第2話
時計の針が刻むリズムの中を定期的に紙を捲る音が部屋に響く。
その音を奏でるのは、珈琲と煙草の匂いが染みついた執務室の主でこの部隊を率いるヘイス・グルヴェイグ。階級は大佐であり、年齢は副官であるビアンス・ネコロアシス中尉も知らない。
ただ、長い銀色の髪は艶があり鋭い目元からは前線で戦う兵士よりも鋭い圧がある。顔には皺などなく、見た目だけで判断するのであれば二十代前半と言ったところだろうか。
だが、そんなヘイス・グルヴェイグの前に直立不動で立っているスレイプニルの記憶が正しければ、幼少期に出会ったころから自分の上司はこの見た目だった。つまりは、一切見た目が変わっていないのだ。
そんなだから魔女と呼ばれるのかもしれない……そう頭の端で考え始めた辺りで紙を捲る音が止まった。
「なるほど。報告書は読ませてもらったよ。次は君の口から報告を聞きたいんだけど、いいかな?」
「
ヘイス・グルヴェイグは任務から帰還した部下から報告書と口頭での情報を求める。
果たして、それに一体なんの意味があるのかなどはスレイプニルにはわからないが、これもまた何回も繰り返してきたルーチンであり、自身の上司がソレを求めているのであれば拒否権などなかった。
「さて……まずは今回の任務は
「はい。第二都市はこれまでも侵攻がありましたが、装甲種が出現したのはコレが初めての事でした。一応、装備等の準備は万全でしたが実戦経験の有無から援護要請を受けて自分が出撃しました」
「そっちは無事に片付いたみたいだけどね。あぁ、君が帰還するよりも早く向こうからお礼の言葉が私に届いたよ。しかも、スノー・ヴァルヴァ直々にだ。相変わらず、君はあの都市に好かれているようだね?」
「恐縮です」
「別に責めているわけではないよ。君があの都市と仲良くやってくれているおかげで私としても色々と動きやすいわけだしね。やれやれ……種の存亡の危機に瀕してもなお、人類とは隣人を疑う事をやめられないらしい」
嘆かわしい事だ、とヘイス・グルヴェイグは呟いて立ち上がる。
「話が逸れたね。本題に入ろう。
その言葉を聞いてスレイプニルは隣に置いてあったガンケースを撫でる。
表向きは第二都市の救援として向かったスレイプニルだったが、実際には新兵器のテストをするために向かったのだ。
今回テストする予定だった武器を評価する上で非常に強力な装甲を持つ装甲種はまさに適任だった。
「詳しい事は報告書に記載した通りですが【
「なるほどね。君の言い方を考えるに、安全に撃てるのは二発で三発目は暴発の危険を孕んでいるわけか」
「はい」
「二重術式で保護していても耐えられない、か……わかった。彼も首を長くして待っているだろうからこの後、E-A.A.S.Rは“工房”に持って行ってくれ。報告は以上かな?」
「はっ!」
「よろしい。あぁ、そうだ。君が保護した亜人の子だけど、心配しなくてもちゃんと適切な治療を受けさせるよ」
「……顔に出ていましたか?」
「いや? 君が最後にアレ接種したのは十二時間前だろう? 今の君から情報を読み取るのは中々難しいからね。コレは勘というやつだよ」
「勘、ですか」
「おや? 君は勘をあまり重視していないのかい? それはいけないな。勘は大事だよ。ありとあらゆる場面で自分を助けてくれる事が多いしね」
「肝に銘じておきます」
「そうしてくれ」
にこやかに笑うヘイスを見て、話はここまでと判断したスレイプニルが敬礼をして退出しようと動きだしたのと部屋の出入り口である扉がノックされるのは同時だった。
ヘイス・グルヴェイグが入室を許可すれば、そこから部屋に入ってきたのは副官であるビアンス・ネコロアシスだった。
知的な眼鏡を掛けなおし、書類が挟まったバイザーを抱えた彼女は一度敬礼をしてからヘイスの元へと近づき、何かを耳打ちする。
「そうか……」
一言呟いたヘイスと退出のタイミングを失って直立不動になっていたスレイプニルの目が合う。
「帰還してそうそうで悪いけれど、急遽登城する事になった。本来ならば君には現時刻から数日の休養期間が与えられる予定だったが……
「
「では、1000に正門集合としよう。君はその間に工房へソレを届けるのと……そうだ。君の
ヘイスの言葉に一人の少女の顔を脳裏に浮かべながらスレイプニルは敬礼し、そのまま執務室を後にした。
そして、その背を見送り自分の副官と二人きりになったヘイスは懐から取り出したシガレットケースから煙草を一本取り出し、それに火を付けて紫煙を吸い込む。
「私が死んでも天国には行けないだろうね」
「はい?」
紫煙を吐き出しながら呟かれた言葉にビアンスが首を傾げる。
ビアンスから見てヘイスの働きは人類に大きく貢献している。もしも、この世界に神という存在が居るのであればその功績を認めて天国へと召し上げるだろう。
人類の中には彼女の事を悪く言う人も多数存在しているが、軍部の中ではそこまで評判が悪いというわけではない。
「私は―――いや……“私たち”は大きな間違いを犯してしまった。人類存続のためにという大義名分を掲げながら、人が踏み入ってはいけない手段を選んでしまった」
「……」
「人間が生き残るために戦うのはこの時代では当たり前だ……だが、戦う理由が戦士には必要だ。当時の私はソレを理解できていなかった。むしろ、不要な物とさえ考えていた」
