第13話 隠されたメッセージ

「なるほど。それじゃあ梅ヶ丘さんがTシャツを汚して、喜多見さんに男子部員の存在を証言させた。日頃から倉庫を逢引きに使っていた部員たちはそのことを公にされたくなくて、犯人探しに消極的だったのね」


 隣を歩く星原は納得したように呟いた。学校の指定カバンを手にぶら下げた僕と少し前を歩く虹村がそれに答える。


「ああ、そういうことだったんだ。それで実際に部内の大勢が贈り物を中止する側になったから梅ヶ丘さんは自分を悪いとも思っていなかったらしい」

「だからって、人が作ったものを駄目にしていいはずはないんだけどね。結局、狛江さんは彼女たちを責めるつもりはないみたいだったから、私もあれ以上何か言おうとは思わなかった。……でも、一応はこれで落着だね。月ノ下くんと星原さんのおかげだよ。ありがとう」


 あれから数日後の放課後。僕と星原が下校しようとしていたところ、クラス委員会の活動を済ませた虹村と出会ったので一緒に帰りながら先日の顛末について話していたところだった。


「いや、でも最後は虹村が解決したようなものだろう。あんな風に『部内での多数派がすでに食事会をする方に賛同している。今さらTシャツの責任を追及したって意味なんかないんだ』って言われたら僕には返す言葉がなかった」

「彼女の態度には私も内心腹に据えかねていたところがあったから、つい追い詰めるような言いぶりになっちゃったけどね。……でも多数派の立場を振りかざして狛江さんに謝りもしないでいるのを見ていたら、それなら同じ理屈で追い詰めれば反省してもらえるかと思って」


 虹村は少し恥ずかしがるように頭を掻いた。僕には冷静に淡々と話しているように見えたが、内面では若干感情的になっていたらしい。


「……ただ、さ。正直言うと僕は梅ヶ丘さんだけが悪いとも思えないんだよな」


 そもそも梅ヶ丘さんが「多数派であれば正しいのだ」と歪んだ価値観を持つに至ったのも、女子テニス部内での多数派の同調圧力に振り回された経験から来るものだ。


「今回の主犯は確かに彼女なんだけど、『周りの反応を窺って、多数派を選んで孤立しないようにしたい』っていう流されやすい部員たちのムードも彼女を後押ししていたわけだからなあ」


 星原はそんな僕らのやり取りを聞いて、さもありなんと言わんばかりに頷く。


「多数決というのは結局のところ『その場にいる人間の考えで一番多いものを採用する』というだけで、正しさと直結するわけではないのよね。……『多数決は多数派による独裁である』なんて言った作家もいるもの」


 集団の方針を統一する方法論としてわかりやすいが、それ以上の価値を期待するべきではないということなのだろう。そう考えると部全体のことを慮っていた狛江さんが今回の卒業生のお祝いの件で少数派に回ってしまったのはなんだか皮肉だ。僕がそんなことを頭の片隅で呟きながら校門の方へ歩いていると、前方で見覚えのある顔が並んでいるのに気が付いた。


「おお。月ノ下だっけ?」

「どうもです」


 軽い雰囲気で声をかけてきたのはラケットを持った二人の少年。男子テニス部の経堂くんと船橋くんだ。だが、先日話した時とは違って明るい表情で手を振っている。


「ああ。しばらくだね。……なんだかにこやかだけど、何かいいことでもあったの?」


 僕の問いに経堂くんがうんうんと頷きながら答える。


「それがなあ、少し前に女子テニス部員からの対応が柔らかくなったんだ」

「え? そうなのか。この間は練習の邪魔扱いされていたのに」


 船橋くんも嬉しそうにラケットを軽く振りながら説明を始めた。


「いや、ほら。この間、女子部員が卒業生のお祝いにTシャツを作ったら半分くらい失敗したっていう話があったじゃないですか。そうしたら『もう一度作り直そう、折角だから男子部員も一緒に参加させて卒業生に贈り物をしよう』っていう声が女子テニス部の中から挙がったんです。『食事会にも参加しないか』って誘われまして」


 横で聞いていた星原と虹村もテニス部内の微妙な変化には意外に思ったらしく、それぞれに目を見開いて「へえ」と小さく声を漏らしていた。


「それじゃあ君らもTシャツを作ったのか」

「はい。女子部員とペアになって二人で一枚作る形でしたが。前に作ったTシャツの残りと作り直したTシャツを組み合わせて新しくメッセージを込めて贈ることになったんです」

「新しくメッセージを?」

「ええ。確か『GO FOR YOUR DREAMS』だったかな」


 翻訳すると「夢に向かって進んで」という卒業生への激励の言葉だ。

 経堂くんも少し得意そうに胸を張って語り始める。


「俺は『F』の字を作ったんだ。船橋は『O』を作ったんだっけ? まあ材料費は負担したし手間はかかったが、ああいうのは初めてだったからな。ちょっと面白かったぜ」

「それに、練習時間も今までは三十分だったのが『男女の共同練習する時間を作ることにしよう、男子と練習したほうが女子の実力も向上する』っていう話になりまして。僕らのコートが使える時間も増えることになったんです」


