第9話 多数決で少数派が勝つ方法

 窓の外から茜色の夕日が部屋の壁を染めていた。

 ソファーに腰掛けた黒髪で色白の少女は悩まし気に髪をかきあげながら呟く。


「つまりその喜多見さんという少女は、存在しない男子生徒の容疑者をでっちあげていたことになるのね」


 テニス部の一年生から話を聞いた日の翌日。僕は星原と図書室の隣の空き部屋で放課後の勉強会をしているところである。そしてきりが良いところで彼女に経緯を説明したのだった。


「そうなんだ。確かに冷静に考えれば、第一発見者の彼女ならインクでTシャツを汚すこともできるだろう。……だけど何のためにそんなことをしたのかがわからない」


 彼女の隣に座った僕はため息交じりに応えた。


 二年生たちは三年生に対してそれほど敬意を払っておらず、贈り物をするのも面倒くさがっていた。だが一年生の喜多見さんもそうだったのだろうか。しかし……。


「狛江さんの話では、少し前まで喜多見さんもプレゼントをすることに賛成している立場だったらしいんだ。それなのに『急に邪魔をする側に回る』なんてことがあるのかな」

「例えば喜多見さんがTシャツを作るときに何かのアクシデントがあった、というのはどう? そこで、それを誤魔化すために贈り物のお祝いそのものを中止にする必要がでてきたとか」

「アクシデント、か」


 星原の推論は筋が通っている。つまり喜多見さんはTシャツを作るときに何かの失敗をしてしまった。しかし自分一人が失敗したのではその分をもう一度費用負担することになる。しかも部室で話を聞いた限りでは、彼女は部活の費用を自分で出していて経済的に苦しいのだという。そこでTシャツの企画そのものを中止にしたかった。

自分一人ではなく、半数以上のTシャツが駄目になったとなればもう一度作る作業を面倒に思って企画そのものがつぶれるかもしれない。二年生のように贈り物をすることにそもそも消極的な人間もいるのだから。


「悪くない発想だと思うよ。ただ、いくつか気になることがある。一つは喜多見さんの性格のことだ。僕の主観だけれど、大人しそうで自分の失敗を隠すためにそんな大胆なことをするように見えなかった」

「そうなの。……でも仮に汚したのが喜多見さんではないとしても、男子生徒の容疑者をでっちあげたのは彼女なのだから無関係ではありえないわ。最低でも協力者ということにはなるでしょう」

「ああ。そうなると、彼女以外の『主犯』が存在することになる。……それと二つ目。何故か喜多見さんが疑われていないということなんだ。改めて考えると喜多見さん自身が『第一発見者』で、架空の男子生徒の証言をしたのも彼女だ。これって普通に考えたら怪しい立場なのに、彼女の証言はあっさり受け入れられて部内で誰もそのことを追求していない」

「……それは、確かに不自然かもね」


 星原は僕の指摘に腕を組んで考え込んだ。


「その背景にあるのが虹村も指摘した『部内の考えが逆転している』ことなんだ。当初は『贈り物で祝う』方が多数派だったはずなのに今は『食事会で祝う』方が主流になっている。だからみんな贈り物を駄目にした犯人を探すことにこだわっていない」

「……この間もそんなことを話したわね。犯人は多数派が入れ替わることを、つまり『贈り物をしたい人間よりも食事会をしたい人間の方が多数派になること』を見越してTシャツを汚したんじゃないかってことよね?」

「でもそれって、つきつめると『部員たちが犯人を探したがらない状況を意図的に作り出した』っていうことになるだろう。……だけど多数派が入れ替わるようにするとはいっても、それをどうやって実行したんだ? そもそも『多数決で少数派が勝つ方法』なんてないはずだろう」


 犯人はどうやって部内の雰囲気を一変させて、「食事会」派を主流にしたのだろうか。僕が頭を悩ませて唸っていると、星原は難しそうな表情でぼそりと呟いた。


「……実はあるのよね」

「え?」

「あるのよ。『多数決で少数派が勝つ方法』が」

「だって、星原自身がこの間言ったじゃあないか。多数決で少数派が勝つ方法はないって」

「あのとき、私は『二者択一』の多数決では少数派が勝つ方法はないと言ったの」


 僕は一瞬沈黙して彼女の言葉の意味をとらえようとする。二者択一では?


