写真コンテストと「環境管理型権力」

第14話 行方不明の副リーダー

 グラウンドの向こうにある山林から風が枝葉を揺らす音が耳に届いた。こういう初夏の風には薄い緑色がついている気がするな、と頭の片隅で考える。


 僕らが三年生に進級して、既に数週間が経過したとある四月の午後。隣を歩いていた明彦が「フアーア」とあくびをして「暖かくて過ごしやすいのは良いが、眠くてたまらん」と呟く。


「そりゃあ同感だが、明彦は授業中も居眠りしてなかったか」

「してねえよ。目を閉じて頭を休ませていただけだ」


 それを世間では居眠りというんじゃないのかな。


 校舎の時計を見れば、時間は十二時半の少し前だ。その少し上方には、屋上に設置された剣道部の「春季大会出場」の看板が並ぶように設置されている。普段は立ち入り禁止だがこんな日にあの校舎の上で景色を眺めたら、さぞ気分が良いことだろう。


 僕と明彦は昼食を済ませてから、風通しのいい木陰でも探して雑談でもしようかと渡り廊下を歩いていたところである。僕が彼の軽口に何か言い返そうかと思ったその時、校舎裏の金網が張られた一帯で人だかりができているのが目に飛び込んできた。野球部のグラウンド辺りだ。


 なにやら喧騒を響かせて数十人の男女がたむろしている。よく観察すると野球のユニフォームを着た生徒が女子生徒たちに声をかけて呼び込んでいるようだ。


「見学どうぞー。そこのあなたも」

「良いんですか? どうも……」


 そんなやりとりが耳に流れこむが、僕はいまいち状況がつかめず首をかしげてしまう。


「何なんだ、あれ?」


 僕の疑問に明彦が「ああ、知らないのか? 野球部の勧誘だよ」と返してきた。


「勧誘? それにしては女子が多いように見えるけど」

「何でも野球部の部長が家で和菓子屋をやっているらしくてな。見学に来た一年生女子に限り桜餅やらおはぎやらをサービスで配っているらしい」

「へえ。……でもどうして『一年生女子だけ』なんだ?」


 うちの学校には男子野球部しかないのだ。女子マネージャーもいるとは思うが、女子を中心に集めて勧誘するのは違和感を覚える。


「そこには裏があってだな」


 ここで彼はニヤリと笑みを浮かべつつ声を潜めた。


「……四月になって代替わりしたばかりの三年生としては、二年生が浮ついているんじゃないかと危惧していて気を引き締めたいんだそうだ。といっても少し前まで同じ二年生だった一つ上の代がうるさく言っても真剣に受け止めないかもしれん」

「まあ。そういう事はあるだろうね」


 僕が相槌を打つと明彦はさらに続ける。


「そこでわざと一年生女子をギャラリーとして集めているわけだ。『普段は怠けている部員でも女の子の目が集まれば張り切るんじゃあないか』ってな」

「ああ。つまり『一年生女子を集める』ことが目的じゃなくて、『二年生部員が練習に熱を入れるようにする』のが目的だったのか」

「そういうこった。まあ、やる気がある男子なら無理に勧誘しなくても入部してくるだろうって考えらしい」


 確かに多数の女の子、しかも入りたての後輩たちの目が集まるとなれば張り切る男子部員は多いかもしれない。


「なるほどねえ。上手いこと考える」

 明彦は「はは」と面白がるように笑って見せる。


「……ちなみに似たような話でだな。ハリウッド映画とかで警察官がドーナツを食ってる場面がたまにあるだろう? あれは実際にアメリカのドーナツチェーン店が『制服で来店した警察官』にドーナツをサービスしているからなんだと」

「それってつまり、サービスすれば警察官が頻繁にくるようになるから」

「ああ、警察官が店の中にいるというイメージがあれば防犯になる。『強盗除け』ってわけだ」


 片や「一年生女子を集めて部員の士気を高める」片や「警察官を集めて防犯に利用する」というわけか。


「何かを提供して人を集めることが、結果的に利益につながるわけだね。色々なことに応用できそうな考えだな」


 僕が感心したように頷いたところで「月ノ下さーん。雲仙さーん」と細くて高い声が背後からかけられた。振り返ると、髪を両サイドに分けたつぶらな瞳の少女が駆け寄ってくる。


「あれ、巴ちゃん」


 彼女は僕らのクラスメイトの妹で日野崎巴ひのざきともえという。昨年の今頃に知り合ったのだが、何度かちょっとしたトラブルを助けた関係で僕や明彦、星原とも親しい間柄だ。

巴ちゃんはうちの学校の制服を身にまとい、襟元には一年生のリボンタイを着けていた。


「よお、うちの学校に入学したんだったな。もっと会いに来てくれりゃあいいのに」


 可愛い女の子と見ると元気になる明彦が嬉しそうに相好を崩す。


「確か、荻久保おぎくぼのやっているイラストサークルに入ったんじゃなかったっけ? 上手くやれてる?」


 巴ちゃんにはイラストを描く趣味があって、昨年あるきっかけで僕らと同じ学年の荻久保優香おぎくぼゆうかという美術部員の少女が運営しているサークルに勧誘されていたのだ。


「はい、サークルはおかげさまで楽しく活動しているんですが……。そのことでちょっと相談したいことがあるんです」

「相談?」


 巴ちゃんは形の良い眉をしかめながら、大きめの瞳で僕を見上げる。


「副リーダーが三日ほど前から行方不明になってしまったんです」





 巴ちゃんの話によると彼女のイラストサークルは美術部が休みの日の放課後に美術室で活動しているそうだ。必ずこの日と決まっているわけではないが参加できる余裕があるときに出てくる形式にしていて、副リーダーは毎回顔を出していたらしい。


 しかし唐突にその子が姿を見せなくなり、もう三日が過ぎてしまったのだという。


「可愛くて愛嬌もあって、サークルでその子と会うのが楽しみだったんです」

「それは心配かもしれないが、そういう事は家族が警察に相談するんじゃないか」


 だが、僕の言葉に巴ちゃんは俯きながら首を振る。


「いえ、家族はいないみたいなんです」

「……えっ」


 なにか複雑な家庭の子だったのか。

 明彦も見かねたのか、頭を掻きながら口を挟んでくる。


「なあ、巴ちゃん。それなら担任とかに事情を訊いてみたらどうだ。何か知っているかもしれないだろう」

「うーん。でも先生からも疎まれていたみたいで」


 学校の先生からも嫌われている? 


