第1話

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結歴299年 3月 24日/AM04:48

第五都市スヴァルトアールヴヘイム

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 第五都市スヴァルトアールヴヘイムは面積約1,500km²で正方形の壁に囲まれた人口約880.2万の都市である。

 場所は第一都市アースガルズと同じく前線にほど近い場所に位置しており、都市内である程度の物資を賄えるように生産系にも力を入れている。それと同時に兵士の育成にも余念がない。


 都市は大きく分けて四つの区画と中心部の区画に区切られており、二つが工業区画、残りが軍事区画と住民区画に分かれている。中心部の区画は議会が設置されている。

 区画を繋ぐ道は都市を十字に切るように引かれている大通りの他に細々としたものが無数に張り巡らされており、もはやこの都市に住んでいる人間でさえその細道がどこに繋がっているのかを正確には把握出来ていないほどだ。


「……」


 そして、そんな大通りを一人の青年が黒い軍用ロングコートを身に纏い、コートに付いているフードを深く被って歩いていた。


 人口天候によって管理された都市内は薄い霧が発生しており、時間も早朝という事もあって少年以外に歩いている人間は存在しない。

 いや、少年が歩いているのは第二区画住民区画であり24時間稼働している工業区画である第三、第四区画の方には従事する人々が大勢いるだろうが。


「……」


 右肩に黒いガンケースを掛け、薄い霧の中を歩く少年の足取りに迷いはない。この時間帯にこの大通りを歩くのは青年の人生で数えるのも億劫になるくらいに繰り返されたことであり、いくら第五都市に帰ってくるのが数週間ぶりだったとしても自らが帰るべき場所を忘れるほどではない。


「ん……?」


 そんな青年が気配を感じて立ち止まったのは路地裏へと続く細道の前だった。人一人が体を横にすればどうにか通れるくらいに細い道。しばらく暗闇に包まれたその先をジッと見つめていると、そこから覚束ない足取りで青年よりも幼い少女が出てきた。


 虚ろな目にボロボロの布切れで作られた服とも呼べない衣類。髪は汚れきっていて元の色が何色だったのかもわからない。棒切れのように細い体は傷だらけであり、見ているだけで痛々しい。だが、それ以上に目を引くのは少女の頭上に生えた二つの耳だろう。


 普通の人間とは違う場所に生えた獣のような耳。それをしばらく見ていた青年はゆっくりと口を開いた。


「亜人か」

「……っ!!」


 人気がない空間において少年の呟き声は驚くほどに響いた。そして、その声は少女にも届き、青年の存在に気付いた少女は肩をビクリと振るわせて顔を恐る恐る上げた。


 亜人――魔素まその影響によって身体に変化が起こってしまった人ならざる者達。彼らはその見た目以外にも基礎身体能力が人間よりも高いなどの違いがある。


 そして、彼らは魔素の影響を受けて変異したという経緯もあってか迫害される存在でもある。

 路上で見かけられれば意味もなく石を投げられ、まともに生活する事など出来ない。

 彼らが都市で生活しようとすれば、それこそ声には出せないような汚れ仕事をするか身体を売るか……もしくは、ゴミ漁りをしてどうにか命を繋ぐくらいだろう。


「あ……ぅ……」

「……」


 目の前に立つ少女が今までどういう生活をしてきたのかを想像するのは難しくなく、少女の怯え切った瞳からは青年が暴力を振るうと思っていると判断できた。


 もちろん、青年にそんな気はない。

 そもそも、こっちは長期任務から帰還したばかりで疲れ果てている。それに加えて別に亜人に対して何か思う事があるわけではない。それどころか、青年は最前線で戦っている亜人達を知っているために人間と亜人を区別して考えることはない。


 本来ならば無視して立ち去るのが一番いい。ここで変に関わった所で自分にメリットなど一つも無く、むしろこの光景を誰かに見られた場合に発生するデメリットしか存在していないのだから。だが、青年は亜人の少女から目を離す事が出来なかった。


 何故なら、その少女の姿が昔の自分と重なってしまったから。


 助けを請うても誰も手を差し伸べてくれず、明日どころか今を生きる事さえ難しいような生活。きっと自分はこのまま死んでしまうんだろうと思っていても、守るべき存在のために死を受け入れる事が出来なかった弱い自分。


