情熱に生きているような気分
妖紡こよう
情熱に生きているような気分
ずっと同じような夢を見ている気がする。
何度も何度も、何度も。覚めてはまた夢を見て、覚めては今度も夢を見る。
でも、どんな夢を見ていたかだけは全く思い出せそうにない。これからもきっと思い出すことはない。これからもこれまでも、ずっと。
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空は眩しいほどに青く、僅かに浮かぶ雲は横へゆったり流れている。
意識は判然としていなかった。それは寝起きだからか、ただ呆けていたからか。覚えていない。
少し遠くの方から子どもたちの騒ぎ声がしていた。声の先では小学生ほどの子どもたちが楽しそうにサッカーをしている。その様子は寂れた大人の目からしてもとても楽しそうに見えた。
「俺もあんな風に何かに熱中できたら良いんだけどな……」
子どもたちが遊ぶ運動公園から少し離れた場所にあるベンチに腰を掛け、俺は缶コーヒーを片手に今日も時を過ごしていた。
何をしているのかと聞かれれば、何もしていないとしか答えることができない。
あの子どもたちなら代わりに答えてくれるだろうか、なんて思うと足下の草が笑うように揺れた。
「そこのかっこいいお兄さん。ボクの絵のモデルになってくれませんか?」
声の先、そこにいるのは見た目中学生くらいの少年。片手にはスケッチブック、もう一つの手には先が削ってある鉛筆。見てくれは絵描きそのもの。
「よく分からないが、分かった」
それが始まりだった。どうしてこんな奇天烈な申し出を引き受けたのかはあまり覚えていない。強いて理由を付けるなら面白そうだったから、おそらくこれに尽きる。
俺と少年。年齢は二十四と十四。差は十と大きく離れている。
「絵、上手なんだな」
「それは絵描きですから」
「そうか」
見せてもらった少年の絵の中には確かに俺がいた。モノクロの世界の中、ベンチに座る俺が缶コーヒーを片手に正面を眺めている、そんな絵だった。実際の俺は少年の絵ほどかっこよくはないが。
俺もこの少年の歳くらいの頃は絵描きになってみたいという願望があって絵の練習をしていた過去があったからか、少年の絵が所々拙くなってるのが見て取れた。それでも俺の姿に頑張って近づけようとする熱意は感じ取れた。それに絵にしてもらったことが少し嬉しかったりもした。
「真剣に描いてるんだな。見ていてそれが分かるよ」
「お兄さんに協力してもらってますから。それに、画家になりたんいんです。そのためならボクは何億枚だって描きます」
「……はは。それはすごいな」
はっきり言って引いた。から笑いだって出る。少年の語るもの無知無謀のそれ。でも、少年の眼は確かに情熱をもって未来を見据えていた。
少年の歩む未来を見てみたいと、そう思わずにはいられなかった。
そして、その日確かに俺は少年の情熱を垣間見た。
最初は一週間きりの関係という決まりだった。けれど、その一週間が過ぎても俺も少年もあの公園に来るものだから、結局二人の関係は半年くらい続いた。
絵のモデルになることがおよそ日課になっていた、そんなある日のことだった。
「お兄さん、今日はボクのお家に来ませんか? 日頃のお礼も兼ねたいので」
俺が大人ということもあって抵抗感こそあれど、少年の言葉を不思議に思うことはなかった。
雨の日は公園にいられないということで、少年の家にお邪魔する機会がこの半年の間で度々あった。
されど今日の空は憎たらしいほどに青く照っていた。一雨降る気配すらない。
あの少年のことだ。俺にさせたいことでもあるのだろう。半年もの付き合いがあるのだから、それくらい予想できる。
少し古いアパートの一角。少年の部屋に来た俺はテーブルに肘を掛けた体勢で窓を見ている、ポーズを取っていた。
人の家にお邪魔してなお俺は絵のモデルをこなしていた。
「お兄さんはいつも、あの公園にいますよね。暇なんですか?」
「それを言うならお前もだろ。現役中学生」
「ボクは良いんです。学校で学ぶものより、絵を描いてる方が勉強になりますから。何しろボクは絵で生きると決めてるので」
「何だか愚直で熱心なお前を見ていると、昔の友達のことを思い出すよ」
少年が紙の上でペンを踊らせる音を耳にしながら俺は意識を過去に飛ばしていた。体は固定したまま口だけを動かして。
「大学を出て二年足らずで会社を辞めたにも関わらず次の当ても見つけてない俺だが、学校で出会った友人はみんな情熱に真っ直ぐな奴らだった。今のお前みたいに」
この少年のように、絵で生きていきたいと本気で思ってる奴こそいなかったが、学生時代の俺の周りには部活や恋愛事に真っ直ぐな奴らが多くいた。
そんな友人たちを遠巻きで見て支えて、それで終わる。そんな脇役が俺だった。主役なんてものには縁もゆかりもなかった。
「あいつらを見ていると少しでも憧れてしまうんだよな──あいつらみたいに情熱に生きてみたいって」
言葉にして初めて気づいた。俺は惹かれていたのだ。過去の友人や少年のように自らの情熱に向き合って生きていくことに。
大人になってしまった俺にはきっと拾うことができないもの。でも、せめてそれを見届けることができたのなら。そう願って、あの日の俺はこの少年に近づこうとしたのかもしれない。
「……あ、はは。何言ってんだ俺──」