 それまで少数派として肩身の狭い思いをしていたテニス部の男子部員二人を取り巻く状況が改善されたのは良かったとは思うが、ずいぶん急激な変化だ。


「それは……何よりだね。でも急に何でそんな風になったんだ?」

「いやあ、次から部の運営をすることになった二年生女子の梅ヶ丘ってやつが『女子部員が数の少ない男子部員を圧迫するのは良くない』『将来的にもし男子部員の方が多くなるようなことがあったときに同じ扱いをされたら納得できるのか』って周りの部員たちを説得してくれたんだ。そういえば俺たちとTシャツを作ったのもその梅ヶ丘と、あと喜多見とか言う一年だったな」

「そうなんですよ。駄目になったTシャツもその梅ヶ丘さんと喜多見さんが半分以上負担して、もう一度買いなおしたんです」


 僕の質問に経堂くんと船橋くんがそれぞれ答えるのを聞いて、僕は内心驚かされるばかりだ。あの梅ヶ丘さんが「少数派」の男子部員を思いやろうとするなんて。


 それから男子テニス部の二人は「じゃあ、練習があるから」と体育館の方へ歩き去っていった。


「ちょっと驚きだね。特にあの梅ヶ丘さんが。元々自分がやったこととはいえ駄目になったTシャツを買いなおしてあげるとはねえ」

「ああ。それに男子部員を気遣うようになったこともな。どういう風の吹き回しなんだろう」


 実際に彼女の態度を見知っていた虹村と僕は、狐につままれたように顔を見合わせた。一方、そんな僕らをよそに星原は携帯電話をいじりながら「……ひょっとしたら」と何やら呟いている。


「星原? どうかしたのか」

「いや。ちょっとTシャツの文字のことなんだけど。狛江さんは最初に十五文字のメッセージ文をTシャツで作る予定だったわけでしょう」


 確か『HAPPY GRADUATION』というメッセージだったか。


「でもそれが梅ヶ丘さんに汚されて六文字だけが残った」

「うん。『G』『R』『A』『D』『U』『O』が無事だったはずだな」

 それがどうかしたのだろうか。


「それで、今回梅ヶ丘さんの提案で新しく作ったメッセージというのが『GO FOR YOUR DREAMS』というフレーズよね。つまりこの文字のうち『GRADUO』は前に作った文字Tシャツを流用したものだわ。……それに今の話だと男子部員たちが『F』『O』の二文字の材料を出して協力したということだった」

「そうだな。男子と協力して改めて『十五文字』のメッセージを作った。『無事だった六文字』と『経堂くんたちが作った二文字』を合わせて『八文字』。つまり梅ヶ丘さんたちは『七文字分』のTシャツを自分で買った。それが何かおかしいのか?」


 僕は彼女の言いたいことが解らず困惑する。一方、星原は携帯電話のメモ画面に『GO FOR YOUR DREAMS』と入力すると、その文字列から無事だったTシャツの文字『GRADUO』と男子部員が作った『F』『O』を削除していく。そして携帯電話のメモ欄に残された文字を僕と虹村に見せた。


「ということは、今回『梅ヶ丘さんの発案で購入した分』のTシャツで作った文字は『Y』『O』『R』『R』『E』『M』『S』の七文字。並び変えると『SORRY ME』。つまり『ごめんなさい』という意味になるわ」

「それじゃあ、何か? 梅ヶ丘さんは卒業生へのお祝いのメッセージを作り直しながら、表向きに言えない部の皆への謝罪の意味をこっそり込めていたとでも?」

「偶然じゃないのかな?」


 僕と虹村は流石にこじつけなのではと、眉をひそめた。


「そうね。私の想像でしかないし、人の心の中なんて確かめようがないわ。でも『多数派の強み』を振りかざしていた彼女が、態度を変えて男子部員たち少数派のことを配慮するようになったのは事実でしょう。……もしかしたらあなたたちの言葉が彼女の考え方に一石を投じたのかもしれない」

「そうか。……そうだな」


 一年前に少数派に立たされることの辛さを痛感していた梅ヶ丘さんは「多数派が正しいのなら自分が多数派になるように誘導すればいい」という歪んだ価値観にとりつかれていた。しかし狛江さんの態度を見て「少数派の立場を思いやらなくてはいけない」という形で、その苦い経験を教訓としてとらえなおしたのかもしれない。


 一方、狛江さんは自分の考えが少数派であっても、部内の和を保とうとして彼女なりにできることをしようとしていた。ただ、そんな彼女も男子部員たちのことまでは配慮していなかったのである。


 そんな彼女に思うところがあった梅ヶ丘さんが「自分だって、部全体のことを考えて運営をすることくらいできるのだ」と男子部員たちにも配慮するようになったということは考えられないだろうか。