 そんな時、青年は魔女と契約をした。

 雪が降りしきる……とても寒い日。その時の光景は今でも瞼に焼き付いて離れる事はない。


(かと言って、この状況ではどうしようもない)


 さて、どうしたものか……青年が考えていると少女のお腹が小さく鳴った。


「……腹が減ってるのか」

「……っ!!」


 独り言だったソレを聞いた少女が慌てて両手で自らのお腹を押さえた。青年の気分を害したと判断し、これ以上何かが起こらないよう必死に身体をコントロールしようとしているのだ。


「……」


 そんな少女を見つめたまま、青年は右肩に掛けていたガンケースを地面へと下ろして羽織っていたロングコートのポケットから一本のスティックを取り出した。

 銀色の包装紙で包まれたソレには『軍事合成携行食:ミートパイ風』とデカデカと書かれており、軍から支給される携行保存食だった。

 ちなみに、青年が取り出した携行保存食は数多くある中でも「保存期間とコスパの良さしか取り柄のないプラスチックを齧ってる気分になる固形物。本当に命の危機に瀕した時以外は絶対に食べたくない」と鍛え抜かれた兵士達に口を揃えて言わせる程に人気がないものであり、ミートパイ風に関しては「最早ミートパイへの冒涜を通り越して食べ物でさえない」と誰もが口を揃えて言う代物だった。


「やる」

「……いぃの……?」

「ああ」


 亜人の少女は差し出された食べ物がそんな物だとは知らずにゆっくりと青年に近づいてからおずおずと受け取り、青年と携行食を交互に見た。


「別に毒なんて入ってないぞ」

「……」


 青年がもしや疑われているのでは? と思って言ってみても少女は一向に食べようとしない。


 しばらくその光景を見ていた青年はそこで「もしかして、食べ方がわからないのでは?」という結論に辿り着き、ポケットから同じ携行食を取り出して少女にお手本を見せるように開けた。


「――!」


 それを見た少女はいそいそと包装紙を剥がし、携行食を一口齧った。


「……おいしい…………」


 そう呟き、涙を流しながら少女は黙々と携帯食を食べ始めた。


「……」


 青年は善人ではない。こんなご時世で善意で人を助けるメリットなど無いに等しい。誰もが今を生きるのに必死で、今の人類に他者を無償で助けるほどの余裕などない。それ故にあぶれた者達は自分たちでどうにかしなければいけない。

 だから、仮に目の前の少女が過去の自分と重なったとしても手を差し伸べる気など無かった。ただ、美味しそうに手渡した携帯食料を食べるその姿がコップから溢れ出てしまった水のようにもう戻す事が出来ない、記憶の中にある少女と重なった。


「一人なのか?」

「……」


 青年の言葉に少女は小さく頷いた。


 路地裏のスラムで自分よりも年下の少女が一人で生きていく事など不可能だ。むしろ、この見た目からして結構な時間をそこで過ごしていたはずなのにこうして五体満足で生きている事が奇跡とも言えた。


「一緒に来るか?」

「ぇ……?」


 だから、気づいた時には少年はそう口にしていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 誰も居ない大通りを歩くこと数分、第二区画を通り過ぎて第三区画軍事区画へと入った場所に青年の住処であるレンガで作られた屋敷はある。


 周囲の建物に比べて遥かに大きく、大きな門の両脇には鍛え抜かれた肉体の上に軍服を着こんだ守兵がそれぞれの武器を肩から下げて立っていた。


「……」


 青年がその二人に近づき、胸ポケットから取り出した手帳を取り出し、守兵の一人がソレを受け取って手帳を開いてポケットから取り出した機械へと照らす。


「中尉、照会が取れました。長期任務お疲れ様です」

「ああ。俺が居ない間に何かあったか?」

「いえ。これと言った事件も作戦もありませんでした。第五都市スヴァルトアールヴヘイムはいつも通り平和でしたよ。あぁ、でも一つだけ……」

「何か気になることが?」

「ええ。最近、一人の少女が中尉を訪ねてここを訪れているそうです。私は早朝の担当なので見たことはないのですが、他の守兵からそういった報告が入っています」

「俺の事を……? 名前を言っていたのか?」

「見た目を言っていたそうです。“黒い軍用ロングコートを着て、フードを深く被った自分と同じくらいの年齢の青年”と」

「なるほど……わかった。俺も気を付けるよ。まぁ、何かあったら大佐から言われるだろう」

「それもそうですね。ところで、中尉……その、抱きかかえている少女は一体?」


 話が一区切りしたところで守兵の視線が青年の左方向へとズレる。

 そこには青年がいつも身に纏っている軍用のコートに巻かれ、静かに寝息を立てている亜人の少女が居た。ずっと気にはなっていたが目の前の青年は上官であり、話が一区切りするまで聞けずにいたのだ。