「不要、ですか」
「笑えない話だよ。戦う理由を失った戦士はただの兵器だ。ただ命令を聞くだけの武器。私は……彼からソレを奪ってしまった」
黙って聞いているビアンスに目もくれず、ただつい先ほど閉まったばかりの扉を見つめながらヘイスは目を細める。
脳裏に浮かぶのは二人の女性。
右側に立つのは赤い髪をポニーテールに結び、左腰に一振りの剣。その身を第七部隊の軍服で包み込んで堂々とした立ち姿をした女性。
左側に立つのは金色の長い髪を靡かせ、第七部隊の軍服を身に纏って武器ではなく大量の資料を両手で抱える女性。
「……」
懐かしい姿だとヘイスは思った。
もう、この世に存在しない二人は自分と同じ罪を背負って地獄に行った。恐らく、向こうで自分を待っているだろう。
だが、ヘイスにはまだやるべき事が多く残っている。
「そのためにも……まだ、死ねんな」
その呟きをビアンスは何も言わずに聞いていた。
△
▽
執務室から出たスレイプニルは右肩に掛けたガンケースの位置を修正する。
普段から身に纏っている軍支給のコートは戦地での運用も想定されている事から非常に頑丈に作られている。それがなくなった今、BDUの上から相当な重量があるガンケースを肩に掛けるのは楽な事ではないからだ。
「まずは工房か」
ある程度しっくり来る位置に調整した後に今後のスケジュールを脳内で組み立て、まずは工房だと歩き出そうとした時、背後から誰かが走ってくる音を耳が捉える。
歩幅、走り方……そこから推定するスレイプニルが知っている人物。間違いなく、その人物は自分に用があるだろうと踏み出した足を元に戻して振り返る。
「中尉!」
それと同じくして若い少女の声が廊下に響く。
スレイプニルを呼び止めた少女は目の前まで来ると呼吸を落ち着かせてから敬礼をした。
「長期任務お疲れ様です!」
「ああ。ノルンもな」
答礼を返しながらそう言えば、灰色の長い髪を持つ少女は嬉しそうに笑う。
身長はスレイプニルの胸元くらいまでしかなく、およそ軍隊に所属していると言われても信じられないほどの可愛らしさを持つノルンだが、彼女こそが先ほどヘイスが言っていたスレイプニルの
ノルンという名前もスレイプニルと同じくコードネームであり、お互いに本名を知らない。
「でも中尉。作戦終了と同時に回線を閉じるのはどうかと思います。中尉と連絡が取れない間、私がどれだけ心配したか理解できますか?」
「任務地が第二都市だったから仕方がないだろ。あそこは何かとそういう事にうるさい場所だからな」
「むぅ……それはそうですが……まぁ、中尉がこうして無事に帰還して下さったのでいいです」
その言葉だと、任務が無事に終わっても自分がここに帰ってこない可能性があるようだな、とスレプニルが思っているとノルンは額に手を当てて息を吐いた。
見た目が可愛らしい少女でなければ気苦労が多い文官の女性に見えただろう。
「中尉は第二都市の人に気に入られすぎです。私の方にも何かと交渉が飛んでくるんですよ?」
「あそこは実戦経験が豊富な人材を常に求めているからな」
「そういう理由じゃないと思うんですけど……」
「何か言ったか?」
「いえ。とにかく、中尉の帰るべき場所はここなんですからね?」
「犬猫じゃあるまいし。そもそも、ここ以外に帰る場所なんてない」
スレイプニルの言葉に満足げに頷いていたノルンだが、そこで何かを思い出したように小さな手を叩いた。
「あ! そういえば、中尉が女の子を拾ってきたと聞きましたよ!」
「あぁ……」
「なんですかその反応……まぁ、それは別にいいんですけど。あの子はどうするんですか? あ、こちら衛生兵から貰ってきたあの子の
自分が欲しがるであろう情報を予め手に入れて渡してくる辺り、本当に優秀だなと思いつつスレイプニルは受け取った紙に目を通す。
「外傷多数と栄養失調か。病気とかを持っていないのは幸運だろうな」
「スラム出身ですからね。一応、あの子がこれまでどんな生活をしていたかの報告書も受け取っていますけど読みますか?」
「興味ない」
「中尉ならそう言うと思いました。あの子は寝ているそうですが、この後に様子を見に行きます?」
「この後は工房に行った後に大佐の
「中尉も忙しいですね。護衛という事は私の出番もありそうですか?」
「いや、都市内だから必要ない。ノルンもこれから休暇だろ?」
スレイプニルの戦域情報管理士として同じだけの帰還を任務に就いたノルンにも例外なく休暇が出されている。
「そうですね……わかりました。私は現時刻から休暇に入りますが
「ああ。わかった」
「では! 私は妹のところに行きますね! あ、私の声が聞きたくても回線を開いて頂いてもいいですよ?」
そんな捨て台詞と共にノルンはパタパタと廊下を走っていく。
スレイプニルは深いため息を吐きながら、ノルンが言った“妹”という単語が脳内に残っていた。
「……気のせいか」
何か、大事な事を忘れているという感覚が残滓となって胸に残る中でスレイプニルは今度こそ工房を目指して廊下を歩きだした。
終末のアルトフライヤ 夜桜詩乃 @suzunena
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