ダブルベッドに死体がひとつ(その6)

「いささか、リップサービスが過ぎたようですね。自信たっぷりに約束までしてしまって・・・。だったら着手金を受け取ればよかったのに」

杏奈を送り出すや否や、可不可が皮肉を飛ばした。

「自信なんかないさ・・・」

アンドロイド犬にからかわれて、無性に腹が立ったので、むきになってキーボードを叩きはじめた。

「・・・ああ、あの名刺だけどさ、偽造ではないようだ」

1時間ほどPCのモニターとにらめっこをして、ようやく可不可に話しかける気になった。

「名刺の右下に夫さんの会社のマークがエンボスされていたが、あれは幹部にだけに許された和紙の高級名刺だよ。夫さんの肩書が研究所のシニアエンジニアだった。代表番号は同じだが、研究所はグループ内の別会社になっていて、電話番号は公開していない。この研究所のファイヤーウオールの壁は厚くて容易く入り込めないけどね」

「でも、それで名刺が偽造ではないという証拠にはなりません」

「事はそう簡単ではないということさ。・・・スポーツクラブの方も分かった」

「そうですか」

「やけに素っ気ないね。・・・スポーツクラブの会員名簿なんかまったく無防備だね。たしかに現役会員の出欠表には、夫さんの名前はなかったが、休会中の会員の名簿にはちゃんと名前が残っていた。住所も電話番号もばっちりだ」

「実在していたのですね。すぐ浅村嬢に連絡しますか?」

「いや、まだ早い。携帯電話の方はさっき杏奈さんが教えてくれた番号と同じだが、住所の方は偽かもしれない」

気を取り直して検索エンジンに住所を打ち込むと、マンションの名前と外観が表示された。

ここは、スポーツクラブからさほど遠くないエリアだ。

・・・どうやら杏奈の夫の名前は偽名ではないようだ。


翌日、オンボロ車で芝浦の工業団地へ向かった。

運河の際に立つ20階建ての白亜のビルが目指す会社の自社ビルだった。

ICはじめ、さまざまな先端技術のソフトウエアの設計開発をするエンジニアリング会社とHPにはあった。

着いたのは16時ぐらいだったので、ビルに出入りするひとはまばらだった。

エントランスに立つと、正面の受付カウンターに座る美女がにっこりと微笑んだ。

ビルは3階まで吹き抜けになっていて、カウンターのすぐ右横のエレベータが口を開けて待っていた。

さわやかなブルーのユニフォーム姿の受付嬢の頭上に各階の案内表示板が掲げられていた。

研究所は最上階の2フロアーを占めていた。

見上げていると、

「どちらにご用でしょうか?」

と受付嬢がたずねた。

セーターにスタジャンと穴の開いたジーンズに薄汚れたスニーカーのみすぼらしい格好を見咎めたにちがいない。

「ああ・・・」

と口ごもっていると、エレベーターの横に立つガードマンがこちらに向かってくる気配がしたので、

「研究所のシニアエンジニアの山口優斗さんはおられます?」

とあわててたずねると、

「失礼ですが、アポイントはございますか?アポイントがないとどなたともお会いすることはできません」

と受付嬢は慇懃なロボットのように答えた。

早々に退散するしかなかった。

わざわざ芝浦くんだりまでやってきて、杏奈の夫の会社が存在するのを確かめただけなのが収穫というのは、我ながら情けなかった。

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