「つまり二つの選択肢では少数派は勝てないが『三つ以上の選択肢の多数決なら少数派が勝つこともできる』っていうのか。どうやって?」

「端的に言うと『三つ以上の選択』では投票したときに『一番好ましい選択肢』と『一番選びたくない選択肢』が同じになる可能性があるからなの。……例えば三つの選択肢で『四割』『三割』『三割』に支持が割れている状況があったと想像してみて」


 三つの選択肢で票が『四対三対三』に割れている。


 それではもっとも好まれている四割の支持がある一つ目の選択肢が選ばれることになるが。……いや待てよ、もしも逆に「一番選びたくない選択肢はどれか」というように決を採ったとしたらどうだろう。


 僕は数秒ほど考えこんでから、彼女の言わんとすることを察した。


「そうか。普通に考えると『四割の票を集めた選択肢が一番人気がある』ことになる。しかし見方を変えると『この最初の選択肢に六割が反対している』とも見ることができるな」

「そういうこと。つまり三つ以上の選択では多数決をするときに決の採り方で結果が変わってしまう。……ちなみにこの考え方を応用した発想に『コンドルセのパラドックス』というものがあるの」

「コンドルセのパラドックス?」

「三つ以上の選択肢に優先順位をつけて比較するときの矛盾の話。……例えば、三人の人間が食事に行く場所を決めるのに『和食』『洋食』『中華』のどれにするか揉めていたとしましょう。そこで、それぞれの第一希望から第三希望までを出させたらこうなった」


 彼女はノートに図表を書き始めた。「一」「二」「三」という列の下に「A」「B」「C」という行を追記する。


 上の「A」の行には「和」「洋」「中」。

 次の「B」の行には「洋」「中」「和」。

 最後の「C」の行には「中」「和」「洋」。


 僕はそれを見てすぐにあることに気が付いた。


「これって、三すくみじゃないか。三人の優先順位が循環している。多数決を取っても決着がつかないぞ」

「そうね。でも、まず『洋』と『中』を比べてみて」

「『洋』と『中』を? その二つならAとBは洋の方を優先しているな」

「ということは『洋食の方が中華より良い』と思っている人が『三人中二人』いるのでしょう? それならば多数決でまず『中華』を選択肢から外せばいい。その後で『和』と『洋』を比べたら『和食の方が洋食より良い』と思っている人が『三人中二人』いる。だから『和食』が選ばれる。……もちろん同じ手法を使えば『中華』や『洋食』を勝たせることもできる」


 なるほど。この優先順位の中では「和食」は「中華」に勝てない。そこで「中華」よりも優勢である「洋食」を使って、「中華」の選択を外させる。その後で「和食」と「洋食」を比べれば「和食」が多数決で勝つことになる。


「つまり最初に都合のいい比較を持ち出して、自分の選びたいものより優先順位が高い選択を排除する。その後で残りの二つで多数決をする。……このやり方なら『多数決の手続きを選ぶ人間』が好きな選択肢を優位にすることができるわけだ」

「そういうこと」と彼女は微笑んで見せる。


「理屈はわかったよ。……だけど、今回のテニス部の件では選択肢は二つなんだよ」

「そうね。でも今の話の眼目は何らかの方法で優勢な選択肢を排除すれば、少数派でも勝てるということよ。もしもテニス部員たちにしかわからない別の要素があったのだとしたら?」

「つまり『贈り物』という選択肢を排除して、『食事会』を優先させるための何かがあったっていうのか」


 だがTシャツを作ってプレゼントすることに同意していた部員たちが考えを翻して、食事会をすることを選びたくなる要素とはいったい何だろう。


 きっかけがTシャツが汚された一件にあるのは間違いないようだが。


「おそらくは喜多見さんか、彼女に協力させているもう一人の部員の誰かが何か働きかけたんでしょう。……最初はそういう立場の外部の男子生徒が犯人なのかと思ったのだけれどね。『実際に女子テニス部に出入りしている男子が何人かいた』っていうのがまた紛らわしかったわ」


 何の気なしに口に出したのであろう彼女の言葉に僕も相槌を打つ。


「全くだ。容疑者のはずの男子生徒がでっちあげだったからな。明彦にも無駄な手間を取らせてしまった。……待てよ」


 ふと今の彼女の言葉が妙に脳内で引っかかった。


 そう。今回喜多見さんは男子生徒の存在をでっちあげたようだが、笹塚くんに聞いた限りでは「女子テニス部員と関わっていて日常的に出入りしているらしい男子生徒」は実際に何人か存在しているのだ。


 僕はおもむろにソファーから立ち上がる。


「……星原。ちょっとテニス部に行ってくる」

「どうしたの?」

「もしかするとテニス部内の考えを逆転させた方法がわかったかもしれない」

「つまり、贈り物で祝う選択肢を排除する別の要素が見つかったということ?」

「ああ、多分ね。鍵を握っているのは綾瀬だ。……彼女なら何か知っている」


 星原はその言葉に一瞬沈黙してから、こちらに顔を向ける。


「でもそれって、テニス部員たちとしても多分外部に知られたくない話なんでしょう。綾瀬さんが教えてくれるっていうの?」

「あいつは僕の天敵みたいなものだし、苦手な人間ではあるが。……周りに流される人間でもないんだ。だから部内の多数派や少数派だの特定の派閥に味方するようなことはしない。向こうから教えてはくれないが、訊くべきことさえ訊けば多分答えてくれるさ」


 そう答えて僕は廊下へ足を踏み出したのだった。

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