ダブルベッドに死体がひとつ(その9)

濡れネズミになりながら、西口の地下道まで駆けて、そこから杏奈の携帯に電話をした。

杏奈は今すぐ話を聞きたがったが、今日中にどうしても仕上げなければならない図面があるので、とりあえず会社のある四谷駅近くのコーヒーショップで30分間だけ会うことにした。

スポーツクラブにもどってオンボロ車を引き出すのに時間がかかりそうだったので、そのまま地下鉄に飛び乗った。


杏奈の差し出したハンカチで額を拭き、熱いコーヒーを飲むと、やっと冷えきったからだが少しだけ温まった。

「ついさっきご主人のマンションで会って話をしました」

そう切り出すと、杏奈は身を乗り出し、

「会ったんですね」

と目を輝かせた。

「ええ」

「で、主人は何と?」

これには困った。

杏奈の夫を探し出すのが今回の契約の目的で、メッセンジャー役をすることではない・・・。

「お元気そうでした」

「そう、それはよかった・・・」

杏奈は身構えて、次の答えを待っていた。

・・・夫はじぶんに何と言ったのか、と。

「杏奈さんに依頼されて探しているとは言ったのですが・・・」

とまでは言ったが、まだ山口優斗本人だと確認していなかったのに気がついて急に不安になった。

まして、杏奈には興味も関心もなく、何を伝えてくれということもなかったとはとても言えなかった・・・。

だが、『ありのままの真実を探し出してクライアントに伝えるのが探偵の本分ではないか』と馬鹿正直丸出しで、

「特に何を伝えてくれともありませんでした」

と答えると、杏奈の落胆ぶりは手に取るように分かった。

「ああ、あなたの部屋で女を殺した犯人を探してくれと頼まれました」

と余計なことを言うと、

「殺人があったことを知っていたのですね」

杏奈はそれを聞くと、しばらく考え込んだ。

その美しい顔には、喜びと苦しさが入り混じった複雑な表情が読み取れた。

おそらく、じぶんの身の回りに何が起こったかは主人は分かっているという安堵感と、それなのにどうして連絡をくれないのかという絶望感の両方を感じているのだろう。

「今から行きましょう。今なら会えるはずです」

まるで現代によみがえったジャンヌ・ダルクのように、杏奈はすっくと立ち上がった。






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