第6話 マイノリティの憂鬱

「なるほどね。部室の倉庫に出入りしていた男子生徒がいたっていうことなの。それで狛江さんの名前で鍵を借りていたのに誰も疑ったりはしなかった、と」


 翌日の放課後。今日は虹村はクラス委員の仕事があり、また一年生も卒業式の練習があるとかで話を聞くことができない状況だった。そんなわけで僕はいつものように図書室の隣の空き部屋で星原と勉強会をするついでに、昨日のテニス部を訪れて聞いてきた一連の話を彼女に説明したところだ。


 隣のソファーに腰掛けた星原は僕の話を聞くと、健康的な美脚を組み換えながら考え込むような表情を見せていた。


「僕は体育会系の部活に入ったことがないから、よくわからないけれど。部員たちの間で卒業する三年生に対する態度に温度差があるのは確かみたいだな」

「ふうん。それで、卒業生のお祝いにあまり関心がないグループもいたと。まあ、直接指導する二つ下の後輩とそうではない一つ下の後輩に対する態度にも違いがあったりしたのかしらね。そういえば汚されたTシャツは二年生と一年生、どちらが作ったものだったの?」


 星原がこちらを覗き込むように顔を向けつつ問いかけた。


「えーっと、五人の二年生が『HAPPY』、十人の一年生が『GRADUATION』を作ったけど、無事だったのはそのうち『G』『R』『A』『D』『U』『O』の六文字。つまり『それ以外の九文字全て』が汚されていたわけだから『どちらも被害を受けている』ということでは変わりないな」

「そう。片方の学年に嫌がらせがしたかった、とかならわかりやすいし犯人の手掛かりになるかと思ったけど。簡単ではないのね。特に規則性もないみたいだし。……それじゃあ後はその怪しい男子生徒を目撃したっていう一年生が有力な手掛かりを持っていることを期待するくらいしかないわ」

「僕も男子生徒でテニス部の倉庫に出入りしていたっていうのなら、男子テニス部員が一番怪しいと思ったんだけどな。話を聞く限りじゃあ被害があった日の昼休みに部室に近づいた様子もなかったし。むしろ日頃から部の中で肩身の狭い思いをしている被害者という風情だったよ」


 僕の言葉に「へえ?」と彼女は腕を組みながら相槌を打った。


「女子部員たちは男子部員たちに落ち度があったら強い口調で責め立てていたんだ。それなのに男子部員たちの方は女子部員たちに迷惑かけられたときでも我慢させられていたみたいでさ。流石に理不尽だと思うんだよな。……どうしてあんな状況になってしまうんだろう」

「それはなんというか、『マイノリティの憂鬱』というやつね」


 色白の少女は皮肉げに口の端を持ち上げる。


「なんだ、それ」

「私の造語だけれどね。簡単に言うと『少数が失敗すると必要以上に責められるけど、多数派の失敗は責める人間が少なくて寛容な雰囲気になる』ってことよ」


 彼女は「例えば」と説明を始める。


「数年前にイスラム原理主義者のテロ行為が頻繁に起こった時期があったの。すると欧米では何の関係もないのに『中東系のイスラム教徒』というだけで犯罪者予備軍のように扱われた」

「ああ。そういえばそんなことがあった気がするな。些細な事件でも『犯人がイスラム教徒』というだけで騒がれたりしたとかいう話か」


 当時の欧米では、アラブ系の服装を着ているだけで厳しい目で見られたという逸話も聞いたことがある。


「ところが、同じころにアメリカである連続殺人事件が起こった。捕まった犯人は『キリスト教徒の白人男性』だったけれど、そのことは特に注目もされなかったし『他のキリスト教信者』が責められるようなことも起きなかったのよね」

