やさしい男

野森ちえこ

無意味なポジション

 街中によくあるセルフサービスのカフェ。なんの変哲もないチェーン店であるそこがわたしのアルバイト先である。駅からすこし離れていることもあり、それほど混みあうことはない、はずなのだけど、なぜかよく行列ができる。いや、なぜもなにも理由はハッキリしていた。

 行列をつくるのは若い女性ばかり。彼女たちの目的は共通している。カウンターに立つ店員、天池あまいけ 和登かずとだ。

 いつも彼のまえにだけ行列ができる。さながらアイドルの握手会のように。


「先輩!」

「いらっしゃい。あれ? クミちゃんリップ変えた?」

「え、すごい! わかります? 新色なんですよ」

「うん。春っぽいね。よく似合ってる」


 そういうところだ。そういうところだぞ。バカズトが。

 天然の女たらしで人たらし。東からのぼった太陽が西に沈むのとおなじくらい当然のことみたいに、ごく自然に女の子を落としていく。たまに男の子も落としていく。

 毎日毎日、わたしはいったいなにを見せられているのだろうと内心うんざりしていると、入店してきたサラリーマン風のおじさんが怪訝そうに行列を見ていた。そうね、レジは二つあるからね。どうぞー、こっちあいてますよー。

 ほら、そうこうしているあいだにもクミちゃんと呼ばれた女の子はうれしそうに顔をほころばせている。先輩ということは大学の後輩か。

 頬を上気させてはにかむ姿は同性から見てもかわいい。とてもかわいい。そしてまぶしい。キラッキラしている。恋するオーラ全開だ。

 だから声を大にしていいたい。その男だけはやめておきなさい。


 ✧


深海ふかみさん、天池さんと仲いいっすよね」


 休憩中、ひと足先に仕事をあがったもうひとりのバイトくん(男子高校生)が、更衣室から出てくるなりそんなことをいってきた。


「ただの腐れ縁よ」


 中学、高校、大学、ついでにバイト先まで一緒ときた。べつにしめしあわせたわけじゃないのだけれど。まさに腐れ縁というしかない。


「つきあったりしないんすか」

「しない」

「即答! なんでっすか」

「メンタル病むから」


 特定の誰かが恋人というポジションについたところであいつの言動は変わらない。清々しいほどに、いっそアッパレといいたくなるほどに変わらないのである。

 いわく『だって、オレのこと好きだっていってくれる人を嫌いになんてなれないよ』などと困惑顔でのたまう男である。べつに嫌わなくてもいいと思うけど。ていうか、そもそもの価値観が決定的に違うのだと思う。

 恋人になったところで一番にはなれないし特別にもなれない。恋人も女友だちも、あいつにとっては大差ないのだろう。呼び方が違うだけだ。あいつは生まれる国、あるいは時代を間違えたのだと思う。


「なんか、恋人だったことがあるみたいないいかたっすね」

「あったよ」

「え」

「高校生のときにね。二か月もたなかったけど」


 それだってあいつは、恋人になりたいというわたしの願いを聞きいれただけだ。わたしだからOKしたというわけでもない。もしあのとき、他の女の子が先に告白していればその子が彼女になっていただろう。くるもの拒まずを地でいく男だ。わたしで何人目だったのか知らないけれど、いずれにせよあいつの恋人ポジションは先着順だったのである。

 恋人ができても態度をあらためないのなら、彼女はつくるなと、つくってはいけないとブチ切れておわった。


「まだ好きとか?」

「まさか。いったでしょ。ただの腐れ縁」


 あいつに対して、恋人という立場はなんの影響力もなく、一緒にいればいるほど孤独感が深くなっていく地獄。あんな思いは二度とごめんだ。


「俺なら」

「さて! もうひと仕事してきますか!」


 聞こえなかったふりで、彼の言葉をぶった切るように声をはった。


「あ……じゃあ、俺帰ります」

「うん。お疲れさま。気をつけて帰ってね」


 彼はなにか迷うように瞳を揺らして、それからぺこりと頭をさげて休憩室を出ていった。すこしまえから彼の好意には気づいている。でも——ごめんね。きみの気持ちにはこたえられない。


 ✧


 夜十一時、あがり作業をおえて更衣室にむかっていると、おなじく仕事あがりのあいつがパタパタと追いかけてきた。


「おーい、れん。送ってくから帰らないで待っててよ」

「はあ? なによ急に」

「知らない? 最近この辺に通り魔が出てるの。きのう大学で女の子たちが話してた」


 知っている。すれ違いざまに突きとばされたとか殴られたとか、そのうちのひとりがけっこうなケガをしたとかでニュースにもなっていた。


「いいよ。逆方向だし」

「よくないよ。それで縺になにかあったらオレ生きてけない。とにかくひとりで帰らないで。待っててよ!」


 半眼になったわたしを追い越して更衣室に走っていく。

 そういうところだ。そういうところだぞ。バカズトが。

 あいつはやさしい。こまかいところに気がついて、ほめ上手で、思いやりがあって、でも、特別ではないのだ。あいつは、みんなにやさしい。


 ノロノロと更衣室にはいってノロノロと着替える。

 こんなに気分が重くなるなら完全に関係を断ち切ればいいのに。大学では顔をあわせることなんてほとんどないし、バイトさえ変えればそんなにむずかしいことじゃない。というか、簡単なことだと思う。でもその簡単なことができずにいる。

 結局そう、まだ好きなのだ。特別でなくてもいい。愛されなくてもかまわない。どんなカタチでもいいからつながっていたいと思っている。

 バカはわたしだ。ほんとうに、大バカだ。

 おなじ大学だったのもバイト先が一緒なのも正真正銘の偶然だったけれど、その偶然をどこかでよろこんでいたというのだから、わたしってばほんとうにもう、救いようがない。

 未だに名前を呼ぼうとするだけで気持ちが乱れるし、別れてからは心のなかですらあいつの名前を呼べなくなった。

 でもそれも大学を卒業するまでのことだ。さすがに就職先までおなじなんてことにはならないだろうし。きっといつか思い出になる。なってもらわなければ困る。

 そうは思うけれど、その未来が遠い。


「どうしたの、ため息なんかついて。ブスになるよ」

「うっさい」


 更衣室を出るなり待ちかまえていたあいつが失礼なことをいう。誰のせいだと思ってんの。


「ご飯たべてこうか」

「行かない」

「ええー、行こうよ。腹へった」

「知らない。ひとりで行けば」

「うう、縺がつめたい……」


 順当にいけば卒業まであと二年。

 今はまだ、新しい恋なんて永遠にできる気がしない。


     (了)


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やさしい男 野森ちえこ @nono_chie

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