れた。





 室内は蛍光灯に照らされた机と椅子が並んでいる、見慣れたごく普通の教室である。


 五、六人ほどの女子生徒が話し込んでいて「どうだった?」「私、六十点」「ええ? あたしは四十点」などと盛り上がっていた。授業で小テストでもあったのだろう。


 例の「ブローカー」というアカウント名の人物はどこなのだろう。僕が周囲を見回していると、不意に横から声を掛けられる。


「月ノ下先輩、ですね。こっちですよ?」


 立っていたのは波打つ髪を肩の辺りで切りそろえた、中肉中背の女の子だった。顔立ちも整っていて、体つきもすらりとしている。だがその瞳はどこか掴みどころがないミステリアスな雰囲気が漂っている。


 見慣れない上級生である僕がクラスメイトに話しかけたのを見て、教室にいた女子たちも会話を止めて好奇の視線を向けている。


「君が『ブローカー』さん?」

「はい、二年B組の神保小町じんぼうこまちです。『季節を感じる風景』で応募したんでしたね。賞品はこちらです」


 そういいながら彼女は机の上に置かれていた品物を僕に手渡した。とあるプロ野球選手のサイン入りカードである。こういう物は選手によって人気が違うと聞くし、どの程度の価値があるのかは僕にはよくわからなかった。


「ところで……月ノ下先輩は野球に興味があったんですか?」


 彼女は僕を探るように見ている。何だか頭のてっぺんからつま先まで観察されている気分だ。


「いいや、そういうわけじゃない。実は訊きたいことがあってそのために応募したんだ。……神保さんがリクエストした企画に応募してきた他の写真についてなんだけど」


 僕は携帯電話をいじって例の猫が映っている写真を見せた。


「この写真を撮った相手について知りたいんだ」

「さっきの方もそんなこと言っていましたね。教えられませんよ」


 彼女は微笑みながらもすげなく断った。


「そちらにも個人情報の保護や守るべき信用があるんだろうけどね。でもこっちにも事情があっての事なんだ。実は後輩のところに遊びに来ていた野良猫が急に姿を消してしまって。この写真が手掛かりになるかもしれない。連絡先が無理なら君を通じて聞くのでもいい。この写真を撮影した場所を教えてくれないか」

「猫が? ははあ、そういう事でしたか。でも多分教えてはくれないと思いますね」

「どうして?」

「さあ? ま、応募してくださったことには感謝していますので。あえて言うのなら『教えられない』ということ自体が答えですかね」


 彼女は感情を読ませない、どこか妖しげな瞳で僕を見つめ返して「話は終わりです。お引き取りを」と退出を促したのだった。





 僕が教室を出た後、星原と巴ちゃんも入って行ったが結果は変わらなかった。聞いたところでは僕と明彦以上に素っ気ない対応だったらしい。


「残念だけれど、取り付く島もなかったわ」

「はい。……商品を受け取ったら、話はもう終わりって感じでしたね」


 それぞれに肩をすくめ、ため息交じりにぼやいてみせる。


「完全に手詰まりだな」と明彦も頭を抱えた。

「うーん。……でもひょっとしたら今の段階でも撮影場所が判るのかもしれない」


 僕の言葉に明彦が「どういう意味だよ」と眉をひそめた。頭の中をよぎったのは先程の神保さんの台詞だ。


「いや。こういってはなんだけど、ただの撮影場所のはずじゃないか。それなのに『教えられない』ということ自体が何かのヒントにならないかなと思って」

「……単にプライバシー保護の問題で隠しているわけじゃないっていうのか?」

「うん。とりあえずここまでわかったことをもう一度洗い直して考えてみれば、見えてくるものもあると思うんだ」

「そうですか。……こうしている間も副リーダーが無事でいてくれるといいんですが。私も心当たりがないか考えてみます」と巴ちゃんが顔をしかめながらも頷いた。


 こうして僕らは何か気が付いたことがあれば連絡することを約束して、その日は一度帰ることにしたのだった。

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