エピローグ
奇跡的に一命を取り留めたアルは、退院してから数日後にはモンゴルへ飛ぶ準備を始めていた。事実上のバンド脱退宣言に、クリスチーナは考え直すように諭したようであったが、彼は聞き入れなかった。
ティムは脳にまで回ってしまった白癬菌への対応として、数ヶ月の入院を言い渡された。実際のところ、自己治癒能力に頼るほかに打つ手が無い、ということであった。
彼の意識が回復したのは、入院してからちょうど二週間後のことであった。その時駆けつけた看護婦の話によれば、突然起き上がったティムは「ゾウが届く」という意味不明の言葉を呟きながら病室を出て行ったということである。
当然、途中で取り押さえられた彼はベッドまで連れ戻されることになったが、その後も毎日のように脱走を繰り返し、病院関係者を困らせたということである。
入院当初はサム、クリスチーナ、ジョニーといったバンドメンバーの見舞いがあったという話であるが、一ヵ月が経ち、さらに数ヶ月が経過するうちに、病院に足を運ぶ人間はいなくなったようである。
平成五年、近郊にオープンした新興のライブハウスにおされ、GHホールが二十年の歴史に幕を下ろした。その閉館ライブに、あの伝説のバンド『JAST』を、という声が上がっていたが、結局実現しなかった。
未だ後任が決まらない『株式会社IWASHI』の次期社長としてジョニーが最も有力である、ということはこの頃すでに周知の事実であった。
そのことが、バンド再開を妨げているという噂が流れていた。その一方で、一時期は良好と伝えられたティムの体調悪化、また、アルの帰国拒否が要因に挙げられることもしばしばあった。
某音楽雑誌は、それらの裏にある根本的原因について言及している。そこでは、長年恋人関係にあったサムとクリスチーナが別れ、今度はジョニーとクリスチーナの関係が噂になっていることを根拠に、バンド内の人間関係の悪化が、バンド再結成を妨げる最も大きな要因なのではないか、という推測がなされている。
サムが「神を探しにシルクロードへ行く」という書置きを残して消えた時期とちょうど同じころ、ジョニーが『株式会社IWASHI』の社長に就任した。さらに、その数日後にはジョニーとクリスチーナの電撃入籍が、マスコミを騒がせることになった。
ジョニーの元には定期的にサムからの連絡が入っていたようであったが、サマルカンドに到着した、という電報を最後に、ぷっつりとその連絡が途切れ、行方が分からなくなった。
ジョニーとクリスチーナはその財力でサムの捜索を試みたが、あるところ以上に踏み込むと、そこで情報が入らなくなるという不可解な現象が起こり、二人はさらなる捜索を断念した。
体調が再び悪化している、と噂されていたティムであったが、それは事実であった。入院して少し良くなれば勝手に抜け出して浴びるほど酒を飲み、体調を壊して再び入院、ということを繰り返していたため、医者に言わせれば、病気が治るどころか悪化しているのも論理的に当然の結果だ、ということであった。
ただ、彼自身には体調が悪化しているという自覚は無かった。ティムがプロデュースした『ガールズ・レディ』という女性のみのハードコアバンドの取材の席で、何者かの陰謀により自分は不当に病院に閉じ込められている、という衝撃の主張を披露した話は有名である。
平成十年、『株式会社IWASHI』社長のジョニーにより、食品事業以外の事業部、および子会社を、全て売却する、という発表がなされた。その売却先は、『cat forehead』という新興の財団だということであったが、それが元『猫の額』であることは、業界の人間であれば誰でも知っている事実であった。
この後、鰯の不漁、さらに乱獲技術が漏洩し、その知的財産権が他社に握られたことなどにより、『株式会社IWASHI』は凋落の一途をたどっていく。それとは裏腹に、『cat forehead』は急成長を遂げることになる。その躍進ぶりに対し、かつての『株式会社IWASHI』を見ているようだ、という皮肉を口にすることが業界内では流行した。
平成十二年、瀬戸内海に浮かぶある無人島でティムが倒れているのが、たまたま通りかかった付近の漁師により発見され、すぐさま病院へ担ぎ込まれたが、その時にはすでに死んでいた。享年四十一歳であった。
その漁師によれば、彼が倒れていた場所には不可解なことに一面にオオイヌノフグリが生えそろっており、さらに何者かの手によって区画整備までされていた、ということであった。誰が何のために、何の役にも立たない雑草であるオオイヌノフグリを育てていたのか、ということが数日マスコミで取り上げられたが、結局は納得のいく結論が出ないまま忘れさられていった。
葬儀は非常に簡素に執り行われた。親類の他には、音楽関係の人間がぱらぱらと参列したのみであった。その中に、ジョニーとクリスチーナの姿もあった。この少し以前から、二人の不仲説がささやかれていたが、葬儀の席ではその様子は見受けられなかったという話である。
また、ちょうどジョニーとクリスチーナとはすれ違いで、急遽帰国したアルも葬儀に訪れていた。たまたま居合わせた音楽雑誌の記者によれば、ジョニー達が帰ったのを見計らったかのように彼が現れた、ということらしく、わざと時間をずらしたのではないか、との憶測が飛び交った。このことについて、事実のほどは定かではない。
順調に経常利益を伸ばしていた『cat forehead』であったが、ある事実が明るみに出たのをきっかけにしてその悪質な体質が表面化し、一気に瓦解することになる。
ある事実とは、人身売買であった。主に中央アジアから連れ去った人間を日本で不当に労働させていたということである。
この事実を突き止め、世間に暴露したのがクリスチーナであった。一説によれば、すでにこの時はジョニーとの別居生活に入っていたということであったが、その真偽は謎のままである。ジョニーとクリスチーナが正式に離婚するのは、これからおよそ一年後のことである。
人身売買のほか、大小合わせて128件の違法行為が確認され、幹部の逮捕が相次いだ『cat forehead』は、抜本的な組織改革に取り組み、企業イメージの一新を目指す。しかし、細部にまで腐敗が進行していた組織の中ではその努力の甲斐もなく業績は急降下。平成十三年の暮れにはついに破産という運びとなった。
グランジやハードコアに押され、一時期停滞気味であったロックが、その真価を見直されブームが再来しつつあった。
その流れの中、GHホール閉館以来、長らく空き地となっていた地所に、新しいライブハウス『GHホールNEO』が建設された。平成十八年のことである。
伝説のロックバンド『JAST』もその現役時代を知らない世代のファン層を獲得することとなった。『JAST』のトリビュートバンド『JASTY』が結成され話題を呼んだのもちょうどこのころであり、彼らがトリを勤めた『GHホールNEO』のオープン記念ライブも盛況のうちに幕を閉じた。
その数ヵ月後、『JAST』のGHホールでの最後のライブ音源(およそ二十年前の音源であるが)を収録したアルバム『JAST in GHホール ~ロケンロールtill the morning~』がリリースされた。そして、某有力音楽雑誌で最高評価のAAAを獲得したこのCDについて、「間違いなく歴史に残る名盤である」と、巷のロックファンは口を揃えている。
猫と鰯のロケンロール 高丘真介 @s_takaoka
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