第15話 部員募集の看板と写真部員

「何も巴ちゃんは、僕と一緒に来なくても良かったんだよ?」

「いえ、自分から頼んでおいて何もしないわけにもいきませんし」


 隣を歩く巴ちゃんが「とんでもない」というように胸元で右手を左右に振って見せる。


 彼女の相談を受けて数時間後の掃除当番を終えた夕方である。


 僕らが今いるのは実習棟と野球場に挟まれた校内の遊歩道だ。あの後、ひとまず巴ちゃんに「僕が現場を回って明彦が情報収集する」という方針をメールしたところ「それならば私も月ノ下さんに同行します」と言いだしたのだ。


 実習棟の裏手はそこそこの道幅があり、街路樹や小さなベンチなどが並んでいる。


 だが、どうも普段とは違う様相を呈している一角があった。


「……何だか急に看板が増えているな」

「ああ。新入部員募集の看板でしょう。去年もこうではなかったんですか?」


 そう。数日前まで何もなかったはずのその場所には多数の看板が建てられていた。「男子サッカー新入部員募集」「来たれ、柔道部」「テニス部で明るく楽しい高校生活」といった大きな文字が躍っている。また看板には大きく拡大された部活中の生徒たちを映した写真が貼られているのが目立っていた。


 巴ちゃんの疑問に僕は思わず立ち止まって口を開く。


「確か、去年はここまで看板は多くなかったと思うんだ。……何かあったのかな」

「どこもそれだけ部員獲得に熱心ってことですかね?」

「どうかなあ」


 僕は巴ちゃんに曖昧に返しながら周囲を睥睨する。看板は野球部のグラウンド横の芝生から本校舎の横手までを遮るように隙間なく並べられていた。


 ふと看板が並べられた段のところに奇妙なものがあるのが僕の目に飛び込んでくる。

 キラキラと金属質の光を放つ小さな円筒。それはぱっと見には少し変わった形をした空き缶に見えた。しかも一つや二つではなく十数以上はあるのだ。


 それぞれが規則正しく並べられているようにも見えるが、これは……。


「へえ、月ノ下さん。これ、チェスの駒ですよ」


 巴ちゃんも僕と同様に気になったらしく、近づいて感心したように声を漏らした。


「なるほど。ブラックコーヒーとカフェオレの空き缶をそれぞれ黒と白の駒に見立てたんだな。それに切り込みを入れて細工したのか。器用なことをするなあ」


 どうやら誰かがコーヒーの空き缶を工具か何かで切って「キング」や「ルーク」などの駒に見えるように飾りつけて作ったようだ。それらを盤に見立てた床のタイルの上に配置していたのである。


 そしてよく見ると、この空き缶のオブジェが置かれているのは「将棋・チェス同好会」の募集看板の前だった。これも部員募集アピールの一環だと思われる。


 しかし、いつの間にこんなものが作られたのだろう。


 僕らは顔を並べてしばし空き缶に見入っていた。と、その時。


「ああ、面倒だなあ」

 唐突に僕の耳にけだるげな声が飛び込んできて思考を途切れさせた。


 横を見ると並べられた看板の前に一人の男子生徒が座り込んで何やら作業をしている。ネクタイの色からして一年生だろう。少し長めの髪をセンター分けにした痩せ型の神経質そうな少年である。


「あれ、千石せんごくくん」

「んー。……あ、日野崎か」


 千石と呼ばれた彼は巴ちゃんの声に少し驚いたように反応する。


「巴ちゃん。知り合いなのか?」

「はい。同じクラスの千石明せんごくあきらくんです。……何してるの?」

「見てのとおりだよ。部活動の一環で看板を直しているんだ」

「へえ?」


 確かに彼の言うとおり、そこに貼られていた看板の下部分は一部が派手に破れている。さっきから座り込んでいたのはその修繕のためだったようだ。


「えっと。千石くんって言ったよね。僕は巴ちゃ……、日野崎さんのお姉さんと同級生で三年の月ノ下っていうんだけど」

「はあ。日野崎に姉がいるって噂は聞いてましたが……同じ学校でしたか」


 彼は急に知らない上級生である僕から声をかけられて困惑しながらも、とりあえず応対してくれた。


「もしかして他の日にもここで作業していたりしたのかな」

「え。ああ。……はい。何日か前から放課後はここにいましたけど。何か?」

「実はさ。僕らは猫を探しているんだ。この辺りでよく見る野良猫なんだけど、最近急に見なくなったんだ。何か心当たりないかな?」


 僕は巴ちゃんに送ってもらった写真を携帯電話の画面に表示してみせて千石くんに尋ねる。彼は一瞬、写真を凝視して黙り込んだ。


「猫?」

「うん」

「……ええと」


 彼が口を開きかけたところで「千石!」と横から一人の少女が鋭く声を投げつける。不機嫌そうに唇をかみしめてセミロングの髪を後ろで縛っているちょっと蓮っ葉な雰囲気の生徒だ。


