第16話 排除アート
夕日は窓から差し込んで床のタイルカーペットをかすかに照らしている。
ソファーに腰かけた黒髪の少女が参考書を閉じながら僕を見た。
「へえ? そんなことがあったの」
「ああ。巴ちゃんが心配しているんなら何とかしたいけど、流石に何処に行ったのかも分からない野良猫を探すとなると、ね」
あれからほぼ一日が経過した放課後である。僕はいつものように図書室の隣にある空き部屋で星原と勉強会をしていたところだ。
彼女は頭を悩ませている僕に「ふうん」と小さく鼻を鳴らしてからこう切り出した。
「でも。その、さっきの話の中に出てきた空き缶を細工したチェスの駒のことなんだけど」
「ああ。あれがどうかしたのか?」
「もしかしたら、一種の排除アートだったのかもしれないわ」
「排除アート?」
星原は「ええ」と頷いてから話を続ける。
「駅のベンチとかでたまに真ん中に肘掛が付いているデザインのものがあるでしょう。あれはホームレス対策としてそういう風にデザインしているの」
「そういうものは僕も見た覚えがあるな。ものによっては座りづらいとは思っていたけど。……つまり、そういうデザインにすることでホームレスがベンチの上に寝るのを防いだりするのか」
「うん。都心部でも駅の広場の上に一定の間隔で尖った石が配置されていたりする場所がある。あとはベンチの上に人形や銅像が座っているようなデザインになっていたりするものもあったかな。一見するとただのアートオブジェやデザインなんだけれどね。『ここは公共の利用スペースなので寝たり長時間の利用はしないでください』と張り紙をするのも見栄えが悪いし効果がないかもしれない。それで間接的に望ましくない使い方をする人間を排除するためにそういうデザインになっているの」
少し意地が悪い話のような気もする。それに横たわったりできないようなデザインにした結果、一般人も使いづらくなっているではないか。
「一部の人が公共スペースを独占的に使うのが良くないっていうのはわかるけど、社会的弱者をいじめているような気もするな」
「実際にその辺りは賛否両論あるみたい。迷惑している人の意見もあるし、かといって積極的に排除するのも難しい。それで間接的に使いづらくするデザインにしたというわけ」
「ふうん。……いや待てよ。それじゃあ、あの空き缶で作ったチェスの駒も?」
「ええ。猫ってコーヒーの匂いを嫌うっていうし。それに猫には決まった縄張りや散歩コースがあるらしいもの。そういうところに自分の嫌いな臭いがする物や見慣れない物が置かれていたら近寄らなくなるんじゃないかと思ったのだけれど」
つまり、星原はあの空き缶のオブジェは猫を近づかせないように誰かが置いたと言いたいのだ。そしてあの看板設置に協力したのが写真部だと考えると、あの空き缶のオブジェを設置したのも写真部なのではないだろうか。
「そう言えばちょっと思い出したことがあるんだ」
「何?」
僕の言葉に彼女は首をかしげる。
「写真部の千石くんと春日さんだったかな。その二人は看板の修繕をしていたんだけどさ。……看板に貼られていた紙が破れていたのを修繕していた。あの破れかたは今思うと何かに引き裂かれたように見えた。破れた場所は看板の下部分でまるで子供か、そうでなければ」
「猫が爪でも研いで破いたんじゃないか、と」
星原が僕の言葉を引き継いで、僕もそれに「うん」と応えた。
「つまり猫が爪を研いであの新入部員募集の看板を破くような被害が発生していた。だからあの空き缶を置いて近づかないようにしたんじゃないか、と考えると説明がつく」
「でもそうだとしたら、あなたに猫について聞かれた時に『わからない』と答えたのは不自然ね」
「確かにそうだな。自分たちが空き缶を置いたせいで居なくなったことを猫を探している僕らに説明したくなかったのか。それとも『猫の事を知っていながら話せない理由があったのか』ってことなのかもしれないな」
「なるほどね。そうなると写真部員の人にもう一度事情を訊いた方が良いかもしれないわね。……きりもいいしそろそろ帰りましょうか」
「そうだな」
彼女の言葉を受けて片付けをしていると、ふと見慣れないものが目に付いた。星原の足首にレース布のようなものが巻かれていたのだ。
「星原。それどうしたんだ?」
「ああ、これ。見ての通りスカーフなんだけどね」
彼女は少し顔をしかめながら、それを解くと下から細い足首に貼られた湿布が露わになった。
「ちょっと昨日体育の授業で足をひねってしまって。別に折れてはいないと思うんだけど、なかなか痛みが引かないものだから。でも人に見られるのがちょっと気になってこうしていたの」
「……大丈夫か? 歩きづらかったりしないか?」
「これくらい別に」
そう言いながらもかすかに痛みをこらえているように見える。春先とは言えもう少しすれば薄暗くなる。星原の住んでいるあたりは特に治安は悪くないとは思うが、足を悪くした女の子が暗い夜道を一人で帰るのもどうだろう。
「送っていくよ」
「え? でも月ノ下くん帰り道が逆方向でしょう」
「気にしなくていいよ。親にも事情を説明すればわかってもらえるだろうし」
それに僕の家は交通費が無くなりそうになったら親に頼んでICカードにチャージしてもらうシステムなので、小遣いから差し引かれることはないと思う。
「それじゃあお言葉に甘えて」
言いながら彼女は少し恥ずかしそうにうつむく。
「そういえば雲仙くんは? 今日も猫を探しているの?」
「ああ。今日も猫の皿を持って、もう少し校内を見て回るって言っていたな」
明彦が皿を手に構えて猫に呼びかけて回る姿を想像したのか、彼女は吹き出した。
「ふふ。なんだかちょっと面白い絵面ね。……そういえば『猫の皿』なんて名前の小噺があったかしら」
「へえ? どんな話なんだ?」
「ええと、ある所に皿を転売して金儲けしている男がいたんだけれどね……」
僕らはそんな雑談に花を咲かせながら校門へ向かい、いつもよりも少し長く同じ時間を過ごしてから家路に着いたのだった。
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