「拾った」

「ひ、拾った……ですか。そんな犬や猫みたいに言われましても……」


 青年の対応をずっとしていたジェイド・ベリモッダ軍曹は顔を引き攣らせた。彼が軍に入隊して六年。元は第一都市アースガルズの部隊で戦っていたがその時に負った怪我で退役となる寸前でこの都市に住まう魔女に拾われ、こうしてここで守兵をやっている。

 言ってしまえばベテランの兵士だ。年齢もまだ二十六と若く、怪我がなければ特殊部隊にだって入れたかもしれないほどの腕を持っている。

 そんな彼でさえ「自分では戦いにさえならない」と心の底から思える人間が無数に居る。


 例えば、第一都市第一軍隊長であり【狂戦士バーサーカー】の異名で知られるウールヴ・ヘジン大佐。

 例えば、第二都市教会教皇であり【予言の巫女】の異名で知られるスノー・ヴァルヴァ。

 そして、それら多くの強者を上回る神器じんぎに選ばれた八人の戦士達。


 だが、ジェイド軍曹から見て一番敵わないと思うのは今、こうして目の前に立って自分を困らせている黒髪黒目の青年だった。

 本名はトップシークレットのために同じ部隊に所属している自分でさえ知らない。階級は中尉。コードネームは【スレイプニル】。年齢もわからないが見た目からして恐らく二十歳より下だろう。

 彼を見て戦場から生きて帰った兵士たちによって付けられた【黒衣の未亡人ブラックウィドウ】の異名を持ち、常に過酷な戦場で任務をこなす正真正銘の化け物だ。

 ただ、常に軍用のコートを身に纏い、フードを深く被っていることから性別・年齢不明となっており、むしろ彼を見た戦場から生還した兵士が少ないという事もあってその存在は各都市では都市伝説や噂程度に囁かれるレベルだ。

 ちなみに、異名はフードを深く被った姿が喪服を纏っているように見えた帰還兵が付けたものが広まったと言われているが真偽は不明だったりする。


 そんな存在自体が疑われる男の事をジェイド軍曹はある程度知っていた。それこそ、戦場に出れば単騎で群れに突貫するくらいは朝飯前でやるというのは、自分自身が第一都市の部隊に身を置いていた時に一度だけ目にした戦いで嫌というほどに。


(そんな中尉が……)


 まさか、犬猫を拾ってくるような気軽さで亜人の少女を拾ってくるとは予想外だった。

 娯楽に興じている姿など見たことがなく、誰かと親しく話している姿さえこの部隊に所属してから見たことがないのだ。


「やっぱり、マズイか?」

「えぇ……その……はい……。私たちの任務はこの門より先に不審者を入れない事なので身元不明者は……」

「ふむ……」


 コレがせめてカフェで働いている女性とかだったら簡単に拒否することが出来た。だが、身元不明の亜人となれば話が変わってくる。ジェイド軍曹自身には亜人に対する特別な気持ちなど一切ないし、この部隊においてもそんな思想を持っている人間は誰一人としていない。だが、他の部隊もそうとは限らないし何よりも色々と手続きが必要になってくる場合があるからだ。

 考え込む青年を前にジェイド軍曹は助けを求めるように隣に立っている同僚へと目を向けるが、当の本人は目をそらして明後日の方向を見ていた。


(コイツ……! 俺に全部任せる気だな!? こんなケース想定されてないし、一体どうすりゃいいんだよ!!)


