第10話 女子テニス部の裏事情(前編)

 校舎の時計の針は十六時半に差し掛かっていた。校庭では何人かの生徒たちがバレーボールやサッカーに興じているのが見える。


「つまり誰かが卒業生に贈り物をしたい部員を少数派にすることで『犯人探しにこだわらない状況』を作り出したんだね。疑われないように『倉庫に出入りしていた男子生徒』の存在をでっちあげて」

「ああ。喜多見さんもそれに協力して、噓の証言をしたんだろうな」


 隣を歩く虹村に僕は考え込みながら応える。


 星原と勉強会をした翌日の昼休みである。僕は昼休みのうちに、狛江さんに犯人と思しき人物と協力者の喜多見さんを放課後にテニス部室に呼んでもらうよう連絡した。そして虹村と一緒にこれから直接対面して事実を確認しに行くところだ。


 ただ犯人が喜多見さんの弱みを握って協力させたのは間違いないようだが、その動機はどこにあったのかがいまだにはっきりしない。「彼女」が卒業生の贈り物に消極的だったのは間違いないが、積極的に邪魔をするほどとなると何らかの確執があったのだろうか。


「それで、そのことについて綾瀬さんが手掛かりを知っていると思ったから話を聞きに行ったんだよね。どうだったの?」

「一応は答えてくれたよ。『月ノ下くんも少しはそういう方面に気が回るようになったみたいだね』ってニヤニヤ笑いながらな」

「結局、何を訊いたの?」

「大したことじゃない。『もしかして、あのテニス部の倉庫は部内で非公式な使われ方をしているんじゃないか』っていう話だ」

「それって、どういう……」


 彼女がさらに質問しかけたところでテニス部室が見えてきたので「着いたぞ」と僕は虹村に目配せした。テニスコートの横に建てられた二つの入り口があるプレハブ小屋。僕はそのうちのテニス部室として使われている引き戸を軽くノックをして開ける。中に足を踏み入れると三人の少女が待ち構えていた。


 一人はショートカットの髪にバンダナを巻いた少女、狛江さんだ。


 もう一人はセミロングで垂れ目の大人しそうな少女。一年生部員の喜多見さん。

そして最後に前髪をピンで留めている切れ長の目をした少女。梅ヶ丘さんである。


「月ノ下さん。お願いされたとおり、来てもらいました、が……」


 狛江さんは僕と虹村が入ってきたのを目にして、会釈したもののどこか気まずい表情で言葉の最後を濁した。彼女は犯人を探してほしいとお願いしたものの、それが自分と同じ女子テニス部の人間だったという事実を素直に受け止められていないのだろう。


 一方、梅ヶ丘さんは憮然とした表情で僕らをにらみ返す。


「いったい何なの? 人を呼び出して」

「君に聞きたいことがあったんだ」


 僕は静かな口調で応えながら部室に足を踏み入れる。虹村も無言で僕に続いた。


「聞きたいこと?」

「ああ。女子テニス部で卒業生のために作ったTシャツが半分以上汚されたあの件のことだ」

「それが何?」

「あれは君がインクを塗りつけたんじゃないかということさ」


 僕の言葉に梅ヶ丘さんは「ハッ」と冷笑して「何の話をしているのかわからないわ」と首を振ってみせた。一方、狛江さんも納得いかない様子で僕に訴えかける。

「月ノ下さん、あれは私になりすましたどこかの男子生徒が犯人だったんじゃないんですか?」

「いや、違う。そんな男子生徒は最初から存在しなかった。あの昼休みに最初に鍵を借りた梅ヶ丘さん、そして最後に鍵を借りた喜多見さんが二人で作り上げたまやかしだったんだ」


 僕の言葉に喜多見さんはぎくりとした表情で目を見開いた。だが梅ヶ丘さんはそんな彼女を威嚇するように一瞬睨んでからこちらに向きなおる。


「言ってくれるね。一体どうやったらそんなことができるっていうの?」

「君か、あるいは喜多見さんが二度、鍵を借りていただけだろう。鍵を渡す先生も、借りる人間の顔と名前をすべて覚えているわけじゃあない。……普通に他の部員の名前を騙っても本人に否定されるだけだから『女子部員の名前を使って入り込んだ男子生徒』がいたことにしたんだ。さらにその前後も自分たちで鍵を借りて、他の部員をその時間帯に部室に近づけないようにすることで嘘をバレにくくした」

「へえ。証拠は?」

「喜多見さんは男子生徒がテニス部室の倉庫に出入りしているところを『十二時半すぎくらいに見た』と証言していたんだ。ところが先日、僕が鍵の管理表を見たら、その狛江さんの名前で借りられた鍵は『その時間、すでに返ってきていた』んだよ。つまり喜多見さんが倉庫に出入りしている男子を目撃したという時間に鍵を持っている人間なんていなかった」


 当初、僕は喜多見さんの言葉を疑っていなかったので、鍵の管理表を確かめようとは思っていなかった。だが嘘を見抜く特技がある虹村の指摘を受けて裏を取ったところ、矛盾が出てきたわけである。