「確かに弱い立場の人間を踏みにじって成立するコミュニティなんて長続きしないだろうな」


 僕の見解に虹村も同意しながら、校門へ歩を進めた。


「そうだね。少数派も多数派もみんな幸せになれる選択があるならそれを目指すべきだと私も思うよ。何かの選択をするときに、それに負担を負わされる少数派がいるんじゃないかって想像する思いやりが大事ってことだね」

「人は圧迫される少数派になったときには問題意識を持てるけれど、多数派になっているときには気がつかないものね。事故のリハビリで車いすを使うようになった人がバリアフリーの重要さに気が付いたなんて話もあるでしょ」


 そう言いながら星原もすました表情で頷き返したが、ふと目を見開いて「あ、そういえば」と立ち止まる。


「どうした?」

「ほら。トラブルを解決したらケーキ専門店のサービスチケットを狛江さんからもらえることになっていたのだけれど、あれってどうなったの」


 星原の疑問に、虹村が「ああ、それなら」と軽く手を挙げる。


「私が、昨日彼女から受け取っておいたよ。はい、これ」


 彼女はゴソゴソとカバンから二枚の紙を取り出した。二枚。……二枚?


「これ、おひとり様一枚限りって書いてあるな」

「うん、そうだね。だから月ノ下くんと星原さんで行ってくればいいじゃない」


 しかし三人で帰ろうとしているところで、虹村だけを残して二人でケーキ屋に寄るのは流石にどうなのか。それに今回の件については虹村だって解決に貢献したのだ。もう、いっそのこと僕は辞退して星原と虹村で行った方が良いような気がしてきた。


 僕がその結論を答えかけたところで、星原が口を開く。


「考えてみれば最後にトラブルを解決したのは虹村さんだものね。じゃあ月ノ下くんと虹村さんで行くというのは?」

「……星原。雪でも降らすつもりか」


 甘いもの好きの彼女がケーキを食する機会を他人に譲るなど大異変である。天変地異の前ぶれではあるまいか。


「どういう意味?」と星原が不満そうに僕を睨む。

「いや、私のことは気にしないで。二人で行ってくればいいじゃない」と虹村がとりなすように口をはさんだ。


 だが、ここで星原が何故か意地の悪い微笑を浮かべる。


「ああ。……そういうことなら月ノ下くんに決めてもらいましょうか。私と行きたいのか。虹村さんと行きたいのか」


 さらに彼女は虹村に意味ありげな目配せをする。虹村も何を感じ取ったのか、にっこり笑って「それは良いね。月ノ下くん。どっちと行きたいの?」と問いかけた。


「ええ。どっちが良いのか、はっきり聞かせてほしいわ」と星原は思わせぶりなウインクをしてみせる。

「えっ? ええ?」


 僕はまたも頭を悩ませる。虹村のことは良い女友達と思っているし、優しくて真面目な彼女のことだ。仮にここで星原を選んだところで「のけ者にされた」と怒ったりはしないと思う。だが、だからこそ彼女のそういう寛容さに甘えて良いものかという後ろめたさがあった。


 といって、虹村を選んだらどうなるんだ? 星原は僕が虹村と一緒に過ごしても気にしないのだろうか。それとも、まさかこの機会に僕の気持ちを試しているのか?


 誰も傷つかない選択肢を探して優柔不断になっている僕がいた。そんな困っている僕に星原が追い打ちをかける。


「悩んでいて決められないみたいね? ……それじゃあ多数決にしましょう。私と虹村さんで行くのが良いと思う人」

「はーい」と虹村が手を挙げて、星原もそろって手を挙げる。

「……!?」


 唐突な展開に茫然とする僕を置いてきぼりにするように、少女たちは歩き出す。


「それじゃあ、二人でガールズトークといきましょうか」

「そうだね。楽しくケーキでも食べながら一件落着したことを祝いましょう」


 はっきり答えを出せなかった罰だと言わんばかりに星原と虹村は僕を無視してにこやかな笑顔で語り合う。


「ちょっと待て。少数派への思いやりはどこへ行った」


 一応さっきは星原と虹村で行ってもらった方が良いと思いかけていたので、さほどの不満はないが、この態度はどうなのか。顔を引きつらせる僕を見て星原は小さく笑ってから「冗談よ」とからかうように舌を出して見せる。


 虹村はチケットを指さして僕をとりなすように微笑した。


「このチケット、テイクアウトも大丈夫って書いてあるよ。だから二人で買ったケーキを三人で星原さんの家にでも持って行って三人で食べましょう」

「……なるほど。それはみんなが幸せになれる選択肢だな」


 どうやら星原は僕が二人に気を遣ってどちらも選べないとわかったうえで、反応を楽しんでいたらしい。


 多数決が正しいかどうかは置いておいて、選択肢を提示する側が主導権を握ることがあるということだけは教訓として肝に銘じておこう、と僕はため息交じりに頭の片隅で考えた。


 そして、全員が幸せになれる選択肢がその中になかったら自分でそれを考えて提案するべきなのだ。僕はそう心の中で結論を出すと二人の後を追ったのだった。

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