 反抗的というか結構な不良ということなのだろうか。家庭の事情が複雑だといろいろ変な目で見られて苦労するのかもしれないな。


「先生の自家用車のボンネットに寝そべったり、お弁当のおかずを盗み食いしたりして追い回されていましたから」


 行動がフリーダムすぎるぞ。


「ず、ずいぶんアナーキーな子だったんだね」


 若干腰が引けている僕をよそに明彦が話を続ける。


「せめて写真とかはないのか。見覚えがあるようなら手掛かりになるかもしれないだろう」

「あ、はい。これです」


 巴ちゃんはスカートのポケットから携帯電話を取り出して写真を表示してみせた。僕と明彦は画面に顔を近づけてまじまじと観察する。


「なるほど、確かに可愛い子だな」

「そうだねえ。目は大きいし鼻筋が通っていて、体もすらっとしているね。ちょっと毛深いけど……って、巴ちゃん?」

「何でしょう」

「これ、猫だよね」


 彼女は僕の言葉にきょとんとして目を見開く。


「あれ、言っていませんでしたっけ。『副リーダー』は猫なんです」

「言ってないし聞いてない」


 巴ちゃんの話によると彼女は数週間前に荻久保の主催するイラストサークルに入ったのだが、荻久保自身は活動を始めたばかりということもあり、必要以上に参加者を増やすつもりはなく基本的に内輪で活動する想定だった。そのためメンバーは荻久保と巴ちゃんの二人だけだったのだ。


 そこで荻久保に『それじゃあ私がリーダーで、巴ちゃんが副リーダーだねえ』と冗談交じりに言われて『いやいやそんな。柄じゃないですよ』と断ろうとした。するとそのとき、たまたま開けていた窓から一匹の猫が入ってきたのである。


 アーモンド形の綺麗な瞳に、肌触りの良さそうな白い毛並みをしたその猫に思わず巴ちゃんたちは会話を止めて目を取られる。


 しかし彼は日当たりの良い窓辺で日向ぼっこをしたかっただけらしく、美術室にいる二人を気にもかけずにすぐそばで寝ころんでしまう。それもお腹を丸見えにして目を細めながらうとうとしている、完全に安心しきった様子だ。


 その愛嬌あふれる振る舞いに思わず微笑ましくなった二人は思わず体をそっとなでるが、彼は特に警戒するでもなくそのままじっとしていた。


 その後もその猫はよく放課後の美術室に顔を出すようになり、何とはなしに巴ちゃんたちはその子を「副リーダー」と呼ぶようになったのだそうだ。


「おかげで私もこんなにイラストを描いてしまいました。ほら」


 巴ちゃんは携帯電話を操作して他の画像を表示した。そこには写実的な画調で描かれた猫のデッサンが映し出される。


「ええと、こんなこと言いたくないけど。……巴ちゃん。その子は野良猫なんだろ? 別に飼っていたわけじゃないんだよね」

「そうですけど」

「だったら、ほんの数日くらい他の場所に行くなんて普通にあるんじゃないかな。そもそも猫って気まぐれな生き物なんだし」

「でも毎日のように来たのに急に姿を消したんですよ?」


 巴ちゃんは演説でもするかのように胸の前で両手をかざして僕らに訴える。

 僕と明彦は顔を見合わせてため息をついた。この子の頼みはどうも無下にできない。


「わかった。僕らもあまり顔が広いわけじゃあないけど、居そうな場所を探してみるよ」

「……そうだな。俺も知り合いに見かけなかったか聞くくらいならできそうだ。それじゃあ巴ちゃん、参考に写真を送ってくれ」

「……すみません。協力していただいてありがとうございます。時間があるときで良いので何かわかったら教えてください」


 言いながら彼女は携帯電話を操作して、僕らの端末に写真をメールで送信する。その後、巴ちゃんは僕らに頭を下げてから軽く手を振って去っていった。


 少女の姿が見えなくなったところで明彦が「うーん」と唸り声を漏らす。


「どうする? 正直今回は期待に応えられそうもないんだが」

「そうだね。野良猫だったら『交通事故に巻き込まれた』とまではいかないまでも『どこか遠くへエサを探しに行く』くらいはありそうだしなあ。でもできることはしてみようか」

「何か当てがあるのか?」


 明彦が目を見開いて僕を見やる。


「僕だって二年もこの学校にいるからね。猫をよく見かける場所には少しくらい心当たりがある。あとは『美術部に出入りしていた』ってことは実習棟の周辺を通り道にしていたことになる。だからその辺りを中心に建物の隙間や影を探してみるよ」

「なるほどなあ。じゃあ俺も虹村あたりに訊いてみるかな。あいつなら校内のことに明るいかもしれんし」

「それは良いかもしれないな。じゃあそれぞれ動いてみて何かわかれば教えあうってことにしようか」


 そんな会話を交わしたところで僕らは昼休みが残り少なくなっていることに気がついて、教室に戻ろうと踵を返したのだった。

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