いい年した大人が何を言ってるんだと、恥ずかしさがぶり返そうとしていたとき。少年は遮るように言葉を紡いだ。
「結構似た者同士かもですね、ボクらは。ボクにも情熱に真っ直ぐな友達がいました。ボクもその人達のように胸の奥から熱くなるものが欲しかったから、こうして絵を描き始めました」
ペンの走る音は止まっていて、思わず少年の方へ振り向くと。ペンを走らせていた腕は止まっており、少年はやや俯きがちに自分の描いていた絵を眺めていた。
「ボクの夢への動機は結構不純なんですよ。笑っちゃうでしょ」
「かもな。でも、動機なんてそんなもので良いだろ。というか、お前も悩める子どもなんだな。過去の自分と話してる気分になったよ」
「ボクはお兄さんみたいにはなりたくないですよ。いや、絶対に」
「そりゃ、酷い。とんだ笑い草だな」
セミの合唱が忘れ去られた後のように静謐としていた部屋、そこに一つため息がこぼれ落ちる。
少年はペンとスケッチブックを床に置いて、やや大袈裟に立ち上がると。
「何かもういいです。描く気になれないので、日頃のお礼も兼ねてご飯作ってきます」
少年の暮らす部屋は誰の目からも散らかっているように見えただろう。
壁のどこそこに場所知れぬ絶景の写真が貼り付けてあり、床にはA4用紙が散乱している。壁際にあるコンセント付近にはいくつかのスケッチブックの山が見受けられた。
それらは間違いなく、少年が己の夢に惹かれていた何よりの証拠。
ここ最近では少年の絵も見違えるほど変わっていった。そこに絵のモデルをしていた俺が影響していれば嬉しいのだが。
そんなことを考える内に、鼻腔の奥にツンと引っかかる違和感があった。
「お前、まさか焦がしてるのか」
「あ、はは。そうみたいです。スクランブルエッグだから簡単にできると思ってたんですけど、火加減を間違ってたみたいです」
そう言って、テーブルに運ばれたのは二つの黄色の山だ。それも所々黒くなっているもの。あと少しで炭の山になっていたのではないかと思うと、怖気がする。
「これは、洗い物大変だな……って、ん?」
目の前のものから意識を逸らす発言をしていると、ふと先ほどと同様の違和感が生まれた。
焦げた臭いがする。さっきと同じような臭いではあるが、換気は既に済ませてある。今、料理は誰もしてはいない。焦げるものなんてないはずだ。何かが変だ。
「なんか、まだ焦げ臭くないか?」
言葉を口にした次の瞬間。バチッという音が鼓膜を震わせた。普段は聞かないが、それでも聞いたことはある音。
嫌な予感してたまらない。どうしてか頭の奥で警鐘が鳴り響いて止まらない。
「そんなはずは。……って、お兄さ、ん。後ろ……っ!!」
「後ろ?」
少年の見たことのない形相と空気を割る勢いで呼ぶ声が、刻一刻を争う自体であることを理解させる。
後ろに振り向く刹那、俺の眼は迫り来る火柱を捉えていた。
壁際から生まれた火柱を髪と頬を焦がしながらも、何とか反射で避ける。
一度危機は避けた。されど警鐘は鳴り止まないどころか増す一方。その理由は聞くまでもない。俺は状況は察知してしまった。
「火事、だ。……っく、お前は速く玄関から出ろ!」
さっきの火柱、燃えたスケッチブックの山は纏った炎を床にしかれた絨毯を伝って、壁から天井へと行き渡らせていた。ほんのつかの間に、部屋は業火に包まれていた。
「お兄さんはっ!?」
「すぐに追う。だから……っ!」
少年は顔を歪めながらも玄関の方へと走っていった。俺もそれを追おうとしたところで、目の前に燃えた木柱が倒れ込み、少年の後を拒む。次には窓ガラスが爆ぜ、天井の木の板が軋む音がした。
玄関の扉から出る直前、少年は見た。兄のように慕っていたあの人は天井を睨み、僅かにも頬を緩ませていた。
それを見た少年は再び戻ろうとするも、自分ではない誰かによって扉が開けられ、少年は為す術もなく外へ追い出された。
それはまるで夢から覚めたような感覚。
一体どんな夢を見ていたのかは覚えていない。思い出せそうにもなかった。だけど、何かを見つけ何かを失ったことだけは薄ら理解していた。
「お兄ちゃん、またサッカーして遊ぼうね」
ここは公園。空は眩しいほどに青く、雲は横へとゆっくり流れていた。
そんな空の下、話しかけてくるのは両の手でサッカーボールを抱える男児。
「……え、ああ。またな」
そう言うと、嬉しそうな顔をして男児は帰っていった。
ボクは、いや──俺はここで何をしていたのだろうか。簡単なことなのにどうしてか思い出せそうにない。
画家を目指して努力するも、結局才能の差に絶望して頓挫した俺のことだ。路頭に迷った先がこの公園だったのだろう。
「いや、意味不明過ぎて笑い話にもならないな」
きっと疲れているのだろう。
そう思うことにして、俺は公園の隅にあるベンチに腰を掛けた。持参していた缶コーヒーを開けて口にしていると。
「そこのかっこいいお兄さん。ボクの絵のモデルになってくれませんか?」
これまでに何度も見た気がする光景が、再び目の前で蘇った。そんな感慨を覚えた。
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これはたった一人の登場人物による、葛藤の物語である。
情熱に生きているような気分 妖紡こよう @koyou_54
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