第11話 女子テニス部の裏事情(後編)
梅ヶ丘さんは「ふん」と鼻を鳴らして僕の質問に対して不機嫌そうに口を開く。
「そうだとしたら、何で喜多見が私に協力して嘘の証言なんてするのかな。あの子には何のメリットもないはずでしょう」
「それがあるんだよ。……狛江さん。例のTシャツを見せてくれないか?」
狛江さんは「あ、はい」と返事をして、例の部員たちが作ったTシャツが入った袋を部室の片隅にあった箱から取り出す。倉庫にあったものを事前に伝えて持ってきておいてもらったのだ。
そしてその中の一枚。僕らが確認したときに一枚だけテニス部のマークが入っていなかった「N」のTシャツを彼女は引っ張り出した。
「このシャツにはテニス部のマークが入っていない。さて、この狛江さん。この『N』のTシャツは誰が作ったものだったのかわかるかな?」
「これですか? 確か……喜多見さんが作ったものですが」
「最初に部室でこのTシャツを確認したときに、僕はインクで汚されたことに気を取られていたから単純に『マークが入っていない』と思っていた。でもそうじゃないんだ。実はこのTシャツは『表裏が逆』になっているんだよ」
狛江さんが僕の言葉に「えっ」と驚いて手に持ったTシャツを確認した。
「……ほ、本当ですね。よく見たらこのTシャツは裏返しになっています。それに、気づかれにくいように内側についていたタグがはさみで切られています」
ここで虹村が「あれ?」と首をひねる。
「……ということは、この『N』の文字は左右を逆にしてプリントされていたことになるよ」
そう。僕らが最初確認したときにはこのTシャツは汚れていたことを除けば何の問題もないように見えていた。『N』の文字も普通にプリントされているように思えた。だが実は裏返しになっていたのだとしたら、左右が反転していたことになる。つまりそもそもこのTシャツは「インクで汚されたこととは関係なく失敗していた」のだ。
「喜多見さんはTシャツを作るときに間違えて左右を逆にプリントしてしまったんだ。しかし経済的に厳しい家庭で、部活の費用を自分で出している彼女はもう一度費用がかかることを考えるとその失敗を言い出すことができなかった。そこでひとまず裏返しにしてその場を誤魔化したんだ。……しかし、たまたまそれに気が付いた人間がいた。そう、梅ヶ丘さんだ」
狛江さんが「それじゃあ、まさか」と目を見開いた。
「ああ、梅ヶ丘さんが彼女に『Tシャツ作りを失敗したことを無かったことにしてあげる』と話を持ち掛けた。卒業生へ反感を抱いていた梅ヶ丘さんは彼女の失敗をきっかけに贈り物を中止にさせる方法を思いついたんだ。それがTシャツを汚して、ありもしない男子生徒の存在をでっちあげることだったんだよ」
僕らのやり取りを無言で聞いていた喜多見さんは顔をこわばらせて、震える手をぎゅっと握りしめていた。だが梅ヶ丘さんは「いやいや」と苦笑いをして首を振って見せる。
「なるほど。喜多見が作ったTシャツが失敗していたのはわかったよ? 問題の男子生徒がそもそも存在しないかもしれないってことも。でもそうだとしたら犯人は喜多見なんじゃないの?」
その言葉に喜多見さんはここにきて初めてまともに口を開く。
「梅ヶ丘先輩。……そ、それは」
しかしそんな彼女を梅ヶ丘さんは「黙っていて」と目で制する。
「だってそうでしょう。自分だけTシャツ作りを失敗してしまった。その分の費用を払いたくないから、誤魔化すために他の人のTシャツも汚した。そして狛江の名を使って鍵を借りて、最初から存在しない男子生徒がいたと証言した。これで全部説明がつくじゃない」
若干強引ではあるが、彼女の主張には一理あるように聞こえる。Tシャツが汚された昼休みに鍵を借りたのは、身に覚えがない狛江さんを除けば梅ヶ丘さんと喜多見さんの二人。そして梅ヶ丘さんではなく、全て喜多見さんがやったことだとしても確かに説明はつくのだ。
しかし、だ。僕は改めて喜多見さんを見る。
「君の主張には見落としがある」
「何よ」
「実は、仮にTシャツが汚されたからって直ちに『それじゃあ食事会にしようか』とはならないんだ。……だってそうだろう。『Tシャツを買いなおす』にしろ『食事会をする』にしろ、費用がさらにかかってしまうんだ。いやむしろTシャツの方は『六枚は無事だったんだから、汚された九枚分だけ買いなおせば済む』という方針になってもおかしくない。それなのに結局食事会をする方が多数派になっている。なぜなのか?」
梅ヶ丘さんはここで露骨に動揺した顔になる。
「僕はこの間、一年生部員の成城さんから聞いたんだ。『二年生の先輩で、家がレストランを経営している人がいる』『そこで食事会をすれば安くしてもらえる』『残りの予算で食事会もできるから追加の費用もかからない』とね」
「……だから?」
「つまり食事会の方であれば経済的な負担が軽いからこそ、部員たちの中でその選択を支持するものがより多数派になった。その二年生が部員に経済的な理由でも食事会を選びたくなるように動機付けしたんだ。その二年生が犯人探しをしない理由をさらに強固に固められる立場だったわけだ」
「……う」
「僕は昨日、綾瀬に訊いてみたんだ。その『家でレストランを経営している二年生』は誰なのか。梅ヶ丘さん、君だったんだよ。確かに喜多見さんでもTシャツを汚すのは可能だが、その場合は食事会を選択する積極的な理由は作れない。しかし梅ヶ丘さんならばできるんだ。……昼休みに鍵を借りた二人のうち一人がTシャツを汚したのだとして、贈り物を中止にする目的を確実に実行できる方は梅ヶ丘さん、君に限定される」
僕の説明を聞いていた彼女は「はーっ」とため息をついて頭を掻いた。
「あーあ。細かいことに気が付くやつがいるものだねえ。そんなことしたって大した得にはならないだろうに、さあ。……そうだよ。私がTシャツを汚したんだ」
僕の推論を認めた梅ヶ丘さんは無表情な顔をかすかに歪ませて語り始めた。彼女が卒業生の贈り物を邪魔するに至った経緯を。
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