 何かを考え込む青年を前に冷や汗を流しながら待つこと数分、不意に背後から足音が聞こえてきた。

 果たして、その足音は救いの女神かはたまた破滅を呼ぶ悪魔か……頼むから救いの女神であってくれと願いつつジェイド軍曹が振り向くと、そこには左手に資料が挟まったバイザーを持ち、美しい金色の髪を肩口で切りそろえ、知的なメガネを掛けたスラリとした体躯のどの角度から見ても真面目そうな雰囲気を漂わせている女性が立っていた。


「ビアンス中尉……!」


 その場に現れた女性--ビアンス・ネコロアシスに対して三人は敬礼をする。彼女はこの部隊の長である魔女ことヘイス・グルヴェイグ大佐の副官であり、この部隊のナンバー2でもある。

 ここに居る誰よりも上官であるビアンスの登場にジェイド軍曹は感謝で涙が出そうだった。


「その子の事はこちらで調査が終わっているので大丈夫です」

「「了解ヤー!」」


 三人に答礼した後、ビアンスがそう言うと守兵の二人は声を揃えて返事をした。そんな二人に頷いた彼女は続いて青年へと目を向ける。

 眼鏡の奥から突き刺さるように向けられた鋭い視線に青年は若干顔を歪ませる。その顔は間違いなく、怒っていると判断できたからだ。


「では、中尉……行きましょうか」

了解ヤー


 青年は亜人の少女を抱えなおしてから先を歩くビアンスの後を追って歩き出した。



「はぁ~~~~、生きた心地がしなかったぜ」


 二人の姿が見えなくなったところでジェイド軍曹は大きく息を漏らす。先の時間だけで寿命が一気に十年は減った気分だった。


「はは、お疲れ」


 笑いながら肩を叩いてくる同僚を睨みつけたジェイド軍曹は、置かれた手を払いながら声を荒げた。


「お前……!! 全部俺に押し付けやがったな!!」

「だってお前……あの状況は俺には荷が重すぎるだろ」

「俺だって同じだ!」

「でも、何とかなっただろ?」

「ぐ……」


 そう言われても苦しいものは苦しかったという気持ちを込めてジェイド軍曹が睨みつけると同僚は「わかったわかった」と言いながら両手を挙げた。


「今晩は奢るからそれで許してくれ」

「言ったな? お前の財布が空になるまで飲んでやるからな!」

「空は勘弁してくれ……給料日まで何日あると思ってるんだ……」


 そんな会話をしながらふとジェイド軍曹は中尉が抱えていた亜人の少女の事が気になった。

 あの子がこの先どういう扱いになるかはわからないが……この部隊に拾われたのはある意味で幸運でありある意味で不運だったのかもしれないな、と。



◇ ◇ ◇



 前を歩く背中を見つめながら青年はこの先どうすればいいのかを考えていた。間違いなく上官の副官はお怒りだからだ。

 同じ階級だったとしても、この部隊に所属していて彼女に歯向かえる人間は存在しない。彼女自身の戦闘能力は皆無に等しいが、この部隊で彼女が築き上げてきた地位というのは揺るぐことがないほどに鉄壁だからだ。


(あとはビアンス中尉自身が生まれ持ったカリスマか……)


 およそ、青年にはカリスマと呼べるものは存在していない。軍に入ってからこれまで誰かとチームを組んで任務にあたることはあれど、蓋を開けてみれば大体ソロだからだ。

 そんな自分が持っていないカリスマを十二分に持つ彼女にはどうにも歯向かう気が起きない。


「……中尉」

「ハッ!」


 不意に呼ばれたことで条件反射のせいで身を固くした青年にビアンス中尉は僅かに苦笑を漏らす。


「そこまで固くしなくて大丈夫です。その子については先ほども言った通り一通りの調査は済んでいますし、グルヴェイグ大佐も承知しています。ですが……こういったことは出来れば事前に報告してください。通信は可能な状況でしたよね?」

「それは……すいません」

「以後、お気を付けください」


 会話はそこで終わり、やがて二人の前には屋敷の中へと続く大扉が現れた。


「あぁ、そうでした」

「……?」


 大扉に手を掛けたビアンス中尉が不意に振り返る。

 まだ、何か言い忘れたことがあるのかと青年が首を傾げると、ビアンス中尉は咳払いを一つしてから姿勢を正す。


「おかえりなさい、中尉」

「ビアンス少尉……スレイプニル、ただいま帰還しました」


 敬礼しながら返事をした瞬間、青年の中にようやく「帰ってきた」という実感が生まれた。

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