「それは……アメリカではほとんどがプロテスタントなんだろう? 別に珍しいことじゃないってだけなんじゃないか」


 僕は首をかしげるが、星原は「それよ」と肩をすくめて続ける。


「アメリカではキリスト教徒が大多数を占めている。だから何か凶悪な事件の犯人がキリスト教徒でもそれ自体は問題視されない。でもイスラム教徒だと『テロ的な要素があるんじゃないか』と別の角度で報道される。……つまり凶悪事件が発生した時にたまたま犯人にマイノリティな要素があると、それが原因だとされることがあるの」

「ははあ。要は問題が発生した時に、みんな大多数の人間には関係のない『一部の異常な人間』が引き起こしたことだという結論をつけたがるんだな」


 少数派は少数派であるというだけで罪を押し付けられやすいのだ。殺人犯が犯罪の前に『食パンを食べていた』からと言って、食パンが犯罪を起こしやすくすると考える人間はいない。


 でもこれが『マニアックな漫画やアニメを視聴していた』となると犯罪に影響を与えていたんじゃないかと考えたがる評論家やマスコミは多い。


「つまり、少数派が何か失敗すると多数派の人間はここぞとばかりに非難をする。でも多数派が失敗すると『責める人間が少なくて断罪される人間が多い』から『そんな大げさな話じゃない』とか『問題を起こした個人に特別な要因があっただけ』みたいに寛容な雰囲気になるの」


 あるいは多数派が少数派の失敗に厳しいのは「自分が主流である」という優越感をかみしめる誘惑に駆られているのではないかという気もする。自分の属しているものが優れた立場であるという思考は快感を伴うものだ。


「マイノリティの憂鬱っていうのは、そういう少数派の落ち度は非難されるのに多数派が失敗したときは責められない矛盾のことか」

「ええ。男子テニス部員たちも同じ立場なんだと思う」


 男子テニス部員と女子テニス部員、それぞれの立場は本来対等であるはずである。しかし「男子部員は二人だけ」で「女子が十数人いる」という状況のために、男子部員が少しコートを長く使っただけで「たった二人の練習のために自分たち十数人にしわ寄せがくる」と必要以上に責められるわけだ。


 そして逆に女子テニス部員は少しくらい長く部室を使っても責められないのである。


「今回の件とは関係ないけど、女子テニス部員たちも少しは男子テニス部員の立場をわかってあげてほしいな」

「どうかしらね。自分が優位な多数派に属しているときに、何の益もないのに不利な少数派を助けようと考えられる人は少ないわ。それこそ自分がコミュニティの中で少数派になってしまうかもしれないもの。何かのきっかけで立場が逆転でもしないとわかってもらえないんじゃない?」


 逆転、か。多数派と少数派の逆転と言えば、今回のテニス部の「贈り物でお祝い」というのも多数決で決められたにもかかわらず、Tシャツが汚された一件をきっかけに犯人探しすらしようとせずに「お祝いは食事会で良い」という人間が二年生を中心に多数派になっているのだ。


「……あるいは犯人はそういう心理を利用していたのかな」

「どういう意味?」

「つまり、多数派になれば責められないんだろう? Tシャツを汚したことだって、少数派だと責められるが多数派ならば責められないんだ」


 僕の呟きに星原はうーんと悩ましげな顔で唸る。


「だとしたらTシャツを汚した犯人は『食事会の方が多数派になる』つまり『犯人探しをしないムードになる』とわかっていたのかしら。犯人の男子生徒は女子テニス部の内情に詳しいとか、女子テニス部員と親しい関係にあるってことかもね」

「確かに犯人は狛江さんの名前を騙っていたくらいだものな。部員の名前を知っているとなると同じテニス部員から聞き出した可能性もある。……よし、一年生から話を聞くのとは別にそちらからも調べてみるか。ありがとう。参考になったよ」


「今回は私も一緒に引き受けたようなものだから気にしないで。……でも役に立てたのなら良かったわ」


 そういいながら彼女照れ隠しをするようにすました顔を作ると「さ、勉強を再開しましょう」と参考書を開いたのだった。


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