「無駄話してないで、手を動かしてくんない。……すんません、いま作業中なんで」 

「あ、すいません。春日かすが先輩。……月ノ下さん。悪いけどわからないです」


 千石くんは春日と呼ばれた女子生徒に一瞬振り返ってから、再度僕に向き直って首を振った。


「そうか。邪魔して悪かったね」

「いえ。……行こうか、巴ちゃん」


 僕が歩き出すと巴ちゃんも「はい」と頷いてその場を離れた。


 ふと気になって後ろを見ると、春日さんが千石くんにぼそぼそと言い聞かせている。何やらお説教だろうか。ずいぶん後輩に厳しい先輩のようだ。




 

「いないなあ」とぼやきながら僕は非常階段の下を覗きこんだ。巴ちゃんも僕の背後で猫が隠れていないかと花壇を見て回っている。あれから僕らは校舎の間や街路樹の裏など猫が居そうな場所を探しつつ彷徨していた。


「でも私、ちょっと気になっているんですけど」と巴ちゃんが唐突に口を開いた。

「何が?」

「千石くんは何であんなことしていたんだろ?」

「何でって……何かおかしいことでもあった?」


 彼女は眉をしかめながら僕を見る。


「いえ、ですね。確か千石くんって『写真部』に入部したはずなんですよ。でもさっき直していた看板は『野球部』の募集看板だったからどうしてなんだろうと思って」

「へえ。そうだったのか」


 写真部の人間が関係のないはずの野球部の看板を直していた。確かにおかしいかもしれないが……。


 僕らが首をかしげていると校舎の陰から見知った顔が姿を現した。明彦である。


「よお、何かわかったか?」と声をかけてくる彼に僕は首を振った。

「いいや。そっちは?」

「こっちも手掛かりなしだ。……荻久保に話を聞いたら時々エサをあげるのにこの皿を使っていたっていうから、もしかしてこれを持っていれば寄ってくるんじゃないかと思って借りてきたんだけどなあ」


 明彦は手に持っていた小さなお皿を見せた。


「どうだろうな。餌でも置いて見張っていれば出てくるかもしれないけど。……他には?」

「あとは虹村に『ここ数日で何か校内で変わったことはなかったか』って聞いてみたんだが直接関係のありそうな情報はなかった。……ただ、写真部が他の部の部員募集の看板を製作するのに協力するようになったとかで、看板が去年と比べて急に増えたんだそうだ。猫が姿を消したことと関係しているのかはわからんがな」

「写真部が部員募集の看板を作るのに協力?」


 僕は思わずその言葉を聞きとがめた。彼は「ああ」と無表情で頷いて言葉を続ける。


「何でも、部員募集のための写真撮影を買って出たんだと。画像を大きく引き伸ばして出力するプリンタも備品として持っているらしいからな。看板に必要なベニヤ板とかは去年の文化祭の資材を残していて、デザインさえ出せば看板づくりと設置も請け負うんだとさ」

「だけど、何だって急にそんなことを始めたんだろうな」


 すると横で聞いていた巴ちゃんが口を開く。


「アレじゃあないですか? 部員募集するとなれば各部活のルックスの良い人たちを撮影するでしょう。写真部としては『良いモデル相手に写真が撮れて、しかもそれを看板に使ってもらうことで自分たちの存在感もアピールできる』とか」

「なるほど。つまり、他の部の看板を設置することが写真部自体の宣伝にも繋がるわけか」


 これでさっき野球部の看板を写真部が直していたことについての理由も何となくわかった。おそらく設置に絡んだから保守も対応しているということだろう。しかし……。


「問題はそれと猫がいなくなったことが関係しているのかってことだな。ほら、部員募集の看板が設置されていた辺りって実習棟の裏手だったよね? あそこは陽当たりが良くて風通しもわるくないところなんだ。現に僕は猫が寝そべったりうろついていたりするのを何回か見た覚えがある」

「じゃあ、あれか? 看板が建てられてお気に入りの場所が無くなったからあまり学校に近寄らなくなったってことなのか?」

「かもしれないけど……はっきりはわからないな」

「部員募集のシーズンが過ぎて看板が無くなれば、戻ってくるんでしょうかねえ?」


 僕らは三者三様に首をひねったが、明快な答えなど出るはずもない。その日はひと通り校舎の外をぐるりと見て回ったが結局探していた猫を見つけることは出来なかったのだった。

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