「偽装のために君が狛江さんの名前で鍵を借りたときに記載した時間を、喜多見さんの方は把握していなかったんだろうね」

「そんなの喜多見の目撃した時間が記憶違いだったってことかもしれないじゃない。男子生徒がいなかったことの証明にはならないよ」


 軽く髪をかきあげた梅ヶ丘さんはあくまでも僕の指摘を認めず、冷たい目でこちらを見つめ返した。


「時間が食い違っていたのに目撃した事実は間違いないって、一人の証言の『自分に都合良いところだけ』を主張するのは無理があるよ。そもそも問題の男子生徒がいなかったことの証明なんて困難だ。わかっているのはその男子生徒がいたことを証明するものは何もないということだ。……そして問題の本質はそこじゃあない。『なぜ第一発見者であり、最後の鍵を借りた人間でもある喜多見さんのあいまいな証言が部内で信じられたのか』『なぜ疑われることなく部内での信ぴょう性を得たのか』っていうことだ」

「何が言いたいの?」


 喜多見さんの証言が部員たちに疑われなかった理由。それは実際に「日常的に部外の男子生徒たちがテニス部の倉庫に出入りしている」という事実があったからだ。


「僕は昨日、綾瀬に訊いたんだ。『もしかしてテニス部の倉庫は部員たちが非公式に使っている用途があるんじゃないか』と。そして彼女は教えてくれた。『テニス部の倉庫は女子部員たちが付き合っている男子との『逢引き場所』として日常的に使っているんだ』とね」


 その言葉に梅ヶ丘さんは面白くなさそうに鼻白んだのだが、それよりも早く虹村が

「逢引き!?」と劇的な反応を示した。


「えっと、それは。つまり……テニス部の女の子たちは、普段から、部活のないときに理由をつけて鍵を借りて、自分の彼氏をつれこんで。二人きりで」


 虹村は顔を真っ赤にして慌てふためいてみせる。後半の言葉はもごもごと消え入りそうな様子だ。いや、必ずしも虹村の想像しているような行為に及んでいるのかはわからないのだが。


 狛江さんも「えっ、えーっ? ……私、初耳」と茫然とした表情で声を漏らしていた。そういえば彼女はこの件を知らなかったのか。もしかして部内で少し浮いているのかもしれない。


 僕はこほんと咳払いをして「とにかく」と言葉を続ける。


「こうなると喜多見さんの『男子生徒が出入りしてTシャツを汚した』という証言が部員たちにどういう意味合いを与えるかわかるだろ? 『自分たちも男子生徒を日常的に連れ込んでいる』『他の女子部員が連れ込んだ男子がなにかの間違いでインクをこぼしたとしてもおかしくはない』『きっと他の子の彼氏がやらかしたんだ』という不安と憶測が広がっていったんだろうね」


 普通に考えれば「外部の男子生徒が女子テニス部員の生徒になりすまして倉庫に入り込んだ」などという証言を聞いても、入り込むことの目的も動機も無さそうに思える。


 しかし「あの倉庫が女子部員の男子との逢引きに普段から使われている」という前提があれば話は違う。実際に日常的に出入りしている男子生徒がいることを当事者として知っている女子部員たちからすれば俄然、現実味のある証言なのだ。


「そしてこの証言はもう一つ、部員たちの心理に影響を与えることになるんだ」

「……どういうこと?」と虹村が首をひねる。

「女子部員たちの立場で考えてくれ。もし犯人探しをしてその男子生徒が見つかったら、当然顧問の先生の耳にも入ることになる。そうしたら『その男子生徒はなぜ倉庫に入り込んだのか』ということが問題視される可能性が出てくるだろう?」

「……そうか。実際にはそんな男子は存在しなかったわけだけど。日常的にあの倉庫がどういう使われ方をしているか、身をもって知っている部員たちからすれば」

「ああ。『倉庫で女子部員が男子生徒と頻繁に逢引きをするのに使っている』という事実が白日の下にさらされることになる。自分たちも生活指導としてとがめられることになるかもしれない。つまり後ろめたいところがある部員たちはこう考える。『もう犯人探しをするのはやめよう』『無理に弁償させてTシャツ作りをすることもない。食事会で良いじゃないか』とね」


 狛江さんが「それで、みんな急に『贈り物をしなくても良い』って言いだしたんですね」と苦い表情で喜多見さんを横目で見た。一方、喜多見さんは何も言わず硬い表情でうつむくだけだ。


 僕はここで無言で立ち尽くしている梅ヶ丘さんに顔を向ける。


「数週間前にテニス部で『卒業生に贈り物をする』か『食事会で祝う』かについて多数決を採ったところ、贈り物をすることに決まった。しかしそれが今や『食事会で祝う』方が主流になっている。多数決で少数派が勝つ方法なんてないはずなのに逆転しているんだ」


 本来、二者択一の多数決で少数派が勝つ方法はない。しかし別の要素を組み込んで「何らかの方法で勝たせたい選択肢より優位な選択を排除すれば」話は違う。


「つまり当初は『贈り物』か『食事会』という二つの選択がある状況だったけれど。今回の事件で前提条件が変わった。……『部の不祥事がバレる覚悟で犯人の男子を探しだす』あるいは『事を大きくせずに食事会をする』という『別の二択』が裏に絡んでいる状況になったんだ。その結果、部員たちの中には『犯人探しをして、倉庫に男子生徒を連れ込んでいることがバレるくらいなら食事会の方が良い』『もう一度費用と手間をかけるほど贈り物にこだわっていない』という層が生まれた。その結果、部内の多数派が逆転したわけだ」


 僕の言葉に喜多見さんはおびえたように縮こまる一方、梅ヶ丘さんは相変わらずの無表情だ。


「梅ヶ丘さんは元々、三年生に敬意を払っていなかったし贈り物もしたくなかった。だからTシャツを汚して、部内の多数派を逆転させることで贈り物の企画を中止にしたかった。違うかな?」


 

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